私は人の感情を読むのが他の人と比べて下手だと思う。普通、他人といる時ってその人の気分とか察知して対応したりするけど、私はそれが、さっきまでなんとなく予想出来てたのに、いきなり全く予想出来なくなったりするし、自分の感情もよくわからなくなるし。
ここぞって時に相手を慰めたりも出来ない。それは慰める時って綺麗事ばっかり言わなくちゃいけない気がして、それが恥ずかしくて嫌だって思ってる自分を犠牲に出来ないでいるヤなやつだからな気もするんだけど。そうやって気を遣ったり出来ないから駄目なんだって思うのに。
大体"慰める"って言葉自体、上から人を見てるみたいで好きじゃない。だからって、他にこの行動を他人にわかるように説明することが出来ないから、結局使ってしまって。そんな自分もイヤで。
私は言葉の意味に重きを置き過ぎて生活してるのかなってたまに思うけど、そんな器用なヤツじゃないとも思う。
言葉は他者と通じ合うために発達してきたものなんだから、それに縛られて逆に身動き取れなくなって、何も話せなくなって、コミュニケーション取れなくなったら意味ないってわかるんだけど。何か話すと、いちいち「傷付けたかな?」って考えちゃう。考えても、相手の感情なんて予測することしか出来ないし、それは結局、自分の願望とかが交ざって自分の考えになってしまうし。考えるのも面倒臭くてヤなんだけど傷付けてたらヤだし、その言葉によって自分が嫌われたくないし。わかり合えない人もいるって、わかっていても割り切れない自分がいる。考えすぎて空回りするから、他人と上手くやっていけないっていうのも1つの理由としてあるはずだけど。
もっと軽く考えて話していけば色んな人と上手くやっていけるんだろうけど。大体、すごく気が合ったり、一緒にいて安心出来るなって心から思える人以外と群れることがあまり好きじゃないくせに、そういう人以外といるくらいならいっそ一人でいようって素直に思えなくて。一人になるのはイヤだって思ってる自分が少なからず存在している時点で自分の中で矛盾があるから、他人と円滑な関係でいられるはずなくて。それに、私がすごく気が合うな、一緒にいて安心出来るなって思っていても、相手も100%そう思ってるなんて確証ないし。だからって相手に私のことどう思ってる?なんて聞いたって、嫌ってたとしても普通はそんなこと直接本人に言えないから当たり障りのない返答が返ってくるのが予測出来るし、私なんかに付き合ってくれてるいい人たちは特にそんなこと思ってても言えないだろうし。まず、そんなこと聞く行為自体ウザいし、でも、そこで嫌いって答えが聞きたくないって思って聞かないでいる自分もいる気がして。
色々考えてると、何もかもどうでもよくなってきたりして、何も考えたくない、何もしたくない、だから、何も考えない、何もしないってなってく。本当はそれじゃいけないってわかっていて。もっとちゃんと考えなくちゃいけないのわかっていて。
高校の時のことだってきっとそうで。あの時のこと、本当はきっとそこまでイヤな思い出じゃないんだよ。でも、それを最低な日々だったって頭の中で書き換える事で、辛かったから何も出来なかったんだ、しょうがなかったんだって自分に言い訳してるんだ。本当はただ面倒臭くて何もしなかったくせに。今だって、こうやって書いて言い訳してる。
今だって、こんなこと考えてるくらいなら資格を取ることとか、就職のこととか、みんなはちゃんと考えてるけど私は全く考えてない将来のこととか考えればいいのに、そういうことから逃げてる。将来の夢だって、"探したけどない"んじゃなくて"探してないからない"んだ。探すの面倒臭いから。
刹那主義で面倒臭がりだけど、他者から嫌われるのはイヤなんて無理な話なのに。こんな迷惑な存在で自分、なんで生きてんだろう、死ねばいいのに。だけど自分で死ぬ勇気ないから、いっそ誰か殺してくれないかな、って思って、後味悪い役を他人に頼みたくなったりするけど、楽しい時はやっぱり死にたくないって思うんだよ。本当わがまま。
別に落ちてる時もそこまで死にたいって思うわけじゃないんだけど。死んだら楽になれるのが当然みたいに言う人いるけど、死んじゃったあとどうなるのかなんて死ぬまでわからないし、死んじゃったあと、もっと辛いことが待ってるかもしれないし。だからどっちかっていうと、死にたいより、もっと抽象的に消えたいなって思う。ただ、そのあと、どうなりたいのかがわかんないまま。 やっぱり、ここで答えが出なくなって、面倒臭くなって、考えることをやめちゃう自分がすごく嫌い。