数ヵ月前、軍団自殺支部に所属する人のツイートがおすすめ欄に流れてきた。彼は端的に言えば十分長く生きたので死ぬというツイートをしていた。多分、noteなどを見る限りそれが理由ではない。ただ、それ以降、その人のツイートもコウの配信でも生存が観測されないので、本当に死んだのかもしれない。全く交流がなかったけど、ばあちゃんが死んだこともあって何となく気になっていた。
最近、俺が好きな曲を聴いていたらその人のコメントを見つけてしまった。そのコメントにはタイムスタンプと歌詞が綴られていた。実を言えば、俺はコウを知る前から彼のことを知っていた。なぜなら彼はただひたすらタイムスタンプと歌詞をコメントに残していて、歌うことが好きな俺はこのコメントをカラオケ練習用のツールとして利用していたからだ。俺がよく聞くアーティストの曲に本当に一切の私情を挟むことなく淡々とコメントを残していく様はまるでbotのようだった。そんな彼の最新のコメントは歌詞ではなく、そのアーティストやバンドに対する感謝の言葉で更新がとまっていた。
俺は瞬間に胸が苦しくなってしまった。そのコメントはbotと言うにはあまりにも「人間」がむき出しになっていたからだ(もちろん、俺の希死念慮に苛まれた経験からくる強い共感もあったが)。彼の「死」にむかってすべてを曝している姿が俺に痛々しく映る。「死」は俺らが全てを曝したところでなにも反応してくれない。答えも示してくれない。すべてをさらけ出した時、反応できるのは人間しかいない。ならばその人間として俺は存在していたい。だから俺は死ねない。俺は愚鈍だが、それでも俺の中に死という選択が介在することもない。もちろんここまでだらだら書いてきたけど彼もログアウトしているだけだと信じたい。SNSなんてそれくらい適当なツールじゃない?
(自己満の文章なので時間が経てば消す)