「え? 今、わたし、無視された……?」
会社の廊下ですれ違った同僚に挨拶をしたのに、こちらを見ずに通り過ぎていった。
そんな瞬間、心の中で小さなざわつきが生まれます。
「嫌われてるのかな?」
「わたし、何かした?」
——たった数秒の出来事なのに、気持ちは一気に沈んでしまう。
その“もしかして”は、思い込みかもしれないんです。
40代を迎えた今だからこそ、少しずつ気づけるようになった「心の癖」があります。
それは、誰の中にもある“認知バイアス”という考え方です。
そのモヤモヤ、もしかして「認知バイアス」かも?
わたしたちは、ほんの一瞬の出来事から、相手の印象や自分の感情を決めてしまうことがあります。
たとえば、「挨拶を無視された」と感じた瞬間。
相手はただ考えごとをしていただけかもしれないし、耳に入っていなかったのかもしれません。
それでも、「あの人は冷たい」「わたしのこと嫌いなんだ」と、ついネガティブに考えてしまう。
実は、これにはわたしたちの脳の“クセ”が関係しています。
このような無意識の思い込みは「認知バイアス」と呼ばれています。
中でも、日常で特に起きやすいのが「ネガティビティ・バイアス」です。
ネガティビティ・バイアスとは、ポジティブな情報よりもネガティブな情報に注意が向きやすく、記憶に残りやすいという、誰にでもある傾向のこと。
たとえば、普段はきちんと挨拶を返してくれる人なのに、たった一度だけ「無視された」と感じた体験があると、それが強く印象に残ってしまいます。
そしていつの間にか「この人は挨拶を返さない人だ」と決めつけてしまう。
これがネガティビティ・バイアスの影響です。
悪気はない。
でも、無意識のうちに心が“マイナス方向”に引っぱられてしまう——。
そんな自分を責める必要はありません。そういう「脳のクセ」があると知るだけで、少しずつ見方が変わってくるのです。
決めつけて勝手に傷ついていた
「おはようございます」と、声をかけたのに、何の反応もなく通り過ぎる先輩。
「え……無視された?」心がズーンと重くなる感覚がありました。
このようなことが何度か続いて、「やっぱりわたしのこと嫌いなのかな」「距離を置かれてるのかな」そんな風に思い悩んでいました。
でも、ある日ちょっと勇気を出して、その先輩に聞いてみたんです。
「この前、挨拶したんですけどもしかして気づきませんでした?」って。
そうしたら、驚くような返事が返ってきました。
「えっ、その日ね、眼鏡かけてなかったのよ」って。
つまり、わたしの顔がぼやけていて、誰か分からなかったのだそうです。
わたしはその事実を知って、思わず苦笑い。
「ああ、そういうことだったのね。わたしも見えてない時あるなー。」と、スッと心が軽くなったのを覚えています。
「無視された」と感じたのは、わたしの中の思い込み。
相手には、相手の事情があったのかもしれない。
でも、その時のわたしは、“無視された”というネガティブな感情だけに引っぱられていました。
気づけたから、疑えるようになった
この経験のあと、だんだんと気持ちの持ち方が変わっていきました。
すれ違いざまに挨拶をスルーされるような場面があっても、「無視された」と即決めつけるのではなくて、「…もしかして、何か事情があるのかも?」と、ひと呼吸おけるようになったんです。
もちろん、瞬間的にはモヤッとすることもあります。
でもそのあとに「わたしの思い込みかもしれないな」と疑えるだけで、心のダメージがグッと減るようになりました。
こういった体験を通して、わたしは少しずつ「決めつけない視点」を持てるようになったんです。
ネガティブに引っぱられるか、ちょっと視点を変えてみるか。
この“ちょっとした選択”が、自分を守ってくれることって、実はすごく多いんですよね。
自分を守る、やさしい視点の持ち方
「あの人、わたしのこと嫌いなのかな?」そんな風に思ってしまう瞬間は、誰にでもあります。
そこで、相手や自分を責めるような気持ちになる必要はなくて、「あ、もしかして今、決めつけてたかも?」と気づけることが大切なのだと思います。
ネガティブな情報に敏感になってしまうのは、脳の自然な反応。
だからこそ、そういう傾向(=認知バイアス)を知っておくだけでも、心の受け止め方が変わっていきます。
挨拶をスルーされたとしても、「眼鏡を忘れていただけかも」「考えごとしてたのかも」——そんなふうに視点を切り替えられると、ちょっと心が軽くなります。
わたしたちの心は、ふとしたことで傷つきやすいものです。
だからこそ、自分を守る「やさしい視点」を持ってあげたい。
少しでも気持ちよく過ごせますように。
認知バイアス0のイベント開催します!
お読みいただきありがとうございました!