- 前ページ
- 次ページ
この御方を拝見しに


↑本多忠勝さん

岡崎市美術博物館に「徳川四天王本多忠勝と子孫たち」展を見てきました。
本物を見たのは二回目ですが、忠勝所用の黒糸威胴丸具足はやっぱり迫力がありますね。
それと大坂夏の陣で戦死した、忠朝の甲冑の胴部分も展示してありましたが
打ち抜かれた右胸部分や、全体の崩れ方が戦の激しさを物語っていて興味深かったです。
本多家は江戸時代十回も転封していて、その間には加増、減知などされながら、最後は岡崎で明治維新を迎えたんですね。(知らなかった…
)
平日なので、お客さんも少なく、じっくり見ること出来て、大変勉強になりましたφ(._.)
美術館からも近いので、ここにも行ってきましたよ

旧本多忠次邸
昭和7年、東京に建てた住宅を移築復原したもので、忠次さんが36才から102才まで暮らしていたそうです。
細かい所まで拘ったモダンな建物は、さすが、お殿様の子孫が住んでいただけある、立派な建物でした。



↑本多忠勝さん

岡崎市美術博物館に「徳川四天王本多忠勝と子孫たち」展を見てきました。
本物を見たのは二回目ですが、忠勝所用の黒糸威胴丸具足はやっぱり迫力がありますね。
それと大坂夏の陣で戦死した、忠朝の甲冑の胴部分も展示してありましたが
打ち抜かれた右胸部分や、全体の崩れ方が戦の激しさを物語っていて興味深かったです。
本多家は江戸時代十回も転封していて、その間には加増、減知などされながら、最後は岡崎で明治維新を迎えたんですね。(知らなかった…
)平日なので、お客さんも少なく、じっくり見ること出来て、大変勉強になりましたφ(._.)
美術館からも近いので、ここにも行ってきましたよ

旧本多忠次邸
昭和7年、東京に建てた住宅を移築復原したもので、忠次さんが36才から102才まで暮らしていたそうです。
細かい所まで拘ったモダンな建物は、さすが、お殿様の子孫が住んでいただけある、立派な建物でした。











