9月30日、深夜12:00。
私と弟は車で羽田空港に行こうとしていた。弟は羽田から飛行機で沖縄に向かい、奥さんと子供二人に会いに行く予定だった。
が、突然車の鍵が無いことに弟が気づく。5分、探してもない。とりあえず、私の持っている鍵を使い羽田に向かった。弟は無事沖縄に旅立った。そして3日後の月曜日に帰ってきた。
車の鍵は相変わらずない。弟は普段は車を使わないからさほど車の鍵が無くても困らない。
しかし1週間経っても鍵は出てこない。金曜日に弟が車に乗ったときはわたしの鍵を使う。弟がいない間に実家の両親が泊まりに来ていた。両親にも電話をかけて鍵を持ち帰っていないか尋ねるが、鍵はない。
日曜日の朝、わたしは2階で聖典を読んでいた。ふと、弟の鍵のことを祈ろうと思う。簡単に祈りを捧げた。それから聖典学習を終えて一階に下りて食事の準備を始めた。
しばらくして弟が起きてきた。ニコニコして「鍵が出てくる夢を見た。」といいながら脱衣所にあったジーンズのポケットから車の鍵を取り出した。
「まあ、なんてお騒がせなの。」と言った。でもこのことはわたしの祈りの答えだったのではないかと気づく。
弟にいつ、その夢を見たのか聞くと、覚えていないが朝だったと思うと言った。きっと、わたしの祈りを神様が聞いていて下さったんだ。そして弟が夢の中で答えを受けたんだ。お祈り連携プレーだと結論付けた。
家族と信仰をともに生活できることは何と幸せなことだろう。自分には答えが来なくても、弟を通して祈りの答えが与えられる。
わたしたちは一人ではない。みんなで助け合って神様の道を歩んでいける喜びを再認識する。ある聖句が心に思い浮かんだ。
「主はその民をシオンと呼ばれた。彼らが心を一つにし、思いを一つにし、義のうちに住んだからである。そして、彼らの中に貧しいものはいなかった。」(モーセ書7:18)