こんばんは。サラリーマン鑑定士・楽一郎です。

今日は歴史のお話をします。
NHKのBSで、「英雄たちの選択」という
歴史の番組があるのですが、
6月に「本能寺の変」のことをやってました。

織田信長は家臣の明智光秀に討たれましたが、
信長の嫡男・信忠は本能寺のすぐ近くに宿営しており、
信長が討たれた後、信忠も光秀の軍と戦って討たれます。

ただ、信忠には光秀の軍と戦わずに、
本拠としていた安土城に逃げ帰るという選択肢も
あったのです。

その気になって逃げれば逃げられた可能性が高いと言われて
いますが、武士の意地だったんでしょうか。
逃げずに戦って滅ぼされてしまったのです!

信長と同時にその後継者も討たれてしまったことによって、
歴史が変わってしまったのです。

番組では、

戦況が悪い時はカッコ悪くてもまず落ち延び、
再起を期すべきだ

と言っていましたが、
私もそう思います。




自分にとって著しく不利な状況にあるときは、
とにかくまず逃げることが大事
です。


なにせ、「三十六計逃げるに如かず」ですからねぇ 笑

これができなくて命を落とすなど、もってのほかです。


江戸幕府を開いた徳川家康も、
1573年の三方ヶ原の戦いで
武田信玄と戦い、敗れますが、
敗走した際に、
恐怖のあまり大便を漏らしたという話があります。


しかし、そこで死なずに生き延びたからこそ、
後に天下人となれたわけです。


桶狭間の戦いで織田信長に敗れた今川義元の
嫡男・氏真(うじざね)は、
父の死後、しばらくの間は戦国大名であったのですが、
戦国大名としての才覚がまったくなく、
結局戦国大名としての今川家は滅んでしまい
かつての臣下であった徳川家康の軍門に下ります。

後に氏真は家康から、一度だけ城主を任されますが、
すぐに解任されてしまい、
以後氏真は、武将としてではなく、文化人として生きる
ことになります。

氏真は、なんと父の敵である織田信長の前で蹴鞠を奉納し、
信長と対面したということです。

氏真は江戸幕府が開かれた後まで生き延び、
当時としては大変長寿の77歳で没します。

しかしその子孫も江戸幕府に仕え、
今川家は幕末まで続くことになります。

滅亡してしまった武田家などと比べると、ある意味氏真は
戦国の勝者ともいえます。


ところで何が言いたいのかというと、
自分にとって不利な状況のときは
とにかく逃げましょう

ということです。

たまたまその場では敗者だったとしても、
また別のフィールドでは、
勝者となれる可能性がある
からです。


これは、投資や賭け事でも言えますね。
勝てなくても、
引き分けで、
資金を減らさなければ、
何度でも勝負の場に立てるわけです。

それが、ひとたび大敗してしまえば
ジ・エンド。

二度と戦いの舞台に立つことはできないのです。

とにかく
生きて、生きて、生きまくって
再起の時を待ちましょう。


勝つこと以上に
負けたら潔く引く
というのは大事で、
なおかつ難しいのかもしれません。

でも

生きてさえいれば、必ず立て直せる

のです。