海洋楽者 林正道の連載ノンフィクション「泳げ!車いす」
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昭和から、平成にかわり、

僕は、愛知県に戻って来た。


まずは、司会事務所に直行。

みっちりと約一年、修行をし、

誰もが聞き取れる、発声や、イベントとしての流れ、

大好きな事をやるための、アルバイトとしても、

案外、真剣に、披露宴や、イベントの司会を行った。


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信頼できる、若い友人たちもできた。

そして、1994年、仲間たち四人で、

「トータルレジャープロデュース」として、

小さな会社を設立。


その中で、念願だった、

マリンアカデミーを開校した。

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何を隠そう、クラゲが大好きだった僕は、

三河湾のアカクラゲを観察したり、

干潟の生物達と遊んだり、

おまけに、素潜りや、スキューバダイビングも教えちゃおう、

なんて、一人有頂天になっていた。


しかし、お客は、こなかった。

家賃や、経費のため、仕方なく、

以前、東京の学校時代に、ロスで取得した、

パーソナルトレーナーの資格を使って、

ダイエットや、トレーニングの、個人レッスンをはじめた。

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  ブラジル、ボディービルチャンピオン
  マウロ氏のトレーナーを



土日で、お客さんがいない時は、

披露宴の司会のバイトもやった。

お給料なんて、ほぼ、0だった。


仲間と、お昼は、焼き芋一つ、なんてこともあった。

いつのまにか、みんなから、笑顔が消えていた。


でも、何も言わず、いつも、手伝ってくれた。

僕が、やめると、言わない限り、

ずっと一緒ですよ。なんて言ってくれた。

素敵な仲間たちだった。


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半年が過ぎた頃、どうしてよいか、

行き詰まった僕は、東京時代の先輩と、

高校生の頃、憧れた、ジャック、T.モイヤーさんに会いに、

昔の、伊勢湾、三河湾が、そのまま残る、

東京の三宅島へと旅立った。


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