禅をかじると、必ずお目にかかるのがこれです。
「南泉斬猫」は『碧巌録』『無門関』に採録されている有名な公案であり、禅画の画題ともされる。
一日、東西両堂、猫児を争う。南泉見て提起して云く、道い得ば即ち斬らじ。
衆、対無し。泉遂に猫児を斬って両段となす。
南泉 復た前話を挙して趙州に問う。州便ち草鞋を脱して頭上に戴いて出づ。 泉云く、子若し在りしかば、猫児を救い得てんに。
—五燈会元鈔講話:中国禅界の巨匠たち、117-118頁
南泉が子猫を斬ったことについては、従来から様々な解釈が唱えられてきた。日本曹洞宗の開祖道元禅師も「南泉猫斬」の意義について解説し、それを懐奘が『正法眼蔵随聞記』に記録している。
また、「三十六計逃げるに如かず」ということわざは、相手に到底敵わないと思った時や困った時は、あれこれ考えるよりも逃げることが一番の得策だという意味だそうです。
先ほどの趙州さんは、分からないことには首を突っ込まず、この逃げる手を使っていてさらに、草履を頭上に置いたのは化け猫に憑りつかれないようにする魔除けの意味があったそうです。
教訓
とにかく困ったり迷ったら、逃げるが勝ちです。
ロシアの反政権運動指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏や、ロシア支援の傭兵組織ワグネルの創設者エフゲニー・プリゴジン氏のように、逃げそこなうと命を落とします。
今日は色々とあったので、ちょっと趣向を変えてみました。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
今日は遅番で明日が早番の24時間コースです。
おやすみなさい。