大人になったら、もっといろんなことがわかると思っていました。
でも現実は、40代になっても「知らないこと」だらけです。
そして気づいたんです。
大人になるって、全部を知ることじゃなく、
知らない自分を認めて進むことなのだと。
「大人になったら、全部わかる」と思っていた
子どもの頃、私は「大人はなんでも知っている」と思っていました。
高校生の頃に初めてアルバイトをしたとき(郵便局の年賀状仕分け)、
「お金をもらうってすごい!」と胸が高鳴りました。
でも同時に、自分の視野がとても狭いことに気づいたんです。
私が見ていたのは、ただ目の前の作業だけ。
一方で、周りの大人たちは、全体の流れや人の動き、先のことまで見ている。
「ああ、大人になるって、こういうことなんだ」
そう思いました。
でも、40代になった今、分かったことは、
大人も全部分かるわけじゃないということです。
知らないことを隠そうとしていた私
20代、30代の私は、「わからない」と言うのが怖かった。
「そんなことも知らないの?」と思われるのが恥ずかしくて、
必死で知っているふりをしたこともあります。
会議で飛び交う専門用語にうなずきながら、
頭の中は「今の、どういう意味?」でいっぱい。
誰かに聞けばすぐ解決するのに、プライドが邪魔をして聞けなかった。
そのうち、質問できない自分を正当化して、
わかったふりを重ねるようになっていました。
でも、知らないまま取り繕うと、もっと自分が苦しくなります。
「間違えたくない」から、選ばないことを選んでしまう。
そうやって無難な道ばかり歩いて、モヤモヤを積み重ねてきました。
40代で知った、“知らない自分”を認める自由
40代になってやっと気づきました。
「見えていないことがある自分」を認めるのは、
怖いけれど可能性が広がります。
知らないことを認めることができたら、学ぶことが楽しくなりました。
知らないことを恥ずかしいと感じる自分もいる一方で、
新しいことを学べる嬉しさも感じています。
私は今、「ラクアカ」での学びを活かして、
自分の価値観を軸に選択することを実践中です。
誰かが作った“正解”を探すのではなく、自分の価値観に沿って決めること。
そのときに必要なのは、「間違えないこと」ではなく、「選び続けること」です。
ラクアカで出会った仲間ややすこ先生との対話を通じて、
私はようやく、自分の選択を信じられるようになってきました。
「知らない」は、可能性の塊
私たちは皆、いくつになっても「知らないこと」を抱えながら生きています。
私はかつてはそれを隠そうと必死でしたが、
知らない自分を認めることは、
想像以上に私たちを自由にしてくれると知りました。
それは、新しい知識や経験を受け入れる柔軟さを与え、
固定観念にとらわれずに自分の魂が本当に望む選択をする勇気をくれます。
「◯歳だから知っているはず」「間違えたくない」
――そんな無意識のプレッシャーに、縛られている子どもたち、
そして大人もたくさんいるかもしれません。
あなたの「知らない」は、学びの機会、成長のチャンスです。
「知らない」ことを認めて、そこからまた進んでいきましょう。
大人になるって、完成することじゃありません。
むしろ、大人になってからも人生はまだまだ続いていく。
だからこそ、自分の「知らない」を素直に認めて、
更新し続けることが大切なんだと思います。