今年の夏休みは、関西方面へ旅行に行きました。
その中で、一日かけて回ったのが、和歌山県北部
にある、あの弘法大師で有名な高野山o(^-^)o
言わずと知れた真言密教の聖地で、標高約1,000m
前後の山々すべてが修行の場、まさに日本仏教に
おける聖地的場所なんです。
山内の寺院数は、117か寺に及び、その約半数が
一般に方が泊まれる、宿坊も兼ねてるんですよ☆
この日は、大阪のホテルを朝早く出て、向かうは
「特急こうや」 が出る、南海なんば駅・・・
世界遺産、高野山へは、ここなんば駅から、特急、
ケーブルカー、りんかんバスと乗り継いで、およそ
2時間で、着く事が出来ます。
下の写真が 「特急こうや」 、多少の勾配もラクラク
登る、とても力強い電車です☆
道中での飲食にと、駅構内のコンビニで買い物
をしていると、そこに現れたのが、青い弾丸特急
「ラピート号」 ・・・
なんば~関西空港間を走る特急なのですが、
この顔つきというかフォルム、関東では絶対に
見られないですよね~о(ж>▽<)y ☆
ついつい、撮り鉄しちゃいましたヽ(゜▽、゜)ノww
あははは・・・
話しを元に戻して(笑)
ここ高野山の見どころは、高野山真言宗総本山の
「金剛峰寺」 と、金堂、大塔、御影堂、不動堂など
が境内に立ち並ぶ 「壇上伽藍」 、そして弘法大師
廟がある 「奥の院」 と、一日では回りきれないほど
の名所や旧跡があります。
まずは、バスを降りて、高野山真言宗総本山の
「金剛峰寺」 へ・・・
これが、金剛峯寺の正門☆
この金剛峯寺の正門は、建物の中で一番古く、
文禄2年(1593年)に再建されて以来、今日まで
建っています。
右のほうを見ますと小さな入り口がありますが
昔はこの門を正面から出入り出来たのは、天皇・
皇族、高野山の重職だけだったそうです。
右のくぐり戸は一般の僧侶が使用していたそうです。
青い空と、木の緑と、この歴史ある正門・・・
まるで絵はがきのようにキレイでした☆
「金剛峯寺」 という名称は、お大師さまが
『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経』 というお経より
名付けられたと伝えられ、東西30間(約60メー
トル)、南北約70メートルの主殿(しゅでん、本坊
ともいう。重要文化財)をはじめ、座主居間、奥殿、
別殿、新別殿、書院、新書院、経蔵、鐘楼、真然堂、
護摩堂、阿字観道場、茶室等の建物を備え、寺内
には狩野派の襖絵や石庭などが設けられ、境内
総坪数48,295坪の広大さと優美さを有しています。
金剛峰寺をあとに、壇上伽藍へ・・・
途中には、こんな可愛い石像もありました☆
こちらが、壇場伽藍の金堂・・・
金堂はもともと講堂と称して、弘仁10年(819)に
創建されましたが、その後の承和5年(838) に
なって、嵯峨天皇御願の御堂として新たに完成し、
同年6月に本尊である薬師如来像(阿シュク如来)
と脇侍の諸尊像が奉安されたと伝えられています。
今は高野山の総本堂として、とても重要な役割を
果たし、さまざまな宗教行事が、こちらで執り行なわ
れているそうです。
こんな空気感のある場所、心がすごく落ち着いて、
なんとも言えず好きです☆
こちらは、最奥にある、西塔・・・
すごく、歴史を感じる建物でした☆
真ん中に見える、赤い建物が、根本大塔☆
弘法大師空海は、この大塔を真言密教の根本
道場におけるシンボルとして建立されたので、
根本大塔(こんぽんだいとう)と呼んでいます。
多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、
本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四仏
(しぶつ)が取り囲み、16本の柱には堂本印象
画伯の筆による十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)、
四隅の壁には密教を伝えた八祖(はっそ)像が
描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅(まんだら)
として構成されています。
塔内は、一切撮影禁止の為、写真を載せられない
のが、とても残念です・・・
あと、右側に見える、大きな松が、「三鈷の松」・・・
弘法大師が、唐(中国)の国へ渡って、明州(現在
の寧波)の港からの帰国の際、師の恵果和尚から
贈られた密教法具の一種である、「三鈷杵」を、
「わたしが漏らすことなく受け継いだ密教を広める
のにふさわしい地へ行くように・・」 という願いを
込めて、東の空に向けて投げたとの事・・・
帰国後、その三鈷杵を探し求めていると、弘仁7年
(816)頃、高野山の松の木にかかっているということ
がわかって、高野山の地が真言密教の道場として
開かれるようになったとの事です。
通常、松の葉は2本なのですが、この松は3本あり
三鈷杵の先(鈷部)が中鈷・脇鈷と三つに分かれて
いることから、その形とあわせて 「三鈷の松」と呼ばれ
ているようです。
こちらは、入り口付近にある東塔・・・
どの建物も、歴史の重みを感じました☆
ここからは、徒歩にて一の橋へ・・・
ここは、観光案内所近くの、高野山の中心街☆
お食事処やお土産やさんなど、数は少ないです
がありました。
町並みを見ながら、とても気持ちよく歩けると
思ったら、この通りには電線が無いんです!!
きっと、道路の下に埋めたんだと思いますが、
その分、空を広く感じられました\(^_^)/
あと、この日の気温は30度以上あったのですが
ほとんど暑さを感じず、避暑地としての高野山の
魅力も、感じられた気がしました☆
ここが、奥の院への入り口、一の橋・・・
奥の院は、高野山の信仰の中心であり、弘法大師
さまが御入定されている聖地なんです。
一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、
その総数こそ、正確には把握出来ないものの、
おおよそ20万基を超える、皇室や公家、諸大名の
墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が、樹齢千年を
超える杉木立の中に立ち並んでいます。
こんな感じの道が、奥の院まで続きます☆
この中の橋は、 「この世とあの世」 の境とされて
いる橋だそうで、この下を流れる川が、いわゆる
「三途の川」 となるみたいです。
橋の脇には、一年中衆生の苦を代わって受けて
汗をかいている 「汗かき地蔵」 と、水面に映る姿
の濃淡により、命の長短が分かるという、ちょっと
覗くのに勇気がいる 「姿見の井戸」 があります。
この暑さで水が枯れてないか、恐る恐る覗いて
みましたが、無事くっきり見る事が出来ました☆
名のある戦国大名の6割以上の墓所が、ここ
にはあるそうです☆
中には鳥居のある立派なお墓もあるのですが
えっ、と思われた方、かなりの知識人ですね!!
実は、今の日本のお寺やお墓には、鳥居という
ものは無く、それは鳥居が神域と人間が住む俗界
を別ける結界になっているからなんですよ。
だから、神社にはあるのですがお寺にはありません。
お墓に鳥居がなくなったのは、明治の神仏分離令
が出てからなんです。
ここ高野山は、江戸時代以前の古いお墓が多いので、
今でも鳥居が残っているんです。
こちらのお地蔵さまは、「お化粧地蔵」 と言って
“美人祈願”というか、このお地蔵さまにお化粧を
してあげると、美人になれるそうですよo(^▽^)o
ちょっと人目が気になるという方は、早起きして
行きましょうo(^-^)o(笑)
この橋が、奥の院手前にある御廟橋☆
そして、その先に見えるのが、燈篭堂・・・
燈篭堂は、仏教寺院ではとても珍しい、拝殿
の形をしていて、かなり暗い堂内には、信者が
供えた無数の燈明が、天井いっぱいにゆらめ
いてました。
とても幻想的というか、言葉に表せない、今まで
感じたことが無いくらいの厳粛な空気が、堂内
いっぱいに広がっていました。
燈篭堂のさらに奥、その最奥部に、弘法大師廟
が祀られています。
空海は62歳の時、座禅を組み、手には大日如来
の印を組んだまま永遠の悟りの世界に入り、今も
ここ奥の院で、瞑想されてると言われています。
参拝される方みなさん、御廟橋の手前で頭を下げ
また帰られる際にもう一度、振り返って頭を下げて
おられました。
奥の院は、とても神聖な場所にて、飲食や写真撮影
など、いっさい禁止の場所にて、言葉だけでしか伝え
られませんが、一生に一度は訪れて欲しい、そんな
思いがした場所でした。
ここでは紹介出来なかったのですが、高野山
には霊宝館があり、金剛峯寺をはじめ、高野山
に伝えられている貴重な仏画・仏像などの文化
遺産を、手の届く距離で見る事が出来ます☆
また、立山黒部アルペンルートで有名な立山と
同じで、高野山という名前の山は実際には無い
そうです。
そこにある山々の総称が、高野山と呼ばれています。
また、高野山の景観を形成しているのは、単なる
過去の建物や自然だけではなく、現在まで脈々と
受け継がれてきた信仰により形づくられてきたもの。
すなわち 「自然も含めた人間の営みによって形成
された景観」 が、世界遺産に登録された理由なの
かもしれませんね。
しかし、高野山・・・
思っていたより、すごく良かったです(*^-^)b