水滴のついてない乾いたステンレスと

眠るように定位置に収まっている

洗剤やスポンジ。

 

 

朝起きた時

何もないキッチンは清々しい。

 

 

少しだけステージアップした一日が

始まりそうな気さえする。

 

 

 

そうは感じていながら

たまに夕食が遅くなると

洗い物をせずに寝てしまう時がある。

 

 

今すぐ寝る > 洗い物

 

 

そんな方程式が浮かんだ時は

仕方なく次の朝は

よどんだ空気を覚悟するのだけど。

 

 

 

今朝もそんな覚悟を持って

階段を下りてくると

まだすやすやと寝ているような

キレイに片付いたキッチン。

 

 

そこにはよどんだ空気はなかった。

 

 

 

理由はすぐに察しがつく。

 

 

今朝、仕事で早出したパートナーが

出かける前に洗ってくれたのだ。

 

 

そういうこともある。

 

たまにある。

 

 

でも、ちょっと考えてみた。

 

 

じゃぁ、もしも

私が一人暮らしで

朝起きて

この状況だったらどうだろう?

 

 

多分

 

 

私、昨日洗ったかな?

と自分を疑うか

 

とある童話のように

小人が出てきて洗ってくれたとか?

なんて、思うにちがいない。

 

 

どちらにせよ、事実

私は何もしていない。

 

 

それは

小人が洗おうが

パートナーが洗おうが

私に関係なく起こっていることなのだ。

 

 

例えば日常で

 

 

美味しいものを提供してくれる

レストランも

行きたい所に連れってくれる

バスや電車も

発売日を心待ちにしていた

本が買える本屋さんも

 

 

私が知らない間に

何かが動いて

当たり前に

サービスが提供される。

 

 

明らかにこれは

小人のおかげ

というわけではないけれど

 

私の知らない間にもたらされれば

人の手によるものでも

小人の手によるものでも

もうそれは同じなんじゃないかな。

 

 

 

こうして

この世界の具現化は

「当たり前」という隠れミノを使って

そこかしこで起こっている。

 

 

それは当たり前なのか

それとも地味な魔法なのか。

 

 

……私は

後者の考えの方が好みだな。

 

 

 

さて

今日は一日ゆっくりと

お気に入りのDVDを見ながら

地味な魔法を

堪能することにします。

 

 

Ram