ご無沙汰しておりました。結木です。

気がついたら2年半!その間、別に大病したとか、転職したとか、結婚したとか、家族が病気とか……特になかったですが。

ま、なんとなくお休みしたので、なんとなく再開しました。お気軽にお付き合いくださいませ。


さて、今日のブレない生き方。要は、動じないとか、振り回されないとかで、最近、人からよく言われる機会があります。

そう言うのは、大体、動じたり振り回されたりしている方で、うらやましがられます。

年齢的に、私も肉体的にちょっと横に大きくなりだしたので、なんか嬉しいような、悲しいような。

それはともかく、心理的にぶれなくなったのは、なんでか考えてみました。

一番に言えることは、周りがよく見えるようになったことかもしれません。

以前は、“針の穴の心理”なんて言われるほど、メンタル視野狭窄で、思い込みが激しかったのですが、

年齢と経験を重ねることで、それがなくなりました。

何かことが起きても、瞬間的に関わるそれぞれの人たちの立場で考えたり原因よりも先に対応を講じる方向に動けたりするようになった気がします。

何事も、思い込みは不幸の元

思い込みをなくすのは、それをなくそうと努力するとますますドツボにはまるので、まったく違うことをして気分転換してみることが大事です。

接近しすぎてると感じたら、距離をとって俯瞰で観る。

それは訓練していけばできますよ。(急には変わりませんからね!)
がんばるって、本来、良い意味の自動詞として使われることが多いですよね。

気軽に「がんばってね~」なんて、自分でも言っているし。

でもなんだか…最近、がんばるのって、あんまり良くない気がしています。

また、頭と心の違いなんですが、

頭で頑張っているときは、なんか無理していることが多いんですよね。

意識も、自分がしたいというより、周りからどう見られているかの方に向いてたりしてね。

で、辞書で引いてみたら…

頑張るの「頑」って“かたくな”という意味があって、意地を張るとか、頑固とか…あまり良い言葉じゃない上に、それを「張る」んですから、意地を張るを張るって、どんだけ?という言葉だったわけですね得意げ

それを見て、ふと、がんばるということは、自分がすることではなく、他人から見られる(言われる)ことなんじゃないかと思ったわけです。

たとえば、自分が好きなことを夢中でやっているときって、したくて、楽しいからしているのに、他人様から「がんばってるね!」って言われることありませんか?

それって心が頑張っている状態で、自意識が強いとなかなか出てこないけれど、夢中になってると思わぬ良い結果が出ることがあります。

なので、ちょっと肩の力を抜いて、がんばらずに、自分が楽しめるツボを探してみるのもいいですよ。






たまに覗いてくれている、友人から「最近、ぜんぜん更新してないねえ」と言われて、

気がついたら4ヶ月弱…あらやだって感じでひさびさに更新です。

あ、暑中お見舞い申し上げます。


ただ、最近伝えていることって、実際あんまり変わっていないんですよね。

というか、まわりも自分もなかなか身につけるのが難しい…それが「他力」です。

よく「他力本願」は、人任せ、とか、無責任、のような意味合いで使われますが、

仏教用語としての本来の意味は「他を認めること」だそうです。

他、他の力、他人…要するに自分でないもの、自分にないものを受け入れるのはとても難しいことです。

よくそういうと、いきなり「依存」の方に突っ走ってしまう人がいますが、それは極端な話で、

本当に受け入れるためには自立した自己がなければできません。

…言葉でいうと、少しややこしいのですけどね。

人間関係で言うなら、

まず自立した自己があって、

自分と違う相手の考え方を【知って】→【認めて】→【受け入れる】ことが出来て、初めて他力が成せる。

知ることができない人は、思い込みに走り周囲を嫌悪します。

認めることが出来ない人は、自分の世界に固執して、まわりを否定します。

受け入れることが出来ない人は、自分の世界に入り込んで悩むか、あるいは相手を攻撃します。

嫌悪せず、否定せず、相手も自分も攻撃しない

又逆に、迎合せず、屈服せず、敬服しない

要は感情的にならないことが肝心なんですけど、これができる相手とはかなり楽でお互いにとってプラスな関係が作れますよ。