私も、昨年の参議院選までは消費税増税やむなし派でした。
一つは金を持っている老年層から金のない若年層に所得を移転するために、広く浅くとるための消費税が必要だと思ったこと(世代間所得移転)。
もう一つは、私のようなサラリーマンは自営業の人たちと比べると、税金の捕捉率が高い。その意味では、消費に課税するという点では納得感がある(公平性)。
しかし社会制度の変更というのは、それなりに大義名分があってなせる話だと思います。
この民主主義の世の中で、「消費税を上げなくとも、歳出削減でできる!」と断言したくせに、できない。
事業仕訳も一世を風靡しましたが、「人民裁判」のような、無知(といういい方が失礼であれば、「無見識」)な議員が、適当にさばいていく。
色々と言いたいことはありますが、民主主義のプロセスを経て、国会で議論されて成立した制度を、国会の審議も経ないでざっくりやるのは、どこの独裁国家だよ、と思われたむきも少なくないでしょう。
しかも偉そうにやったことが、全く予算付で反映されない。
いうだけやってダメでした、って、どこのだめ国家だよ。
そして国民の審議を経ていない温暖化ガス削減目標や、日米同盟の根幹を覆した上に、国家戦略を地方選挙に丸投げした(それも後には引けないんで、一縷の望みを託して自民党時代は基地移設に賛成した沖縄に、再度望みを託した、ように見えた。悲惨の一言)。
そして無能の烙印を押されて退陣した鳩山由紀夫の後をついでできた内閣が、岡崎久彦先生(私、親書や昔の論壇誌でしか接したことはないんですが、この人は外交思考の師匠だと思っています。なんだかんだ言って)が評して「極左内閣」。
スターリンや金日成、毛沢東やポル・ポトもそうですが、独裁者は他人が信じられない。
権力の集中化を図ってしまい、粛清人事を行います。そして意思決定が硬直化、バイアスがかかり効率性が落ちる。
その極北が消費税増税による民主党に対する求心力の低下と、それが顕在化し、(利害関係のあった人間もなかった人間も含めて)多大な肉体的被害、精神的苦痛、日本社会の秩序の低下(無責任な対応をしてもいいということを政府がオーソライズした)を促した、原発対応です。
原発事故がなくても、おそらく被災者対応は放置し、寒空の中、凍死した被災者は出たでしょうが、今回はそれに輪をかけて、原発の一時対応もできず(これはチェルノブイリ時代のソ連もできなかった)、避難や退去、放射性物質の拡散防止対策ができなかった(これはソ連はできた)管直人前総理。
福島県民は(まあいいたいことはいろいろあるのですが)政府の無策により、放射線拡散被害や将来の不安におびえている中、彼はSPをつけて(首相経験者にはみんなつきます)お遍路三昧。地位は手放さなかったのに、手放したら責任転嫁。
そしてその彼の主張した消費税増税を掲げ、「熟慮の国会」といった割には議論をしていない野田総理。
私の財政論は高橋洋一さんに負うところが多いのですが、おそらくマクロ経済学も(数学やってないだろうから)ミクロ経済もやっておらず、「庶民感覚(≒主婦感覚)」で有権者に訴えて、財務省の軍門に下った野田首相の消費税増税に賛成するのは、大義名分があるのか。
つまり適当なことを言って政権をとり、能力不足から適当なことどころか「嘘」になってしまった民主党政権。
約束を反故にするのであれば、前から主張していて比較的まともな自民党に任せればいいという話だし、民主党がやるといっても、「嘘つき」で「無能」な民主党の言うことを聞く国民なんていないでしょう。
我々は家畜ではないんです。
早く解散してもらい、その際に増税については争ってください。
それが間接民主制の仁義でしょう。