どうもー!!
しあわせパンダです。

前回、さらっと大きな事を書きました。
粒子は「観測されることによって性質を変える」という内容です。

前記事


観測されてる時と観測されてない時で特性が変わるってとんでもなくないですか?

「あ、見られてる!」って粒子は気付いてるって事になります。

つまり、自分達の見方が世界に影響を与えてるという事です。
正確にいうともっと複雑ですが、シンプルに捉えると自分の捉え方次第で世界は変わっていく。


パソコンの基礎を作ったノイマンって人がいるのですが、『量子力学の数学的基礎』って論文の中で、何が世界にある波動に影響与えてるか?についての結論が“自我である”と書いてあります。

アインシュタインや様々な物理学者も、結局物理学だけでは生合成が取れないことばかりですと結論づけています。


ここから前のブログで書いた結論を書きたいのですが、全員が思い通りの人生になってないのはなぜなのか?

なぜ多くの人が不自由を感じ、足りないなーって感じ、満たされない感じなのでしょうか?

しあわせパンダの結論はこうです。

「本当は全員が自由自在に望んだ通りに生きている。ただ、価値観の檻の中に閉じ込められているので選べる範囲が狭くなってしまっている」


例えばですが、自分がきれいな海を見たくて東京から沖縄に行こうとします。

今の時代ならば、飛行機を使えば2時間半ぐらいで行けます。

ですが、飛行機と船の存在を生まれてから一度も教えてもらわなかったらどうでしょうか?
(現実にはなかなかあり得ませんがw)

おそらく沖縄の存在は知っていても、実際に行こうとは思わないのではないでしょうか?
なぜかというと、行けるイメージが湧かないから。

海がきれいなのはわかる。
でも、飛行機も船も知らなければ、どうやって辿り着けば良いのかわからないですよね?
自分だったら、途方もなさすぎて憧れるだけで諦めてしまうと思いますw

もっと言うと、沖縄の存在すら知らなければ、沖縄に辿りつくことは一生ないと思います。

何が言いたいかと言うと、もしかしたら今の世界はそんな風に予め選択肢を狭められた世界を見せられてる可能性があるのでは?という事です!


ちょっと都市伝説チックになってきましたねw

もし仮にです。
見える範囲の世界が元々狭められた世界なのであれば、普通に生きてて100%の力を出せるわけがないですよね。

その辺りの事も後々どこかで書きます。



オダギリジョーのライフカードのCMが面白くて好きだったのですが、もしかしたら自分達はオダギリジョーみたいに3枚のカードから選択肢を選んで良いよって言われてますが、本当の本当はカードは6枚とか10枚とかあるかもしれない。

もしかしたら、本当に量子力学の世界をフルに使って望んだ人生謳歌できる道がどこかにあるかもしれない。

妄想かもしれませんが、本当だったらちょっと面白いですよねw