SP盤レコード袋備忘録

SP盤レコード袋備忘録

SP盤、レコード袋あれこれ

 中山熊吉とコッカレコード変遷考後編は、”コッカ蓄音器レコード合資会社”及び”コッカレコード株式会社”について主に述べていきたいと思います。

 

(画像24 コッカレコードの商標。歌詞カードより)

 

〇コッカ蓄音器レコード合資会社設立
 昭和10年10月21日、国際工業株式会社と同地に”コッカ蓄音器レコード合資会社”が設立される※16。

【社名】
コッカ蓄音器レコード合資会社

【住所】
大阪府豊能郡庄内村大字菰江331番地ノ1

【目的】
蓄音器レコード製造販賣
右ニ附帶スル一切ノ事業

【代表】
中山熊吉

【社員/責任/出資金】
中山熊吉/無限/17,500円
池田長弌/有限/3,000円
藤井春二/有限/2,500円
上阪孫市/有限/1,000円


国際工業のレコード部門であったコッカレコードが独立。レコード産業に専念するためか、昭和10年8月16日に中山熊吉は国際工業の取締役を辞任している※17。『官報』によると”コッカ蓄音器の機械設備634点は中山熊吉の所有品”のようで、中山の資本金は機械及び電話加入権の価格である※18。このほか”コッカの吹込所は国際工業の敷地内”にあり、工場も同地にあったと思われる※19。社員の上坂孫市は後に大陸に渡り”大上海蓄音器株式会社”の工場長となる人物。

コッカレコード及び委託盤の価格は以下の通り※20。コッカ(10インチ紫盤)は昭和10年頃、家庭トーキー及びコーライの2種は昭和12年から昭和13年頃の価格。コーアは昭和16年頃の価格。

<価格>(1934年~1935年)
【コッカ】(自社盤)
・1枚……10銭(6インチ)
・1枚……25銭(8インチ)
・1枚……50銭(10インチ)
・1枚……70銭(10インチ)
・1枚……1円(10インチ紫盤)

【エイト】(自社盤)
・1枚……25銭(8インチ)

【家庭トーキー】
・1枚……20銭~1円10銭

【クラウン】(委託盤)
・1枚……20銭(6インチ)

【コーライ】
・1枚……1円(10インチ)

【コーア】(委託盤)
・1枚……1円80銭

【セイカ】(委託盤)
・1枚……50銭(10インチ)

【センター】(委託盤)
・1枚……50銭(10インチ黒盤)
・1枚……60銭(10インチ赤盤)

【タカシマヤ】(委託盤)
・1枚……10銭(7インチ)
・1枚……20銭(8インチ)

【トランス】(委託盤)
・1枚……45銭(8インチ)
・1枚……50銭(10インチ)
・1枚……60銭(10インチ)

【ヤマキ】(委託盤)
・1枚……1円(10インチ黒盤)



(画像25 快声堂のチラシより)
昭和9年1月頃に発行された大阪市南区二ツ井戸町の”快声堂”のチラシ。コッカレコードの正価が宣伝盤50銭、本盤70銭であるのに対し、商店では宣伝盤40銭、本盤60銭で販売されている事が確認できる。


(画像26 コッカ『江差追分』(上)門脇昭伯 8035-A)
1枚50銭の宣伝盤。


(画像27 コッカ『のんき節』(下)石田一松 8028-B)
前掲と同じ宣伝盤だが1枚60銭。盤面に”報國”の刻印あり。毛利氏によると同刻印は昭和12年8月12日に施行された「北支事変特別税法」(20%課税)を示す刻印とのこと※21。課税にともない10銭値上げしたと思われる。

参考資料として昭和9年8月から昭和10年12月までの内務省への月別納付枚数についても記載する。

<月別納付枚数>(1934.8~1935.10 迄)
【昭和9年】(8月/9月/10月/11月/12月)
4/3/13/11/23

【昭和10年】(1月/~/12月)
0/25/38/38/31/50/59/50/0/78/68/51/54
『発行新譜 納付枚数月別調』(内務省警保局編『出版警察概観 3』525コマ)


セルロイド盤時代のコッカは主に童謡・唱歌といった児童向けレコードに力を入れていたが、後に浪花節や小唄等の演芸物・純邦楽物にも力を入れるようになる。流行歌に関してはオリジナル曲以外に、他社のヒット曲を模倣し売出す”小判鮫商法”をとっている


(画像28 コッカ『野崎小唄』長谷川章 20016-A)
ポリドールレコードから発売された『野崎小唄』を模倣した1枚。番号20000番台。20000番台は昭和10年6月25日臨時発売『夢に見る君が面影/夜も昼も』(紙恭輔指揮 P・C・Lジャズバンド 20001)が最初だろうか。


(画像29 コッカ『アリラン』李白仙 20038-B)
朝鮮民謡『アリラン』を吹込んだ1枚。同曲は昭和12年2月15日に設立された”合名会社高麗レコード蓄音器商会”(大阪市浪速区河原町2丁目1449番地)発行の朝鮮譜”コーライレコード”第1回新譜(昭和12年3月)で日本譜として再発売されている※22。コーライの日本譜にはコッカの既発売レコードが充てられた。


コッカは旧来のセルロイド盤からシェラック盤に移行するとともに音質面でも改善が見られ、昭和9年頃は”ユニックフォン式電気吹込”という吹込方法を採用。ユニックフォンとは”UNIQUE  PHONE”という意味だろうか。


(画像30 コッカ『輝く日本』の歌詞カードより)

〇参考資料

(画像31 コッカ『さくら音頭』利太郎 松山富士夫 8000-A)

画像20の再プレス盤。レーベルに検閲済みを示す”届出及納付済”の記載あり。


(画像32 コッカ『鼠小僧次郎吉』(一)伍東宏郎 20006-A)


(画像33 コッカ『石堂丸』(三)京山小円 8286-A)

新デザイン。一部デザインが変更され、レーベル下部の文字が”MADE BY KOKKA  RECORD CO., LTD. OSAKA”に変更。


(画像34 『石堂丸』(三)の文句カード)


(画像35 コッカ『不如帰と金色夜叉』(上)三遊亭川柳 一輪亭花蝶 8217-A)


(画像36 コッカ『馬が西向きゃ』(上)三遊亭川柳 一輪亭花蝶 8244-A)

前掲レーベルとデザインが若干異なるレーベル。


(画像37 コッカ『牛若丸と弁慶』演者不明 50)

レーベルに”報國”の記載があるので昭和12年8月12日以降に発行したレコード。委託盤か。


(画像38 ホームラン『酒は涙か』(上)京乃福太郎 林家染之助 5012-A)
コッカのサブレーベル。昭和10年10月から発行開始。昭和13年末には発行を停止している。


(画像39 エイト『絵日傘』広瀬澄子 563-A)
8インチ盤。500番台。主に童謡や唱歌を吹込んだ児童向けレコードで1枚25銭。

〇閑話:コッカ関連商標集
 以下にコッカレコード及び委託盤関連の商標について記載する。商標番号については以下の『文字商標集』掲載の”第22類”を参照した。なお”紙芝居トーキー”のみ第66類。

・特許局編『文字商標集 第6巻』帝日特許書院 昭和6年
・帝日特許書院『文字商標全集 第3』帝日特許書院編 昭和6年
・特許局編『文字商標集 第7巻 上』帝国発明協会 昭和12年
・『文字商標集 第2巻』弁理士会 昭和28年


商標を検索する場合は”特許情報プラットフォーム(J-PlatPat)”で検索ワード内の番号を記入する事で商標公報を閲覧可能。なお登録商標欄に”?”とある商標は登録商標が不明なもの

<商標番号/登録商標/検索ワード>
【コッカレコード】
・203130/國華(文字)/1928-4870
・203133/IC(図案)/1928-4865
・213741/Kokka(レーベル)/1929-7263
・215144/國家(文字)/1929-8798
・215145/國花(文字)/1929-8799
・215146/國香(文字)/1929-8800
・227622/コクカ(文字)/1931-2494
・227623/Kokka(文字)/1931-2493
・234579/Kokka(図案)/1931-9091
・238659/Kokka(レーベル)/1932-3128
・293854/Pleasant(文字)/1937-3488
・339780/オトモダチレコード(文字)/1940-9424
・番号不詳/二宮金次郎印?(図案)/1940-8220

【興亜文化録音株式会社】
・353384/紙芝居トーキー(文字)/1942-1469
・番号不詳/KA?(図案)/1940-9423
・番号不詳/旗富士印?(図案)/1940-12442

【合資会社快声堂】
・242398/金剛(文字)/1932-9393
・269898/Crown(文字)/1935-6121
・番号不詳/軍艦印?(図案)/1933-8770

【合資会社日本トランス蓄音器商会】
・215768/トランス號(文字)/1924-8291
・237536/トランス商會(文字)/1932-1315

【合資会社八欧商店】
・230492/Seikwa(文字)/1931-5044
・230493/精華(文字)/1931-5043
・281031/Seikwa(図案)/1936-2386

【合名会社高麗レコード蓄音器商会】
・293884/高麗(文字)/1937-3489

【高島屋】
・227903/高〔マル〕(図案)/1931-4014

【中西商会】
・281873/NCL(図案)/1936-6510
・247954/CENTER(図案)/1933-4987


〇委託盤参考資料

(画像40 クラウン『君が代』花村百合子 120-A)
6インチ盤。大阪市南区二ツ井戸町の”合資会社快声堂”の委託盤で1枚20銭。昭和10年4月から発行開始。


(画像41 クラウン『かたつむり』西尾四季子 102-A)


(画像42 クラウン『分列進行』クラウン喇叭隊 134-A)


(画像43 コンゴー『戦争ごッこ』(海戦)(上)国歌お伽歌劇団 325-A)
6インチのセルロイド盤。改声堂の委託盤。盤面に”PATENT”の陽刻印あり。昭和9年12月頃には発行を停止しているようだ。


(画像44 グンカン『壺阪寺』(一)吉田日の丸 EK3047-A)
10インチ盤。発行元は不明だが、コンゴーと同じ商標を採用している事から、改声堂の委託盤と思われる。


(画像45 タカシマヤ『草津節』(米若くづし)登美奴 愛之助 779-A)
8インチ盤。百貨店”高島屋”の委託盤で1枚10銭(7インチ)、20銭(8インチ)。昭和13年末には発行を停止している。


(画像46 タカシマヤレコードの歌詞カード)


(画像47 セイカレコードのスリーブ)
6インチ盤。東京市浅草区蔵前の”合資会社八欧商店”の委託盤。昭和13年末には発行を停止している。

〇コッカレコード株式会社設立
 昭和11年12月1日、コッカ蓄音器レコード合資会社は”コッカレコード株式会社”に改組。なおコッカ蓄音器レコード合資会社は昭和12年6月10日に解散している※23。

【社名】
コッカレコード株式会社

【住所】
大阪府豊能郡庄内村菰江332番地

【目的】
一レコード製造販賣
二蓄音機製作販賣
三前記ノ各項ニ關聯スル一切ノ事業

【資本】
100,000円

【代表】
福山徳亮

【取締役】
中山熊吉、福山徳亮、細井勇、田代政次、橋本稔

【監査役】
福西由松、池田長弌


株式会社に改組してから半年後の昭和12年5月30日、中山熊吉が取締役を辞任。同じく取締役でコッカの技術顧問を務めた細井勇も辞任している※24。細井は日東蓄音器の長時間レコードやフィルモンレコードの開発に携わった人物。


(画像48 コッカ『愛国行進曲』日本陸軍軍楽隊 8500-A)


株式会社に改組後も委託盤や個人吹込を盛んに募集しており、以下の様な広告が新聞に掲載されている。


本格的レコード吹込の御依賴に應じます
御自分の聲や音樂…多人數の音樂合唱等も思ふ儘に吹込出來ます。猶激しい現今の宣傳時代多方面の利用法もあります。燒增數量に依つて大變お安いものになります
阪急沿線三國町 電三國四一四
コッカレコード株式會社
『大阪朝日新聞』(1937.7.9 朝 P.8)


昭和12年7月15日、本社を庄内村菰江から東淀川区宮原町に移転。移転にともない吹込所も同地に移転している※25。

<住所変更>
【1936.12.1】
大阪府豊能郡庄内村菰江332番地

【1937.7.15】
大阪市東淀川区宮原町516番地ノ6


以下はコッカレコード株式会社時代のレコード袋に印刷された吹込所内の写真。



(画像49 コッカレコード(株)の演奏室)


(画像50 ユニック式電気吹込機械室)

工場については不明だが、新たに工場を建設したのか、以下の広告が新聞に掲載されている。


(画像51 コッカレコードの新聞広告)

最新式レコード吹込
工場新築 技術優秀 料金低廉
コツカレコード株式會社
大阪市三國電三國 四一四番
『大阪毎日新聞』(1937.12.3 朝 P.6)


このほか昭和12年11月22日に代表の福山徳亮が辞任し、新代表に北沢六郎が就任している※26。

参考資料として昭和11年から昭和14年までのコッカレコードの年間生産数を掲載する※27。


<年間生産数>
【1936.1~1936.10 迄】
コッカ……850,000枚

【1936.11~1937.10 迄】
コッカ……672,419枚

【1937.11~1938.10 迄】
コッカ……365,228枚

【1938.7~1939.6 迄】
コッカ……235,000枚


前掲の資料見てみると3年程で年間生産数を四分の一に減少している事が分かる。一方で森本敏克氏によると、コッカは昭和14年11月28日に資本金を18万円に増加※28。また昭和12年頃には”プレザントレコード”を、昭和15年頃には”オトモダチレコード”を発行開始するなど活発に活動している。このほか昭和12年末に廃業した特許レコード製作所の原盤を一部取得している※29。


(画像52 プレザントのスリーブ)

昭和15年6月15日、「価格等統制令」が制定され、レコードの公定価格が設定される。昭和16年9月29日、価格改定が行われコッカレコード及びオトモダチレコード、委託盤”コーアレコード”の価格は以下の様に設定された※30。

<公定価格>(製造業者/卸売業者/小売業者)
【コッカレコード】(10インチ黒盤)
・41銭/46銭/75銭

【コッカレコード】(10インチ赤盤)
・54銭/64銭/1円5銭

【オトモダチレコード】(8インチ3枚組)
・1円15銭/1円30銭/1円80銭

【コーアレコード】(10インチ藍盤)
・65銭/75銭/1円20銭


【コーアレコード】(10インチ浮出画帳附赤盤)
・65銭/75銭/1円20銭


昭和16年9月当時、新譜発行が行われていたかは不明だが、コッカがレコードの発行を続けている事が確認できる。

委託盤コーアレコードの発行元”興亜文化録音株式会社”は、昭和14年12月に東京で設立された会社で、コーアの他に”浮出式紙芝居”(昭和14年実用新案出願公告第4464号)を発行している※31。


(画像53 コーアのスリーブ)

興亜文化録音はコッカに製造を委託する一方で、吹込は”岩谷サウンド映画研究所”に委託していたと思われる。岩谷サウンド映画研究所は映画の録音・現像を業務とする会社だが、個人吹込を主な業務としていた”日本エヂソンレコード株式会社”の事業を引継ぎ、レコードの製作も行っていた※32。なお岩谷サウンドと興亜文化録音は同地に所在しており、電話番号も共通である事から岩谷サウンドが吹込を行っていたと推測する。


(画像54 エヂソン『同志社校歌』(A)同志社卒業生有志 E-873)

岩谷サウンド、日本エヂソンのほかに”合資会社日本長時間レコード吹込所”も興亜文化録音に関係している。昭和12年5月に設立された同社の跡地に岩谷サウンドが入所しており、また日本長時間レコード取締役”渡辺竹次郎”が興亜文化録音の取締役に就任している。日本長時間レコードの紙芝居レコード(昭和14年実用新案出願公告第4464号=浮出式紙芝居)や長時間レコードの技術は渡辺によって興亜文化録音に齎されたのではないかと考えている。コーアの長時間レコードついては毛利眞人氏が以下の様に述べている。

「日本のコーア(興亜文化録音株式会社・発行)が一九三〇年代半ばに発行した7インチの小型盤は回転数を50回転まで低速化させたという。低速回転で長時間化を図ったのだろう」
毛利眞人『SPレコード入門 基礎知識から資料活用まで』P.103~104


以下に日本エヂソン、岩谷サウンド、日本長時間レコード、興亜文化録音の略年譜を記載する※33。

<各社略年譜>
【1935.3.4】
日本エヂソンレコード株式会社 設立
東京市日本橋区茅場町3丁目4番地

【1935.5.3】
日本エヂソンレコード 移転
東京市京橋区京橋1丁目2番地ノ7
千代田証券ビル5階(TELL:京橋482)

【1936.4】
岩谷サウンド電気研究所
映画の録音・現像開始

【1936.7】

日本エヂソンレコード

”1円盤”発売開始

大衆盤………50銭

個人吹込……25円(両面盤/レコード3枚付)

【1937.5.20】
合資会社日本長時間レコード吹込所 設立
東京市芝区三田小山町3番地(TELL:三田229)

【1938.7.15】
日本エヂソンレコード 移転
東京市豊島区池袋1丁目787番地

【1938.8 時点】
岩谷サウンド電気研究所
東京市京橋区京橋1丁目2番地ノ7
千代田証券ビル5階(TELL:京橋482)

【1938.11.21】
日本長時間レコード 解散

【1939.7.8】
日本エヂソンレコード 解散

【1939.2~3 頃】
岩谷サウンド電気研究所
”岩谷サウンド映画研究所”に社名変更

【1939.8 頃】
岩谷サウンド映画研究所 移転
東京市芝区三田小山町3番地
(TELL:三田229)

【1939.10 頃】
岩谷サウンド映画研究所 電話増設
(TELL:三田229/三田3578)

【1940.12】
興亜文化録音株式会社 設立
東京市芝区三田小山町3番地
(TELL:三田229/三田3578)


自社盤・委託盤を製造していたコッカだが、その存続期間は不明である。『帝国銀行会社要録 昭和18年(31版)』によると”コッカレコード株式会社は昭和18年5月末時点までは存続している”事が判明している※34。この頃には新譜発行は行わずコーア等の委託盤製造を主な業務としていた事が考えられる。昭和18年5月以降については不明。

コッカに長年係わった中山熊吉のその後についても少し述べたいと思う。中山はコッカレコードの取締役を辞任した後、昭和13年7月に大阪府豊能群小曾根村大字浜1283番地に”中山セルロイド工業所”を設立している※35。レコード産業から離れ、元々のセルロイド産業に戻ったようだ。同社は昭和16年頃までは存続している。その後の中山熊吉については残念ながら不明である。

セルロイド製小型盤から始まり、模倣盤や委託盤など様々なレコードを発行したコッカは戦時中にその幕を閉じた。

〇終わりに
 今回は大阪のコッカレコードについて記したが依然として不明な点が多い。コッカ第1回新譜の内容、模倣盤の製造開始時期など気になる点は多い。今後新たに判明した事があれば追記していきたいと思う。

※16:大蔵省印刷局編『官報 1935年11月22日』32コマ

※17:大蔵省印刷局編『官報 1935年09月30日』32コマ

※18:大蔵省印刷局編『官報 1935年11月22日』32コマ

※19:内務省警保局編『出版警察概観 3』

※20:
『京城日報』(1937.3.20 P.5)
『読売新聞』(1941.4.12 夕 P.2)
『科学と模型 18(1)』2コマ
『蓄音機「レコード」の発行及取締状況並取締に関する法規』及び『蓄音機レコードの発行及取締状況』(内務省警保局編『出版警察概観 3』所収)

※21:毛利眞人『SPレコード入門 基礎知識から資料活用まで』P.166

※22:

『京城日報』(1937.3.20 P.5)
大蔵省印刷局編『官報 1937年06月07日』12コマ

※23:
大蔵省印刷局編『官報 1937年02月23日』14コマ
大蔵省印刷局編『官報 1937年10月30日』14コマ

※24:大蔵省印刷局編『官報 1937年11月01日』43コマ

※25:
大蔵省印刷局編『官報 1937年11月19日』34コマ
大蔵省印刷局編『官報 1937年11月24日』20コマ
『蓄音機レコード製作所並發行所明細表 昭和13年末現在』8コマ

※26:大蔵省印刷局編『官報 1938年02月04日』40コマ

※27:
内務大臣官房文書課編『日本帝国国勢一斑 第53回』308コマ
内務大臣官房文書課編『日本帝国国勢一斑 第54回』306コマ
内務大臣官房文書課編『日本帝国国勢一斑 第55回』278コマ
『蓄音機レコード製作所並發行所明細表 昭和13年末現在』30コマ

※28:森本敏克『レコードの一世紀・年表』25コマ

※29:『蓄音機レコード製作所並發行所明細表 昭和13年末現在』25コマ

※30:
大蔵省印刷局編『官報 1940年06月15日』6コマ
大蔵省印刷局編『官報 1941年09月29日』3コマ

※31:
『読売新聞』(1941.4.12 夕 P.2)
『読売新聞』(1942.5.19 夕 P.2)
帝国興信所編『帝国銀行会社要録 昭和16年(29版)』218コマ

※32:日本工業新聞社編『工業取引案内 昭和14年度』427コマ

※33:
『東京朝日新聞』(1935.4.13 朝 P.11)

『読売新聞』(1936.7.5 夕 P.1)

『読売新聞』(1936.11.27 夕 P.2)
『読売新聞』(1941.4.12 夕 P.2)
『読売新聞』(1942.5.19 夕 P.2)
大蔵省印刷局編『官報 1935年06月07日』26コマ
大蔵省印刷局編『官報 1935年07月05日』26コマ
大蔵省印刷局編『官報 1937年11月09日』30コマ
大蔵省印刷局編『官報 1938年09月22日』45コマ
大蔵省印刷局編『官報 1939年04月20日』56コマ
大蔵省印刷局編『官報 1939年10月21日』40コマ
『文化映画 1(7)』32コマ
『文化映画 2(1)』45コマ
『文化映画 2(6)』14コマ
『文化映画 2(7)』15コマ
日本工業新聞社編『工業取引案内 昭和14年度』427コマ
帝国興信所編『帝国銀行会社要録 昭和16年(29版)』218コマ
『蓄音機レコード製作所並發行所明細表 昭和13年末現在』9~10コマ

※34:帝国興信所編『帝国銀行会社要録 昭和18年(31版)』296コマ

※35:商工省編『全国工場通覧 昭和16年版』3131コマ

〇参考文献一覧
参考文献は参考書籍(直接読んだ書籍)、参考WEBサイト参考新聞国立国会図書館所蔵(図書館向け送信サービス)、国立国会図書館所蔵PD(著作権切れ文献)の5つに分けて記載しました。

改訂版”中山熊吉とコッカレコード変遷記”はこれにて終わりであります。


(画像55 コッカレコードのスリーブより)

〇参考書籍
・倉田喜弘『日本レコード文化史』東書選書 平成4年

・毛利眞人『SPレコード入門 基礎知識から資料活用まで』スタイルノート 令和4年

・服部良一『僕の音楽人生』日本文芸社 令和5年

〇参考WEBサイト
・『国立国会図書館デジタルコレクション』(日本データベース)
https://dl.ndl.go.jp/

・『特許情報プラットフォーム|J-PlatPat [JPP]』(日本データベース)
https://www.j-platpat.inpit.go.jp

・『昭和館デジタルアーカイブ』(日本データベース)
https://search.showakan.go.jp/

・『浪曲SPレコードデジタルアーカイブ』(日本データベース)
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/rsp/

・『邦字新聞デジタル・コレクション』(米国データベース)
https://hojishinbun.hoover.org/?a=q&hs=1&r=1&results=1&txq=%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89&e

・『국립중앙도서관』(韓国国立中央図書館データベース)
https://www.nl.go.kr/

<『국립중앙도서관』内参考文献>
・『京城日報』(1930.1.28 P.3)
・『京城日報』(1930.10.31 P.1)
・『京城日報』(1932.1.9 P.6)
・『京城日報』(1937.3.20 P.5)

・『関西発 レコード120年 埋もれた音と歴史  第7部 レコード各社興亡秘話』(日本WEBサイト)
https://web.archive.org/web/20080611145813/https://www.kobe-np.co.jp/tokushu/record/record-link.html

・78MUSIC『78MUSIC』(日本WEBサイト)
http://78music.jp/index.html

・ザリガニ『SPレコードレーベル図鑑』(日本WEBサイト)
https://zarigani3.web.fc2.com/hp5.htm


〇参考新聞
・『読売新聞』(1928.6.6 朝 P.7)


・『読売新聞』(1930.1.4 朝 P.8)
 

・『京城日報』(1930.1.28 P.3)
 

・『京城日報』(1930.10.31 P.1)
 

・『読売新聞』(1930.4.21 夕 P.2)
 

・『読売新聞』(1930.5.31 朝 P8)
 

・『読売新聞』(1930.8.21 朝 P.7)
 

・『読売新聞』(1930.9.30 朝 P.8)
 

・『読売新聞』(1930.12.13 朝 P.11)
 

・『読売新聞』(1931.3.27 朝 P.7)
 

・『京城日報』(1932.1.9 P.6)
 

・『東京朝日新聞』(1934.6.28 夕 P.8)
 

・『読売新聞』(1935.3.28 夕 P.1)
 

・『東京朝日新聞』(1935.4.13 朝 P.11)
 

・『読売新聞』(1935.6.26 夕 P.3)
 

・『読売新聞』(1936.7.5 夕 P.1)

 

・『読売新聞』(1936.11.27 夕 P.2)
 

・『京城日報』(1937.3.20 P.5)
 

・『大阪朝日新聞』(1937.7.9 朝 P.8)
 

・『大阪毎日新聞』(1937.12.3 朝 P.6)
 

・『読売新聞』(1941.4.12 夕 P.2)
 

・『読売新聞』(1942.5.19 夕 P.2)

○国立国会図書館所蔵(図書館向け送信サービス)
・『化学工芸 12(7)』昭和3年
 

・『音樂世界 2(4)』昭和5年
 

・特許局編『文字商標集 第6巻』帝日特許書院 昭和6年
 

・帝日特許書院『文字商標全集 第3』帝日特許書院 昭和6年
 

・藤井勇二編『業界年鑑興信録 : 拾周年記念 初編』商品興信新聞社出版部 昭和11年
 

・『文化映画 1(7)』文化映画協会 昭和13年
 

・『科学と模型 18(1)』朝日屋出版部 昭和13年
 

・『文化映画 2(1)』文化映画協会 昭和14年
 

・『文化映画 2(6)』文化映画協会 昭和14年
 

・『文化映画 2(7)』文化映画協会 昭和14年
 

・日出新聞社編 『自治制発布五十周年記念大東京自治半世紀』日出新聞社 昭和14年
 

・『文字商標集 第2巻』弁理士会 昭和28年
 

・特許庁編『特許分類別総目録 明治18年8月-昭和31年12月』技報堂 昭和33年
 

・特許庁編『実用新案分類別総目録 自明治38年7月至昭和31年12月 第1(実用新案 第1-66類)』

技報堂 昭和33年
 

・特許庁編『実用新案分類別総目録 自明治38年7月至昭和31年12月 第2』技報堂 昭和34年
 

・『文化財叢書 第41号~第50号』名古屋市教育委員会 昭和53年
 

・森本敏克『レコードの一世紀・年表』沖積舎 昭和55年
 

・内務省警保局編『出版警察概観 3』竜渓書舎 昭和56年
 

○国立国会図書館所蔵PD(著作権切れ文献)
・大蔵省印刷局編『官報 1913年11月08日』日本マイクロ写真 大正2年
 

・工業之日本社編『日本工業要鑑 大正8 〔上〕年度用(第9版)』工業之日本社 大正7年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1919年11月19日』大正8年
 

・大日本商工会編『大日本商工録 : 公認 第2輯』大日本商工会出版部 大正8年
 

・立石武三郎 菅野久一 『火災及爆発論 : 一名・燃焼爆発及危険物註解』同済号書房 大正8年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1919年12月23日』日本マイクロ写真 大正8年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1920年03月04日』日本マイクロ写真 大正9年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1920年04月09日』日本マイクロ写真 大正9年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1920年04月15日』日本マイクロ写真 大正9年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1920年05月03日』日本マイクロ写真 大正9年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1920年05月19日』日本マイクロ写真 大正9年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1920年11月30日』日本マイクロ写真 大正9年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1920年12月03日』日本マイクロ写真 大正9年
 

・大阪府内務部商工課編『大阪府下商工業者一覧』大阪商工倶楽部 大正9年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1921年05月23日』日本マイクロ写真 大正10年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1921年05月30日』日本マイクロ写真 大正10年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1921年06月04日』日本マイクロ写真 大正10年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1922年04月21日』日本マイクロ写真 大正11年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1922年06月09日』日本マイクロ写真 大正11年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1922年06月13日』日本マイクロ写真 大正11年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1922年06月26日』日本マイクロ写真 大正11年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1923年03月13日』日本マイクロ写真 大正12年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1923年03月24日』日本マイクロ写真 大正12年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1923年04月16日』日本マイクロ写真 大正12年
 

・武藤頼母編『大日本之化学工業』化学工芸社編纂部 大正12年
 

・工業之日本社編『日本工業要鑑 大正13年度用(第14版)』工業之日本社 大正12年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1924年04月21日』日本マイクロ写真 大正13年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1924年05月05日』日本マイクロ写真 大正13年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1924年06月16日』日本マイクロ写真 大正13年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1924年07月02日』日本マイクロ写真 大正13年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1924年07月03日』日本マイクロ写真 大正13年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1924年11月22日』日本マイクロ写真 大正13年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1925年04月17日』日本マイクロ写真 大正14年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1925年07月09日』日本マイクロ写真 大正14年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1925年07月23日』日本マイクロ写真 大正14年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1925年08月04日』日本マイクロ写真 大正14年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1925年08月12日』日本マイクロ写真 大正14年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1925年08月19日』日本マイクロ写真 大正14年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1925年08月27日』日本マイクロ写真 大正14年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1925年09月04日』日本マイクロ写真 大正14年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1925年09月15日』日本マイクロ写真 大正14年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1925年09月21日』日本マイクロ写真 大正14年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1925年10月20日』日本マイクロ写真 大正14年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1925年11月06日』日本マイクロ写真 大正14年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1926年02月09日』日本マイクロ写真 大正15年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1926年04月23日』日本マイクロ写真 大正15年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1926年06月15日』日本マイクロ写真 大正15年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1928年03月01日』日本マイクロ写真 昭和3年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1929年01月17日』日本マイクロ写真 昭和4年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1929年03月08日』日本マイクロ写真 昭和4年
 

・『大日本帝国商工信用録 昭和4年』博信社出版部 昭和4年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1930年02月27日』日本マイクロ写真 昭和5年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1931年01月26日』日本マイクロ写真 昭和6年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1931年04月04日』日本マイクロ写真 昭和6年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1931年09月17日』日本マイクロ写真 昭和6年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1931年10月23日』日本マイクロ写真 昭和6年
 

・通俗経済社編『最新業界人事盛衰録』通俗経済社 昭和6年
 

・大阪朝日新聞社広告部編『国産の精華』朝日新聞社 昭和6年
 

・中外産業調査会編『全国工場鉱業総纜 昭和6年版』中外産業調査会 昭和6年
 

・化学工業協会 化学工業時報社共編『化学工業博覧会要攬 第3回』第三回化学工業博覧会要

攬刊行会 昭和6年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1932年02月26日』日本マイクロ写真 昭和7年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1932年06月23日』日本マイクロ写真 昭和7年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1932年10月07日』日本マイクロ写真 昭和7年
 

・中西利八編『全日本業界人物大成 乾巻』全日本業界人物大成刊行会 昭和7年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1933年03月25日』日本マイクロ写真 昭和8年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1933年04月12日』日本マイクロ写真 昭和8年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1933年06月01日』日本マイクロ写真 昭和8年
 

・関西工業宣揚会編『大阪模範産業大鑑 昭和8年版』関西工業宣揚会 昭和8年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1934年02月08日』日本マイクロ写真 昭和9年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1934年03月24日』日本マイクロ写真 昭和9年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1934年05月01日』日本マイクロ写真 昭和9年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1934年05月19日』日本マイクロ写真 昭和9年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1934年06月13日』日本マイクロ写真 昭和9年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1934年12月04日』日本マイクロ写真 昭和9年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1935年01月18日』日本マイクロ写真 昭和10年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1935年03月01日』日本マイクロ写真 昭和10年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1935年05月18日』日本マイクロ写真 昭和10年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1935年06月07日』日本マイクロ写真 昭和10年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1935年06月22日』日本マイクロ写真 昭和10年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1935年07月05日』日本マイクロ写真 昭和10年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1935年07月15日』日本マイクロ写真 昭和10年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1935年09月10日』日本マイクロ写真 昭和10年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1935年09月30日』日本マイクロ写真 昭和10年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1935年10月22日』日本マイクロ写真 昭和10年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1935年11月22日』日本マイクロ写真 昭和10年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1935年11月28日』日本マイクロ写真 昭和10年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1935年12月10日』日本マイクロ写真 昭和10年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1935年12月26日』日本マイクロ写真 昭和10年
 

・福田龍雄『全国業界名鑑興信録 昭和10年版』日本貴金属時計新聞社 昭和10年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1936年01月17日』日本マイクロ写真 昭和11年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1936年02月19日』日本マイクロ写真 昭和11年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1936年02月24日』日本マイクロ写真 昭和11年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1936年03月17日』日本マイクロ写真 昭和11年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1936年06月30日』日本マイクロ写真 昭和11年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1936年07月02日』日本マイクロ写真 昭和11年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1936年07月16日』日本マイクロ写真 昭和11年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1936年07月17日』日本マイクロ写真 昭和11年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1936年11月06日』日本マイクロ写真 昭和11年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1936年12月17日』日本マイクロ写真 昭和11年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1937年02月23日』日本マイクロ写真 昭和12年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1937年06月07日』日本マイクロ写真 昭和12年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1937年08月04日』日本マイクロ写真 昭和12年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1937年10月30日』日本マイクロ写真 昭和12年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1937年11月01日』日本マイクロ写真 昭和12年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1937年11月09日』日本マイクロ写真 昭和12年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1937年11月19日』日本マイクロ写真 昭和12年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1937年11月24日』日本マイクロ写真 昭和12年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1937年12月01日』日本マイクロ写真 昭和12年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1937年12月16日』日本マイクロ写真 昭和12年
 

・特許局編『文字商標集 第7巻 上』帝国発明協会 昭和12年
 

・『[コッカレコード] [昭和12年]』コッカレコード 昭和12年
 

・帝国秘密探偵社編『大衆人事録 [全国篇] 12版』帝国秘密探偵社 昭和12年
 

・福田龍雄編『全国業界マーク大鑑 昭和12年』日本貴金属時計新聞社 昭和12年
 

・内務大臣官房文書課編『日本帝国国勢一斑 第53回』帝国地方行政学会 昭和12年
 

・『プレザントレコード : コッカレコード : 新譜目録附總目録 [昭和12年7月]』コッカレコード 

昭和12年
 

・『コッカレコード : 9月新譜及抜萃目録 : プレザントレコード : 新譜目録 [昭和12年9月]』コッ

カレコード 昭和12年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1938年01月12日』日本マイクロ写真 昭和13年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1938年02月04日』日本マイクロ写真 昭和13年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1938年03月17日』日本マイクロ写真 昭和13年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1938年04月09日』日本マイクロ写真 昭和13年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1938年07月06日』日本マイクロ写真 昭和13年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1938年09月22日』日本マイクロ写真 昭和13年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1938年12月02日』日本マイクロ写真 昭和13年
 

・内務大臣官房文書課編『日本帝国国勢一斑 第54回』帝国地方行政学会 昭和13年
 

・『蓄音機レコード製作所並發行所明細表 昭和13年末現在』内務省警保局圖書課 昭和13年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1939年04月15日』日本マイクロ写真 昭和14年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1939年04月20日』日本マイクロ写真 昭和14年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1939年08月24日』日本マイクロ写真 昭和14年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1939年08月25日』日本マイクロ写真 昭和14年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1939年10月21日』日本マイクロ写真 昭和14年
 

・日本工業新聞社編『工業取引案内 昭和14年度』日本工業新聞社 昭和14年
 

・内務大臣官房文書課編『日本帝国国勢一斑 第55回』帝国地方行政学会 昭和14年
 

・奈良繁太郎編『戦時日本発明界の人々 : 東亜再建の使命を帯ぶ 第3輯』帝国発明家伝記刊行会 

昭和14年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1940年06月15日』日本マイクロ写真 昭和15年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1940年07月15日』日本マイクロ写真 昭和15年
 

・帝国興信所編『帝国銀行会社要録 昭和15年(28版)』帝国興信所 昭和15年
 

・レコード世界社編『レコード音楽技芸家銘鑑 昭和15年版』レコード世界社 昭和15年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1941年09月29日』日本マイクロ写真 昭和16年
 

・帝国興信所 編『帝国銀行会社要録 昭和16年(29版)』帝国興信所 昭和16年
 

・帝国興信所 編『帝国銀行会社要録 昭和17年(30版)』帝国興信所 昭和17年
 

・帝国興信所 編『帝国銀行会社要録 昭和18年(31版)』帝国興信所 昭和18年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1944年09月21日』日本マイクロ写真 昭和19年
 

・大蔵省印刷局編『官報 1945年06月28日』日本マイクロ写真 昭和20年
 

・工業之日本社編『日本工業要鑑 大正15年度用(第16版)』工業之日本社 大正2-15年
 

・農商務省商工局工務課編『工場通覧 大正10年11月』日本工業倶楽部大正8-11 

ー中山熊吉とコッカレコード変遷考終ー

  今回は大阪で設立された”コッカレコード”について述べていきたいと思います。この記事は令和7年5月に記した”コッカレコード変遷考”の改訂版です。旧記事では個々の出典・典拠について明記されていなかったものを改めて明記し、内容の改訂を行いました。そのため”新旧記事で異なる記述がある”事をご了承下さい。

 

中山熊吉とコッカレコード変遷考前編は、国歌レコードを発行した”国際セルロイド工業株式会社”の変遷について主に述べていきたいと思います。


(画像1 国歌レコードの商標図案。レコード袋より)

〇中山熊吉という人物
 コッカレコードの変遷に於て重要な人物がいる、”中山熊吉”である。”中山熊吉”(1881~?)は明治14年12月、奈良県に生まれる。明治33年に奈良県立中学校を卒業し実業界入りしたと言われている※1。明治43年2月20日、中山はセルロイド櫛を製造する”和櫛製造機械”(特許第18071号)の特許を出願している。住所を確認してみると”大阪市清水谷西ノ町329番地”となっている事から、学校卒業後は大阪に移住しセルロイド産業に関わっていたようだ。

大正4年になると、中山は大阪府豊能郡庄内村菰江に”中山セルロイド加工場”を設立し、櫛や玩具等を製造するようになる※2。庄内村菰江には後にコッカレコードを発行する”国際セルロイド工業株式会社”が設立されている。同社には中山も常務取締役に就任している事から”中山セルロイド加工場が国際セルロイド工業に発展したのではないか”と考えている。

加工場の発展については、大正8年設立の国際セルロイド工業株式会社取締役”乙宗源次郎”(1886~?)並びに”菅高松”(?~1925)が関係しているのではないかと思う。乙宗と菅は大正2年11月1日に大阪府西成郡北中島村に”三国セルロイド製造所”を設立。しかし度重なる火災により死者を生じさせ、大正8年9月3日に同社は解散している※3。三国セルロイドの解散を受けて、乙宗と菅は新会社設立のため同業者の中山熊吉に協力を仰いだのではないかと筆者は考えている。

〇国際セルロイド工業株式会社設立
 大正8年10月17日、大阪府豊能郡庄内村菰江に”国際セルロイド工業株式会社”が設立される※4。国際セルロイド工業の商標”IC”(商標番号第127403号)は社名の”International Celluloid Industrial Co., Ltd.”の略称を図案化したものか。

【社名】
国際セルロイド工業株式会社

【住所】
大阪府豊能郡庄内村大字菰江332番地

【目的】
輸出向玩具玉櫛刷子自轉車用ケース及附屬具一般セルロイド
加工製造竝再製品販賣
(1923.6.29 ”セルロイド竝ニ其加工品製造販賣”に変更)

【資本】
1,000,000円

【代表】
菅高松

【取締役】
菅高松、中山熊吉、川崎季吉、福西由松、乙宗源次郎、土居綺子丸

【監査役】
田原寅吉、岸田正輔、小岸安昌


国際セルロイド工業は主にセルロイド製の自転車附属品や玩具などを製造・販売している。業績は好調だったようで、大正10年に職工数67人であったのが、大正15年には200人に増員している※5。一方で昭和3年6月5日に工場で火災が発生。火災により工場の大部分を焼失するが仮設の工場を建設し営業を再開している※6。

大正14年5月3日、代表の菅高松が死去し、中山熊吉が代表に就任するも半年ほどで退任。新たに小岸安昌が代表に就任する※7。このほか大正14年4月17日に工場の財団登記の申請が行われている。財団登記については社名を国際工業株式会社に改めた後、昭和7年6月23日、昭和9年5月19日にも財団登記の申請が行われている※8。

〇国歌レコード発行開始
 昭和3年頃、国際セルロイド工業はレコード産業に進出。昭和3年から昭和5年にかけて、レコードに関する特許を複数出願・登録している。発明者は中山熊吉、菅政信、黒田市治。

<特許番号/登録日/出願日>
・80450/1929.2.23/1928.5.26
・81074/1929.3.26/1928.5.17
・85458/1930.2.17/1928.11.17
・86684/1929.5.14/1928.12.11
・88736/1930.10.14/1929.7.5
・89869/1931.1.17/1930.2.3
・92931/1931.9.25/1930.6.11
特許庁編『特許分類別総目録 明治18年8月-昭和31年12月』167コマ


昭和4年2月、国際セルロイド工業は”国歌レコード製作所”の名称で”国歌レコード”の発行を開始したとされている※9。


(画像2 国歌『深川』村越和洋合奏団 8-A)


(画像3 国歌『南部坂雪の別れ』(一)吉田日の丸 EK573-A)

製作所と称しているが独立した会社ではなく、国際セルロイド工業の1部門であったと思われる。同製作所の文芸部員には作曲家の永井巴が在籍。また若き日の服部良一もサキソフォン奏者兼編曲者として吹込みに参加している※10。以下は服部良一の述懐。

「ぼくがレコードの仕事をはじめたのは、かなり古く、昭和四年のころだ。二十二歳の時分で、阪急沿線の三国にあった国歌レコードでジャズの吹き込みをしたことがある。セルロイド製の六インチ(約十五センチ)盤に、十人たらずのバンドで吹き込んだものだ。ぼくはサキソホンと編曲を担当した」
服部良一『僕の音楽人生』P.81



(画像4 国歌『江州音頭』国歌ジャズバンド 144-A)
昭和5年1月新譜。レーベルに記載はないが新譜広告には”服部良一氏編曲”とある※11。

国歌レコードは童謡や唱歌等の児童向け作品を主に吹込んだ6インチ盤、浪花節や民謡等を主に吹込んだ8インチ盤を発売。”落としても割れない、火にかけても燃えないレコード”が特徴であった。商標は国際セルロイド工業と同じく”IC”印


(画像5 国歌レコードの商標”IC”印)

ー商標番号第203133号ー
登録商標…IC(図案)/
商標番号…203133/
登録日…1928.11.15~11.17/
公告番号…4865/公告日…1928.8.7/
願書番号…7220/出願日…1928.5.10/
出願人…国際セルロイド工業株式会社/
分類…第22類/検索ワード…1928-4865
備考…蓄音機及音譜盤其ノ他樂器一切



(画像6 商標登録された8インチ盤レーベル)

ー商標番号第213741号ー
登録商標…Kokka(レーベル)/
商標番号…213741/
登録日…1930.2.19~2.27/
公告番号…7263/公告日…/1929.10.22
願書番号…10001/出願日…1929.6.8/
出願人…国際セルロイド工業株式会社/
分類…第22類/検索ワード…1929-7263
備考…蓄音器及音譜盤其ノ他樂器一切



(画像7 国歌レコードのスリーブ)

国歌レコードのレコード袋には”不燃性にしてセルロイド製品に非ず”と記されているが、この記述は中山熊吉発明の”柔軟セルロイド製造法”(特許番号第80449号)と菅政信発明の”カゼイン角質物硬化法”(特許公告昭和5年第4170号)の特許に基づくレコード素地についての記載と思われる。いずれの特許も難燃性合成樹脂に関するもので、両特許に使用されている”硝化綿・松精油・酒精・カゼイン”は先述のレコードに関する特許にも使用されている。発明者の菅政信については詳細不明。初代社長の菅高松の親戚だろうか。

なお国際セルロイド工業は”カゼイン角質物硬化法”の特許権をめぐって大日本セルロイド株式会社との間で訴訟が発生。大日本セルロイド社所有の”牛乳カゼインより角質物の製造法”(特許第71943号)とその他特許に関する裁判は昭和9年6月23日に和解が成立し、特許権の分権化がなされた※12。

〇参考資料

(画像8 国歌『お月様』島倉まり子 23-A)
6インチ盤。番号は1から始まりか。初期の音盤か、レーベルに電気吹込の表記なし。盤面に”PATENT”の陽刻印あり。商標周辺には”REGISTERED  PATENTS  RECORDS  TRADE  MARK”とあり、下部には”KOKKA RECORD CO., LTD. MADE IN JAPAN”の文字が記載されている。


(画像9 国歌『蓄音機』藤井清子 169-A)
6インチ盤。レーベルに電気吹込の表記あり。


(画像10 国歌『水夫の唄』鈴木白洋 98-A)
6インチ盤。前掲のレーベルと商標が異なり”IC”印に羽が付されている。また商標周辺の”PATENTS  RECORDS  TRADE  MARK”の文字がない。


(画像11 彩り豊かな6インチ盤)
児童向けのためか、レコードに様々な着色が施されている。黒色以外の音盤は光源に照らすと透けて見える。


(画像12 国歌『黒谷和讃』(上)山村豊子 EK582-A)
8インチ盤。番号は500から始まりか。6インチ盤と異なり色彩は黒のみ。盤面に”PATENT”の陽刻印あり。レーベルには”ELECTRIC RECORDING 電氣吹込”とあり、下部には”KOKKA RECORD CO., LTD. MADE IN JAPAN”の文字が記載されている。


(画像13 『黒谷和讃』(上)の文句カード)

〇改称”国際工業株式会社”
 昭和5年12月29日、国際セルロイド工業株式会社は社名を”国際工業株式会社”に変更。翌昭和6年6月29日には本店住所および目的を変更している※13。

<住所変更>
【1919.10.17】
大阪府豊能郡庄内村大字菰江332番地

【1931.6.29】
大阪府豊能郡庄内村大字菰江331番地ノ1


<目的変更>
【1931.6.29】
一セルロイド製造竝ニ其各製造販賣
二化學工業品ノ製造及販賣
三音譜製造吹込竝ニ販賣
四蓄音機製造販賣
右ニ關聯ノ事業及投資


社名変更後も国歌レコード製作所の名称は継続。”国際工業株式会社国歌レコード製作部”の名称も用いており、この時点でも国際工業の1部門であった事が伺える※14。

昭和6年頃、国際工業株式会社が発行するレコードの年間生産数は120万枚に達し、新たに10インチのシェラック盤の発行を開始。正確な発行開始時期は不明だが、昭和7年1月新譜『桜田門外』(一)(鼈甲斎虎丸入道)の番号が”EK3022-A”なので、”10インチ盤の発行開始は昭和6年11月から12月頃”と思われる※15。


(画像14 コッカ『桜川五郎蔵』(一)京山小円 EK3066-A)
10インチのシェラック盤。番号3000番台。8インチ盤のレーベルデザインを採用。”コクカレコード”の文字が追加される。


(画像15 『桜川五郎蔵』(一)の文句カード)

10インチ盤以外に6インチ盤、8インチ盤を引き続き発行。商標は”IC印”から”竪琴・KOKKA”に変更している。


(画像16 コッカレコードの商標)

ー商標番号第234579号ー
登録商標…Kokka(図案)/
商標番号…234579/
登録日…1932.5.16~5.17/
公告番号…9091/公告日…1931.10.29/
願書番号…8480/出願日…1931.5.9/
出願人…国際工業株式会社/
分類…第22類/検索ワード…1931-9091
備考…蓄音機、音譜盤其ノ他樂器一切



(画像17 商標登録された10インチ盤レーベル)


ー商標番号第238659号ー
登録商標…Kokka(レーベル)/
商標番号…238659/
登録日…1932.12.3~12.5/
公告番号…3128/公告日…1932.5.26/
願書番号…18257/出願日…1931.10.13/
出願人…国際工業株式会社/
分類…第22類/検索ワード…1932-3128
備考…蓄音機及音譜盤


昭和6年3月発行の『国産の精華』にコッカに関する記述があるので引用する。


(画像18 国際セルロイド工業の工場か)


(画像19 国歌レコードに関する記述)

    國歌レコード
破れない國產レコード 國歌レコード製作所


◇大衆によびかける音樂の、やうやく盛んならんとする時にあたつて、蓄音器レコードもこゝに著るしき進出を途ぐるにいたつた。このことは民衆娛樂の普及發達の上からみて、大いなる喜びである。

◇同社發賣の「國歌レコード」はその價の至廉なる點において、その形狀の携帶に便利なる點において、今や民衆的レコードとして、よくその使命を果し、異常なる高評を受けつゝ、ます/\その聲價を高むるにいたつた。

◇同社が「國歌レコード」を製作發賣するに至つたのは、實に昭和三年の二月で、加速度的の需要は遂に當初の機械設備を倍加しても、なほ頻々たる大量註文に應ずる能力なきを屢々歎ぜしめたのである。この一點疑ひなき事實にみても、いかに「國歌レコード」が民衆の指示と要望のもとに、長足の進步發展を遂げ、その生產販賣高は先進一流レコードのそれに比肩すべき盛況を、雄辯に物語つてゐる。

◇かくの如く、「國歌レコード」の販賣基礎はやうやく確立するにいたつたので同社はます/\國歌レコードの本然の面目を發揮し、その趣旨の貫徹につとめてゐる。卽ち優秀なる理想的兒童レコードの吹込み製作、兒童歌謠の最高標準たるべき權威あるレコードの普及唱導は同社唯一の目的である。

◇破損しない………一本の針が數十回使へて、肉聲そのまゝ聞える理想的のものである。大阪市外三國町菰江に本社を有する。
大阪朝日新聞社広告部編『国産の精華』52コマ


〇参考資料

(画像20 コッカ『さくら音頭』東京利太郎 松山富士夫 8000-A)

昭和9年頃発売か。番号8000番台。昭和9年8月から内務省警保局による検閲が開始。レーベルに検閲済みを示す”納付済”の記載がないので昭和9年8月以前に発行したもの。


(画像21 コッカ『新国境警備の唄』よし町喜代香 8005-A)

宣伝盤。昭和9年頃に商標が改められ”竪琴・K・コッカ”となる。レーベルも新デザインに変更され、下部に”MEID IN JAPAN KOKKA REKORD CO., LTD. HANKYU LINE”の文字が記載される。


(画像22 コッカ『鬼若三次』(一)京山幸枝 10023-A)
番号10000番台。


(画像23 『鬼若三次』(一)の文句カード)

 

※1:
レコード世界社編『レコード音楽技芸家銘鑑 昭和15年版』175コマ
藤井勇二編『業界年鑑興信録 : 拾周年記念 初編』93コマ

※2:工業之日本社編『日本工業要鑑 大正8 〔上〕年度用(第9版)』683コマ

※3:
大蔵省印刷局編『官報 1919年11月19日』19コマ
大蔵省印刷局編『官報 1913年11月08日』15コマ
立石武三郎、菅野久一『火災及爆発論 : 一名・燃焼爆発及危険物註解』53コマ、56~57コマ

※4:
大蔵省印刷局編『官報 1919年12月23日』20コマ
大蔵省印刷局編『官報 1924年04月21日』20コマ

※5:
農商務省商工局工務課編『工場通覧 大正10年11月』506コマ
工業之日本社編『日本工業要鑑 大正15年度用(第16版)』591コマ

※6:

『読売新聞』(1928.6.6 朝 P.7)
『化学工芸 12(7)』39コマ

※7:
大蔵省印刷局編『官報 1925年08月04日』14コマ
大蔵省印刷局編『官報 1925年08月19日』12コマ
大蔵省印刷局編『官報 1925年09月04日』14コマ
大蔵省印刷局編『官報 1925年10月20日』7コマ
大蔵省印刷局編『官報 1926年02月09日』8コマ

※8:
大蔵省印刷局編『官報 1925年04月17日』9コマ
大蔵省印刷局編『官報 1932年06月23日』9コマ
大蔵省印刷局編『官報 1934年05月19日』10コマ

※9:
通俗経済社編『最新業界人事盛衰録』260コマ

※10:
『音樂世界 2(4)』47コマ

※11:『読売新聞』(1930.1.4 朝 P.8)

※12:『東京朝日新聞』(1934.6.28 夕 P.8)

※13:
大蔵省印刷局編『官報 1931年04月04日』24コマ
大蔵省印刷局編『官報 1931年09月17日』8コマ

※14:『文化財叢書 第41号~第50号』337コマ

※15:
『京城日報』(1932.1.9 P.6)
化学工業協会 化学工業時報社共編『化学工業博覧会要攬 第3回』38コマ
『櫻田門外/浪曲SPレコードデジタルアーカイブ』
https://kutsukake.nichibun.ac.jp/rsp/?reg=518054

 

ー次回へ続くー

 今回は奈良県で設立された日本ファスト蓄音器株式会社、ニッポン蓄音器株式会社、日本絵本レコード株式会社について述べていきたいと思います。なおこの記事は神戸新聞記者山崎整氏が取材した『【9】奈良・あやめ池系(上)/昭和10年代に3社相次ぐ』並びに『【10】奈良・あやめ池系(下)/経営者など依然なぞ』(『神戸新聞』所載『関西発 レコード120年 埋もれた音と歴史  第7部 レコード各社興亡秘話』)を主な参考文献としている事を明記します。


新興蓄音器株式会社設立
 昭和9年12月21日、奈良県生駒郡伏見村に”新興蓄音器株式会社”が設立される※1。

【社名】
新興蓄音器株式会社

【住所】
奈良県生駒郡伏見村大字菅原1182番地ノ2

【目的】
蓄音器レコードノ製造販賣及附屬品ノ販賣

【資本】
50,000円

【代表】
藤山一益

【取締役】
藤山一益、辻中政太郎、勝山徳蔵、石井専太郎、東田瀧蔵

【監査役】
宇野清治、松川数一、辻中栄太郎


新興蓄音器がどの様なレコードを発行したかは不明だが、昭和9年12月31日にレコードのレーベルを商標出願している。

ー商標番号第?号ー
登録商標…?(レーベル)/
商標番号…?/
登録日…?/
公告番号…4483/公告日…1935.5.23/
願書番号…63/出願日…1934.12.31/
出願人…新興蓄音器株式会社/
分類…第22類/検索ワード…1935-4483
備考…樂器、蓄音機竝其ノ各部及附屬品


上記の商標は後に”ファストレコード”と命名され、日本ファスト蓄音器が発行している。

〇日本ファスト蓄音器株式会社設立
 昭和10年5月6日、新興蓄音器株式会社は社名を”日本ファスト蓄音器株式会社”に変更※2。ファスト蓄音器は大阪電気軌道沿線”あやめ池”に所在し、本社・吹込所を新興蓄音器と同じく奈良県生駒郡伏見村大字菅原1182番地ノ2に置いた。ファスト蓄音器はファストレコードバイエルレコードを発行している。


(画像1 ファスト『加茂の磧』(四)京山幸枝 1506-B)

レコードの価格は以下の通り※3。

<価格>
【ファスト】
黒盤………1円
海老茶盤…1円50銭

【バイエル】
緑盤………50銭


同社では作曲家の”片岡志行”が総務支配人として迎えられている。”片岡志行”(?~?)は大正10年頃に大阪松竹座でヴァイオリニスト兼指揮者を務めていた人物で、後に太平蓄音器や帝国蓄音器では文芸部長として勤務している※4。


(画像2 歌詞カードより。作曲家”片岡志行”)

ファスト蓄音器の工場については以下の様な記述がある。

「工場設備またはその規模他に比を見ず、ドイツ某社より特許權を讓渡されたるエヤープレツス三十台を整備、一日三万枚の生産能力を有する」
大阪毎日新聞社編『日本都市大観 昭和11年版』484コマ


生産設備の優秀さを誇る一方で、同社で吹込経験がある”近藤広”は妻に以下の様に語ったとされている。山崎記者によると近藤は大日本蓄音器の作曲家で、戦後はマーキュリーやポリドールの文芸部長を歴任した人物とのこと。

「薄暗い掘っ立て小屋のような建物の中で、とてもスタジオなんてものではなかった。真夏のせいか、バンドマンも裸で汗だくの演奏をしていた。ステテコ一丁で指揮をしていた人は片岡志行という作曲家だった」
山崎整『【10】奈良・あやめ池系(下)/経営者など依然なぞ』(『神戸新聞』所載『関西発 レコード120年 埋もれた音と歴史  第7部 レコード各社興亡秘話』より)


近藤の話によると吹込所自体が粗末な造りであった事が伺える。レコード会社の要とも言える吹込所がその様な状態である事から、前述の”一日三万枚の生産能力”も些か疑わしく思える。

山崎記者によるとファスト蓄音器第1回新譜は昭和10年8月である事が判明している。しかし新譜発行は昭和10年10月の第3回で発行を停止。『出版警察概観 3』には以下の記述がある。

「本製作所ハ設立後間モナク債權關係ノ訴訟事件アリ爾後休業狀態ニ在リ」
内務省警保局編『出版警察概観 3』517コマ


”債権関係ノ訴訟事件”がどのような事件であったかは不明だが、会社存続に係る程であった事が分かる。また社長の藤山一益が別の贈賄事件に関わっていた事もあってか、日本ファスト蓄音器株式会社は昭和10年12月29日に解散する※5。

〇ニッポン蓄音器株式会社設立
 昭和12年8月26日、奈良県生駒郡伏見村に”ニッポン蓄音器株式会社”が設立される※6。

【社名】
ニッポン蓄音器株式会社

【住所】
奈良県生駒郡伏見村大字菅原1156番地ノ3

【目的】
一蓄音器及ヒレコードノ製作竝ニ販賣
二前記ニ附帶スル一切ノ業務
三同種事業ニ投資

【資本】
50,000円

【代表】
松井なや

【取締役】
松井なや、大谷庄蔵、山口芙佐栄、山口天龍

【監査役】
松井清、島岡孝充


ニッポン蓄音器第1回新譜日は不明だが、昭和12年12月にレコード10余種を内務省に納付している。毛利眞人氏によると、内務省への新譜盤納付は発行の3日前までとされているので、第1回新譜日は昭和13年1月前後ではないかと思う※7。

工場の所在地は不明だが、山崎記者が指摘している様に旧ファスト蓄音器の工場跡地を利用していた可能性がある。


(画像3 ニッポン『浅妻船』(一)松島庄三郎 162-A)


(画像4 『浅妻船』(一)文句カード)


(画像5 ニッポンレコードのスリーブ)


(画像6 画像5の片面)

ニッポン蓄音器は主に他社の原盤を買収し再プレスしたニッポンレコードトキワレコードを発行している※8。内務省の資料には以下の様に記されている。

「本社發行ノレコードハ太陽蓄音器會社及東京レコード製作所及オーゴンレコード會社(孰レモ東京ニ所在シタレコード會社ニシテ現在ハ解散廢業)ノ原盤ヲ買收シ複製發行ヲ主タル業務トシ新吹込ハ殆ンド爲サズ」
『蓄音機レコード製作所並發行所明細表 昭和13年末現在』7コマ


奈良のニッポン蓄音器が東京のレコード会社の原盤を、どの様な経緯で買収に至ったのだろうか。時期が若干異なるが、昭和録音株式会社取締役”原田五郎”(1895~?)が昭和14年5月20日にファスト蓄音器があった”伏見村大字菅原1182番地”に住所変更しているのが気になる※9。原田は元々太平蓄音器の工場長であり、大日本蓄音器時代には取締役に就任しているが、後に辞任し昭和録音の取締役に就任している※10。昭和録音はオーゴンレコードの工場や原盤を手中に収める昭和蓄音器株式会社と関係があり、何らかの関係性があるのではないかと考えている。

(画像7 ニッポン『国定忠治』(三)広沢虎造 342-A)

 

前掲の『浅妻船』とはレーベルが一部異なっている。商標周りの”NIPPON  RECORD ””REGISTERED  TRADE  MARK”の文字がなく、下部の”AYAME  GAIKE”の文字が”AYAMEIKE  NARA”となっている。

昭和12年8月に設立されたニッポン蓄音器だが、売行は振るわなかったのか、年間生産数は他社に比べると非常に少量であった。以下は各社の年間生産数。

<各社年間生産数>(1937.11~1938.10 迄)
コロムビア……6,030,000
ビクター………4,181,600
ポリドール……3,392,928
テイチク………2,264,469
大日本蓄………2,010,874
キング…………1,428,402
ショーチク……851,823
アサヒ…………410,552
コッカ…………365,228
福永……………315,042
ニッポン………77,905
コンパル………25,000
邦楽同好会……5,000
目黒音研………403

内務大臣官房文書課編『日本帝国国勢一斑 第55回』278コマ


<各社年間生産数>(1938.7~1939.6 迄)
コロムビア……7,500,000
ビクター………5,120,507

テイチク………3,934,002
キング…………3,327,522
ポリドール……3,153,471
大日本蓄………2,212,941
ショーチク……672,980
福永……………362,797
アサヒ…………354,392
コッカ…………235,000
ニッポン………158,701
目黒音研………16,276
邦楽同好会……4,880

『蓄音機レコード製作所並發行所明細表 昭和13年末現在』30コマ


ニッポン蓄音器の存続期間は不明だが、昭和14年10月には、おそらくニッポン蓄音器と同地に”日本絵本レコード株式会社”が設立されている。また前掲の『蓄音機レコード製作所並發行所明細表 昭和13年末現在』に掲載された年間生産数に関する資料が昭和14年6月末までの調査資料なので、廃業したのは”昭和14年7月から9月頃まで”である事が推測できる

〇山口天龍と全勝キネマ
 昭和12年に設立されたニッポン蓄音器には興味深い人物が取締役に就任している。”山口天龍”である。


(画像8 全勝キネマ社長”山口天龍”)

国立国会図書館デジタルコレクション所蔵、『大阪新人物誌』(夕刊大阪新聞社 昭和9年)102コマ掲載。

”山口天龍”(1895~1970?)は明治28年1月30日(31日記述もあり)生まれ。玉木潤一郎によると山口の出身は高知県だとされている※11。義弟は映画俳優の市川右太衛門。経歴については不明な点が多いが、あやめ池遊園地内に設立された”市川右太衛門プロダクション”の2代目所長に就任しているほか、昭和8年には映画製作配給会社”合資会社山口商会”を設立している※12。

昭和11年4月1日、奈良県生駒郡伏見村に”全勝キネマ株式会社”が設立される※13。

【社名】
全勝キネマ株式会社

【住所】
奈良県生駒郡伏見村大字西大寺1212番地ノ2

【目的】
一活動寫眞ノ撮影及製作
二活動寫眞ノ販賣及貸附竝ニ常設館經營
三蓄音機及レコードノ製作販賣
四前記各項ニ附帶スル一切ノ業務
五同種事業ノ投資

【資本】
10,000円

【代表】
山口天龍

【取締役】
山口天龍、山口芙佐栄、今井孝吉、西田楢三郞、山中嘉之助

【監査役】
島岡孝一


田中純一郎氏によると、全勝キネマはあやめ池遊園地内に設立された市川右太衛門プロダクションの設備を利用し映画を製作。主にサウンド版(音楽付き無声映画)や解説版トーキーを製作していたという※14。筆者が気になったのが目的の”蓄音機及レコードノ製作販売”である。映画会社である全勝キネマが、何故レコード製作を行うようになったのか。以下の記述がレコード製作に関係していると思われる。

「全勝キネマは右太プロ支配人の山口天龍氏が、右太衞門を松竹に離した直後、從來第二部と云つてゐたものに、二三の新メムバーを加入させて名乘りを擧げたのである。そして初期の聲明では、大軌電鐵の援助で大軌沿線にトーキーステーヂ二棟を建設一ヶ月にトーキー一本、代劇製作といふのであつたがサウンド版三本、(五月)、計四本の時俺の二十萬圓の「全勝キネマ株式會社」が生れた頃には、以前、右太衛門が使用してゐたあやめケ池の舊スタデイオを使ひ、フアースト·レコード會社と提携してトーキーやサウンド版を作るといふステーヂを一棟建てたが、直ぐに發表し始め、設備は頗る不完全なものであつた」
『キネマ旬報 (689)』14コマ
【注記】国立国会図書館内限定資料。当地閲覧不可能のため、キーワード検索による表示文を引用。


不完全ではあるが上記の資料によると、全勝キネマは”ファーストレコード会社”と提携していたとされている。この”ファーストレコード会社”は先に述べた”日本ファスト蓄音器株式会社”の事だと思われる。当時ファスト蓄音器は既に解散しており、工場は遊休状態にあったと思われる。一方で全勝キネマはサウンド版やトーキー製作のため録音(吹込)技術の取得が必要であり、両社の利害が一致した結果、提携に至ったのではないだろうか。

なお全勝キネマトーキー部(トーキー室とも)は”ファスト蓄音器施設内”に設立された様で、電話番号は共に”富雄28番”である事が確認できる。この”全勝キネマトーキー部”が発展して後に”ニッポン蓄音器株式会社”設立に至ったのではないかと筆者は考えてる。ちなみに全勝キネマ製のレコードについては、筆者の調べた限り発行されたかは不明である。

「日本ファスト蓄音器株式會社
大阪大軌沿線あやめ池 冨雄二八」
藤井勇二編『業界年鑑興信録 : 拾周年記念 初編』85コマ

「全勝キネマ株式會社 山口天龍
撮影所 奈良市外大軌沿線あやめ池
電話 冨雄三十六番
同 トーキー部 二十八番」
『キネマ週報 = The movie weekly (283)』40コマ


トーキー部と同一のものだろうか、録音ステージが1棟(36坪)建設されているのを確認している※15。

上記以外に”大阪電気軌道株式会社”が全勝キネマ設立に関わっているのも興味深い。全勝キネマは設立当初は資本金1万円だが、昭和11年8月15日に資本金を9万円に増資している※16。資料によっては資本金20万円とするものもあり、残る11万円を大阪電気軌道側が負担したという事だろうか。援助の目的はあやめ池遊園地内の撮影所を観光名所として存続させるため援助を行ったのか。詳細は不明である。

ニッポン蓄音器設立の約3週間前、昭和12年8月3日にあやめ池の全勝キネマ撮影所で火災が発生。被害額40万円※17。脚本家の”南郷亘”は以下の様に述壊している。

「事務所や衣装や小道具の倉庫編集室などを全焼し、幸い小さな丘ひとつ隔てたセットステージの方は無事だつたが、何より大切なキャメラやレンズのすべてを焼いてしまつた」
南郷亘『映画今昔物語 第六話 松之助余聞』(『そめとおり (290)』139コマ 所収)


全勝キネマは火災後も映画製作を継続したが昭和15年10月に松竹に買収され、翌昭和16年1月に”興亜映画株式会社”として設立。その後”興亜興行株式会社”となり、興行会社として存続している※18。

〇松井いとと松井商会
 山口天龍の全勝キネマと同じく、ニッポン蓄音器との関係性を感じる会社が昭和13年8月1日に設立される※19。”合名会社松井商会”である。

【社名】
合名会社松井商会

【住所】
大阪市南区瓦屋町5番丁19番地

【目的】
一レコード蓄音器及附属品販売並ニ修理
二銑鉄及諸機械並工具販売
三皮革代用品販売

【代表】
松井いと

【社員/出資金】
松井いと……5,000円
木下治男……3,000円
上野寅蔵……2,000円


松井商会はレコードや工具等の販売を目的に設立された会社で、代表は”松井いと”という人物。松井の経歴等については不明。設立当初、松井商会は大阪南区瓦屋町に設立されたが、昭和14年7月20日にニッポン蓄音器と同じく”奈良県生駒郡伏見村大字菅原1156番地”に移転している※20。松井商会は昭和14年11月3日に解散しているが清算人”今津広吉”の住所も”奈良県生駒郡伏見村大字菅原1156番地ノ3”となっており、ニッポン蓄音器と何らかの関係があるのではないかと考えている。

松井いとと同じく大阪市在住で松井姓であるニッポン蓄音器代表”松井なや(松井奈弥)”も関係しているのではないかと考えている。松井なやの経歴等については不明だが、ニッポン蓄音器代表兼取締役就任以前に”全勝ビル株式会社”の取締役に就任しているほか、後に全勝キネマの取締役に就任している※21。全勝ビルの代表”山口トメ”山口天龍と同地に居住していた事があるので親戚筋と思われる※22。

松井商会や松井いと、松井なや等がニッポン蓄音器にどの様に関係したかは残念ながら不明である。

〇日本絵本レコード株式会社設立
 昭和14年10月、奈良県生駒郡伏見村大字芳原(”菅原”の誤植か?)に”日本絵本レコード株式会社”が設立される※23。代表について山崎記者は”横沢啓介”と記しているが、商標公告には”横沢熊治郎”と記されてる。横沢は印刷業を営んでいるようだが詳細は不明である※24。

ー商標番号第?号ー
登録商標…エホンレコード?NEC?/
商標番号…?/
登録日…?/
公告番号…5261/公告日…1941.7.24/
願書番号…24590/出願日…1939.12.4/
出願人…横沢熊治郎/
分類…第22類/検索ワード…1941-5261
備考…音譜盤


商標にはライロフォンやスタークトンで用いられた”象印”が用いられている。

日本絵本レコードは児童向け8インチピクチャー盤”エホンレコ-ド”を発行。製造技術に関しては同社独自のものではなく、酒井欽三の特許である”第64577号””第71413号”を用いて製造している※25。工場はについては山崎記者が指摘している様にニッポン蓄音器の工場跡地を使用している可能性がある。


(画像9 エホン『牛若丸』塩谷のぶ子 505)


(画像10 エホン『浦島太郎』原田良子 506)


(画像11 エホン『僕は軍人』507)


(画像12 エホン『金太郎』塩谷のぶ子 508)

本社は大阪に置かれていたのだろうか、盤面をよく見てみると”大阪 日本繪本レコード株式會社製造”と記載されている。


(画像13 盤面に”大阪”の文字あり)

ピクチャー盤を発行した日本絵本レコードだが、その存続期間は不明である。山崎記者の記事にある様に、日米開戦から程なくして解散したのではないかと考えられる。

奈良あやめ池の系譜はピクチャー盤を製造した日本絵本レコード株式会社を以てその幕を閉じた。

〇終わりに
 今回は奈良あやめ池の日本ファスト蓄音器、ニッポン蓄音器、日本絵本レコードについて記した。今なお不明な点が多く、推測の域をでないものが多くなってしまった。今後新たに判明した事があれば追記していきたいと思う。

短いながらも”奈良あやめ池のレコード会社考”はこれにて終わりであります。

※1:大蔵省印刷局編『官報 1935年02月14日』12コマ

※2:大蔵省印刷局編『官報 1935年07月09日』33コマ

※3:
大阪毎日新聞社編『日本都市大観 昭和11年版』484コマ 大阪毎日新聞社 昭和11年
内務省警保局編『出版警察概観 3』517コマ 竜渓書舎, 1981.1

※4:
レコード世界社編『レコード音楽技芸家銘鑑 昭和15年版』19コマ
テイチク株式会社社史編纂委員会企画編集『レコードと共に五十年』32コマ
大森盛太郎『日本の洋楽 : ペリー来航から130年の歴史ドキュメント 1』65コマ、70コマ

※5:
大阪毎日新聞社、東京日日新聞社編『毎日年鑑 昭和12年』125コマ
大蔵省印刷局編『官報 1936年02月24日』12コマ

※6:大蔵省印刷局編『官報 1937年12月16日』32コマ

※7:
毛利眞人『幻のレコード 検閲と発禁の「昭和」』P.78~79
『出版警察資料 (29)』79~80コマ

※8:『蓄音機レコード製作所並發行所明細表 昭和13年末現在』7コマ

※9:大蔵省印刷局編『官報 1939年09月06日』45コマ

※10:
大蔵省印刷局編『官報 1936年08月13日』30
大蔵省印刷局編『官報 1938年03月12日』26
大蔵省印刷局編『官報 1938年06月25日』23
大蔵省印刷局編『銀行会社職員録 昭和16年版』586コマ
内務省警保局編『出版警察概観 3』202コマ
レコード世界社編『レコード音楽技芸家銘鑑 昭和15年版』205~206

※11:玉木潤一郎『日本映画盛衰記』P.189

※12:
大蔵省印刷局編『官報 1933年12月02日』27コマ
国際映画通信社編『日本映画事業総覧 昭和5年版』83コマ

※13:大蔵省印刷局編『官報 1936年06月20日』16コマ

※14:田中純一郎『日本映画発達史 第2』155コマ

※15:国際映画協会編『国際映画協会事業報告 昭和11年度』38コマ

※16:大蔵省印刷局編『官報 1936年10月27日』18コマ

※17:山川秀好『日本火災史 昭和12年(第12巻)』45コマ

※18:
日本映画協会編『映画年鑑 昭和18』397コマ
市川彩、石巻良夫『映画新体制論』60コマ

※19:大蔵省印刷局編『官報 1938年10月07日』29コマ

※20:大蔵省印刷局編『官報 1939年09月22日』38コマ

※21:
大蔵省印刷局編『官報 1937年01月16日』13コマ
新文芸創作講座編輯部編『新文芸創作講座 別巻 (新文芸手帖)』31コマ

※22:大蔵省印刷局編『官報 1933年12月02日』

※23:商工省編『全国工場通覧 昭和16年版』945コマ

※24:交詢社編『日本紳士録 40版(昭和11年)』524コマ

※25:『笑ひ小狸』(『昭和館デジタルアーカイブ』所蔵)
https://search.showakan.go.jp/search/record/detail.php?id=90338138

(画像14 ニッポン蓄音器の商標)

〇参考書籍
・玉木潤一郎『日本映画盛衰記』万里閣 昭和13年

・毛利眞人『SPレコード入門 基礎知識から資料活用まで』スタイルノート 令和4年

・保利透『SPレコード博物館』Pヴァイン 令和5年

・毛利眞人『幻のレコード 検閲と発禁の「昭和」』講談社 令和5年

〇参考WEBサイト
・『国立国会図書館デジタルコレクション』(日本データベース)
https://dl.ndl.go.jp/

・『特許情報プラットフォーム|J-PlatPat [JPP]』(日本データベース)
https://www.j-platpat.inpit.go.jp

・『昭和館デジタルアーカイブ』(日本データベース)
https://search.showakan.go.jp/

・『関西発 レコード120年 埋もれた音と歴史  第7部 レコード各社興亡秘話』(日本WEBサイト)
https://web.archive.org/web/20080611145813/https://www.kobe-np.co.jp/tokushu/record/record-link.html

・78MUSIC『78MUSIC』(日本WEBサイト)
http://78music.jp/index.html

・ザリガニ『SPレコードレーベル図鑑』(日本WEBサイト)
https://zarigani3.web.fc2.com/hp5.htm

・『第28回 戦前期の日本の映画撮影所(3) – 国立映画アーカイブ』(日本WEBサイト)
https://www.nfaj.go.jp/onlineservice/digital-gallery/nfaj-digital-gallery-no-28/

・『トーキー - Wikipedia』(日本WEBサイト)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%BC

・『サウンド版 - Wikipedia』(日本WEBサイト)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E7%89%88

・『全勝キネマ - Wikipedia』(日本WEBサイト)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E5%8B%9D%E3%82%AD%E3%83%8D%E3%83%9E

・『大阪電気軌道 - Wikipedia』(日本WEBサイト)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E9%9B%BB%E6%B0%97%E8%BB%8C%E9%81%93

〇国立国会図書館内限定資料
・『キネマ旬報 (689)』キネマ旬報社 昭和14年

○国立国会図書館所蔵(図書館向け送信サービス)
・藤井勇二編『業界年鑑興信録 : 拾周年記念 初編』商品興信新聞社出版部 昭和11年

・『キネマ週報 = The movie weekly (283)』キネマ週報社 昭和12年

・『出版警察資料 (29)』内務省警保局 昭和13年

・商工省編『全国工場通覧 昭和16年版』日刊工業新聞社 昭和16年

・田中純一郎『日本映画発達史 第2』中央公論社 昭和32年

・大阪市選挙管理委員会事務局編『[選挙の記録] 昭和46年 [1]』大阪市選挙管理委員会 昭和46年

・『そめとおり (288)』染織新報社 昭和49年

・『そめとおり (289)』染織新報社 昭和49年

・『そめとおり (290)』染織新報社 昭和50年

・『伏見町史』伏見町史刊行委員会 昭和56年

・内務省警保局編『出版警察概観 3』竜渓書舎 昭和56年

・大阪府議会史編さん委員会編 『大阪府議会史 第6編』大阪府議会 昭和58年

・テイチク株式会社社史編纂委員会企画編集『レコードと共に五十年』テイチク 昭和61年

・大森盛太郎『日本の洋楽 : ペリー来航から130年の歴史ドキュメント 1』新門出版社 昭和61年

・漆原良和『SP邦盤異種レーベル考』漆原良和 平成7年

○国立国会図書館所蔵PD(著作権切れ文献)
・国際映画通信社編『日本映画事業総覧 昭和5年版』国際映画通信社 昭和5年

・大蔵省印刷局編『官報 1933年12月02日』日本マイクロ写真 昭和8年

・西田裕臣編『大阪新人物誌』夕刊大阪新聞社 昭和9年

・大蔵省印刷局編『官報 1935年02月14日』日本マイクロ写真 昭和10年

・大蔵省印刷局編『官報 1935年07月09日』日本マイクロ写真 昭和10年

・大蔵省印刷局編『官報 1935年07月22日』日本マイクロ写真 昭和10年

・大蔵省印刷局編『官報 1935年09月26日』日本マイクロ写真 昭和10年

・大蔵省印刷局編『官報 1935年12月12日』日本マイクロ写真 昭和10年

・大蔵省印刷局編『官報 1936年01月31日』日本マイクロ写真 昭和11年

・大蔵省印刷局編『官報 1936年02月24日』日本マイクロ写真 昭和11年

・大蔵省印刷局編『官報 1936年06月20日』日本マイクロ写真 昭和11年

・大蔵省印刷局編『官報 1936年08月13日』日本マイクロ写真 昭和11年

・大蔵省印刷局編『官報 1936年10月27日』日本マイクロ写真 昭和11年

・大蔵省印刷局編『官報 1936年12月12日』日本マイクロ写真 昭和11年

・交詢社編『日本紳士録 40版(昭和11年)』交詢社 昭和11年

・時事新報社編『時事年鑑 昭和12年版』時事新報社 昭和11年

・大阪毎日新聞社編『日本都市大観 昭和11年版』大阪毎日新聞社 昭11年

・大阪毎日新聞社、東京日日新聞社編『毎日年鑑 昭和12年』大阪毎日新聞社 昭和11年

・大蔵省印刷局編『官報 1937年01月12日』日本マイクロ写真 昭和12年

・大蔵省印刷局編『官報 1937年01月16日』日本マイクロ写真 昭和12年

・大蔵省印刷局編『官報 1937年05月15日』日本マイクロ写真 昭和12年

・大蔵省印刷局編『官報 1937年12月16日』日本マイクロ写真 昭和12年

・大蔵省印刷局編『官報 1938年01月07日』日本マイクロ写真 昭和13年

・大蔵省印刷局編『官報 1938年03月03日』日本マイクロ写真 昭和13年

・大蔵省印刷局編『官報 1938年03月12日』日本マイクロ写真 昭和13年

・大蔵省印刷局編『官報 1938年05月04日』日本マイクロ写真 昭和13年

・大蔵省印刷局編『官報 1938年05月20日』日本マイクロ写真 昭和13年

・大蔵省印刷局編『官報 1938年06月25日』日本マイクロ写真 昭和13年

・大蔵省印刷局編『官報 1938年08月20日』日本マイクロ写真 昭和13年

・大蔵省印刷局編『官報 1938年10月07日』日本マイクロ写真 昭和13年

・山川秀好『日本火災史 昭和12年(第12巻)』商工社 昭和13年

・『蓄音機レコード製作所並發行所明細表 昭和13年末現在』内務省警保局圖書課 昭和13年

・大蔵省印刷局編『官報 1939年08月10日』日本マイクロ写真 昭和14年

・大蔵省印刷局編『官報 1939年09月06日』日本マイクロ写真 昭和14年

・大蔵省印刷局編『官報 1939年09月08日』日本マイクロ写真 昭和14年

・大蔵省印刷局編『官報 1939年09月22日』日本マイクロ写真 昭和14年

・大蔵省印刷局編『官報 1939年10月12日』日本マイクロ写真 昭和14年

・大蔵省印刷局編『官報 1939年11月30日』日本マイクロ写真 昭和14年

・奈良県編『奈良県統計書 昭和12年』奈良県 昭和14年

・内務大臣官房文書課編『日本帝国国勢一斑 第55回』帝国地方行政学会 昭和14年

・奈良県編『奈良県統計書 昭和13年』奈良県 昭和15年

・日本消防新聞社編『日本火災史と外国火災史』大日本消防学会 昭和15年

・内藤隆幸『銀行会社職員録 昭和16年版』銀行会社職員録刊行所 昭和15年

・時計光学新聞社篇『時計光学年鑑 昭和16年版』時計光学新聞社 昭和15年

・新文芸創作講座編輯部編『新文芸創作講座 別巻 (新文芸手帖)』厚生閣 昭和15年

・レコード世界社編『レコード音楽技芸家銘鑑 昭和15年版』レコード世界社 昭和15年

・奈良県編『奈良県統計書 昭和14年』奈良県 昭和17年

・市川彩、石巻良夫『映画新体制論』 国際映画通信社 昭和17年

・日本映画協会編『映画年鑑 昭和18』日本映画協会 昭和18年

ー奈良あやめ池のレコード会社考終ー