大切にしてきた何かを失ってしまったかのように思う時、
その喪失感だけが痛く身にしみて
哀しさと無力におろおろするばかりで…
そんな時、その「逆の力」を感じる余裕はまったくなくなってしまうものです。
すべての物事には
気づかれない次元でいつでも「ふたつの力」、「真逆の力」が
作用しあっていると思います。
例えば「喪失」なら、「獲得」が。
失ったのは、持っていたから。
はじめから持ってもいないものを失うことはできない。
でもその時は「持っている」ことなど思いもせず
足りないとか
もっと欲しいとかいうことばかり考えてる。
大切な何かを失う喪失感は誰もが味わう苦悩のひとつ。
でもその哀しみに飲み込まれてしまう手前で
その「真逆」が確かにあったこと、
そして
失うものがあると同じように決して「失えないもの」もあることを
忘れないでいたい。
真っ暗闇に射し込む小さな光みたいに。
このブログも今日で終わりです。
いつかまた
はじめる日が来るまでの「お休み」なのかどうかも
今はわかりません。
一年と9ヶ月、皆さんに言葉を綴る機会を持つことができて
訪ねて下さる方々がいて
私にとっていつも「学び」でした。
ブログをはじめるきっかけは2011年3月のあの震災でした。
何か私にできることを…言葉で…
そう思ったことがきっかけでした。
あの震災から私たちは
今、助けを必要としている人に対して何ができるのか、
と問い続けてきたように思います。
それぞれの手段で…
ある人は実際に現地へ入りさまざまな活動をすることで
ある人は報道し伝えることで
ある人は広く募金や援助物資を募り、送ることで
ある人は「原発反対」を訴え続けることで
ある人は芸術作品に表現し、人々に感じてもらうことで
ある人は募金することで
ある人は身近な誰かを愛し、大切にすることで…
この国のすべての人が
それぞれのやり方で「何ができるか」を問い、
そして同時に
「できない」ということをも
体験した、し続けていると思うのです。
何が可能かを知るのに
何が不可能かをも知ることは
必然的なことだから。
このブログでの
私の「言葉の試み」も
そうした言葉の可能と不可能を
知るための学びだったと
感じます。
どうにもならない喪失に苦しんでいる人たちに
私は何もできない。
届くかどうか、響くかどうかわからないけど私から言えることは
喪失は、あなたが疑いもなく「持っていた」からなんだということ。
そして
過去も現在も未来も貫いてあなたを支えるものは
決して「失えない」ものであるということ。
それでは……
どうぞお元気で。
あなただけの
新しい年、新しい明日を。
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