1960年から1990年にかけてのロレックスの飛躍的成長において、新製品開発と技術革新が果たした役割は限定的なものに過ぎなかったものの、マーケティング戦略が功を奏して世界をリードする時計ブランドとしての地位を確立することができた。
ロレックスは確かに戦間期から高精度防水自動巻時計の大量生産に集中し、市場でのポジショニングという点で独自の戦略を持っていた。
しかし、今や有名なオイスター・モデルも、当時は腕時計の一種に過ぎなかった。1950年代の終わりまで、ロレックスは市場における競合他社との差別化を図っておらず、そのコミュニケーション戦略は製品の本質的な技術的特徴に無点を当てていた。
ロレックスは何よりもまず、ロンジン、オメガ、ゼニス、またセイコーのような高品質の時計であるということを顧客にアピールした。これらの時計メーカーのコミュニケーション戦略はすべて、モノづくりのパラダイムに基づいていた。製品の卓越性がその企業の中心的なメッセージだったのである。
一部の広告では、ロレックスを不滅の製品として、また防水時計を生み出したブランドとしてフィーチャーし続けたが、それまでコミュニケーションの大部分を占めていたこのような語り口は減っていった。
また、ロレックスは1950年代末にクロノメーター・コンクールへの挑戦を放棄した。一等賞や記録の獲得はもはや重視されなくなり、ロレックスのコミュニケーションから姿を消した。入手できた数字によると、ロレックスは1960年と1970年にはすでにオメガを上回っていた。
しかし、その数字にはセカンドブランドのチューダーが含まれているのに対し、オメガの売上高にはティソなど他のSSIHブランドは含まれていないことに留意する必要がある。この時期のクロノメーター(編集部注/スイス公式クロノメーター検定協会の厳しい精度基準をクリアし、認定を受けた高精度の機械式時計)登録数の統計が示唆するように、2つのブランドが極めて接近していたことは間違いない。
ロレックスがオメガを大きく上回ったのは1970年代以降、とりわけ1980~1987年である。1987年、ロレックスの売上高は主要な競争相手のほぼ2倍となっていた。
こうして1960年代、ブランドのナラティブに根本的な転換期が訪れ、ロレックスはもはや単なる特別な時計ではなく、特別な人のための時計となった。
ロレックスは、社会的な差別化をマーケティング戦略の中心に据えた最初の時計ブランドであった。ロレックスは自己成功の体現者である、これがコミュニケーションの新たな焦点となった。このエピソードは、当時のロレックスと競合他社との間に存在したギャップを端的に示している。オメガを所有するSSIHは、安価なロスコフ・ウォッチの大量生産に対して巨額の投資を行ったが、クォーツの出現で売上が激減した。
一方、ロンジンは1950年代から慢性的な投資力不足に悩まされていた。同社の株主は経営権を保持することを望んでいたが、もはや単独で会社を発展させる手段を持たない同族企業であった。資金不足によって生産能力の向上とセカンドブランドの立ち上げに苦戦し、その結果、ロンジンは1971年にASUAGに買収された。
最終的に、オメガとロンジンは、優れた精度を持つ時計を開発できるクォーツへの技術的移行を選択したが、日本の競合会社である服部時計店とは異なり、製品の大量生産には大きな困難を抱えていた。