雄三さん。ブログに載せるからって原稿書いてくれって言われたよ。
「森田雄三とわたし」そんな題名らしい。
今更やで、雄三さん。書かれへんって。雄三さんもそう思うやん。内容ちゃうで。恥ずかしいわ。今更。雄三さんもそうでしょう。
でも、雄三一回忌に向けて雄三さん宛に手紙は書いたんよ。書いている途中やけど。出さないけどね。
汚いって思ってんだろう? おめえらは。俺はねえ、そうやって見ないの。よっぽど楽しかったんだろうな、嬉しかったんだろうなって見るんだよ。おめえらはまだ分かんないかもしれないけど、気心が許せないと酔えねえんだよ。接待なんかで酒飲むだろう、酔わないんだよ。いや、酔うんだよ。でもね、家に帰ってからとかさ、電車に乗ってからとかさ、一人になったとたんに、そういう時に一気に酔うんだよ。だからさぁ、心を許せる、許してもいいっていうことが彼女の中にはあったんだよ。
雄三さん、忘れてるかもしれないけど、いつかの金沢であったワークショップの後に打ち上げの時での雄三さんの言葉ですよ。金沢でやったワークショップ。いつのだろうね。ぼくらが見に行ったというぐらいで出来事だったんじゃないかな。冬じゃなかったと思う。打ち上げは東山であってそろそろ終わり、お開きという感じの時に参加者の女の子がゲロを吐いたんですよ。掃除はぼくらがやったんじゃないかな。綾さんやイッチーだったのかな。ゲロを吐いた女の子はそのまま寝たんじゃなかったかな。まあ、いつものようにぼくらは雑魚寝なんでその中に紛れて一緒に寝たと思う。何人かの参加者も泊まったと思いますよ。ワークショップが終わった後の「帰りたくないな」「まだ話したいな」そういうよくある現象があの時もあったと思います。翌朝、女の子は部屋の掃除をしてたよ。雄三さんはその女の子に向かって「ゲロ子」としょうもない呼び方で呼んでましたよ。みんなが帰った後に雄三さんがそんな話をしたと思いますよ。雄三さんも「面倒くさい」「汚い」と思わなかったわけではなくて、違う見方をしてみようよということを話したんですよね。今のぼくが振り返れば、自分発信ではなくて、相手発信で見てあげると、その人の物語が立ち上がってくるよ、という話をしていたんですよ。きっと。「どうして心を許せたのか」「なにがきっかけだったのか」「普段は心を許せる状態にない。どういう生活、仕事をしているのか」「記憶がなくなる、吐くまで飲んでしまった、それはいつ以来なのか」そこを想像してあげる、創ってあげることが出来れば、それだけで創作なんだと、今、振り返ると思いますね。格好良く書いているでしょ。雄三さんとやってきたこと、今の松尾がやっていることもそうですけど、「物語」の中に「人」がいるんじゃなくて、「人」の中に「物語」がある。だから、「人」を描かないといけない、そればっかりやってましたね。ついつい、「物語」を優先してしまうけど、そうじゃないってことを受け入れるには苦労しましたよ。松尾は。「物語」のほうが、実感としては残るし、リアルだし、そうじゃないことを信じることができたのは「いつから」なのか松尾も分からないけど。
話は飛びますよ。イッセーさんとお別れをしてから「北神」でのワークショップがありましたよね、あの頃には雄三さんの体のこともあって、長くはできないだろうなと思っていましたよ、何年か続けたから、そうじゃなかったんですけど。そうそう、雄三さんは六十で死ぬって言ってましたね、それ以上生きれたら、それは神様からの贈り物だって、十年間の贈り物は大したものじゃないですか、ねぇ、雄三さん。
雄三さんとの芝居は今回が最後かもしれないなっていう覚悟や決意みたいなものはなかったけど、「もしかして」という思いは少しだけあったんですよ。だから、東京での芝居を見に行ったりしたのも、最後かもしれないっていう思いもあったんですわ。行って良かったけどね、面白かったし、色んな人にも出会えたし。東京のメンバーが神戸に来たりもしたし、あの時のKAVCは面白かったね。うん。面白かった。あの時の映像があるか分からないけど、台本に起こさないとあかんね。タエシマくんにお願いしときますわ。近年というか、ここ数年のワークショップでは稽古の休憩時間や稽古が終わってから煙草を吸いながら「どうやったら面白くなるかな」みたいな話をしていることが松尾は楽しかったですね。
「誰と誰を組み合わせてみたらどうなるのか」
「さっきの話はこういう話じゃないかな」
「ああいう子が飛びぬけてくれると周りが楽になるな」
「あの人の表情が変わった」
「引き込まれていく瞬間はいいね」
雄三さんと話をしたという記憶があんまりないんですわ。松尾は。雄三さんと電車や車で色んな所へ移動など一緒にしたり、宿泊とかもしたけど話をしたという記憶がないですわ。日常会話というか、そういうなのはなかったと思う、記憶としてね。
長々と書いたけど、面白くないでしょ、雄三さん。
いいから、やれって雄三さんは言うだろうし、雄三さんとの個人的な関係を書いてもつまんないしね。だから、後付けやけど、小説みたいなものを書いたから、それでいこうよ。
雄三さんとやっている創作は、松尾にとってはリハビリですわ。ぼくは人と関わることが得意じゃないし、好きでもない。創作だったら、人と関われるんでしょうね。
文章の直しを宮永さんが行ってくれてね。口煩そうな、同じ話を何度もする、面倒くさそうな爺ですわ。なんで直しをしてくれるのか? いつもだけど、読み辛い文章を読んでくれて、お金になるわけじゃないし、なにがあるのかなって思うよね。
説明はいいから、やれっ。 分かってるって。
さぁ、始めようか。
(松尾 忠)