言葉にしてみたけれど、
「なんか違う」
「私が言いたいのは、そういうことじゃない」と思うこと
——私はよくあります。
それでも言葉にしてみたいと思うのは、
その違和感の中にこそ、
自分らしさの輪郭があるのではないかと感じているからです。
うまく話せない——スタートは“苦手”から
最近、音声配信をはじめました。
「おしゃべりが得意じゃない私が、
“好き”を言葉にする」というテーマで、
自分の声で発信してみたいと思ったからです。
でも、ひとりで話すというのは想像以上に難しくて、
すぐに言葉が詰まってしまいます。
おしゃべりをする内に内容が濃くないっていくというのが目標なのに、
全然深まらない。
「あれ、私ってこんなふうに思ってたんだっけ?」と、
自分でも感じる違和感。
「やっぱり私には無理かも」と一瞬落ち込みはしました。
それでもどこかで、「このままやめたら、ずっと苦手なまま」と感じ、
どうやったら続けていけるのかを模索中です。
「なんか違う」——言語化のズレに気づく
文章でも、会話でも、言葉にするときに感じる「ズレ」。
誰かに伝えようとすればするほど、
「そうじゃないんだよな」と思ってしまう。
そんな感覚を、私はずっと持ってきました。
たとえば、「悲しい」という言葉では足りないとき。
「楽しい」と言ったけど、実際には心のすみでざわついているとき。
言葉にすることで、逆に自分の本音から遠ざかってしまうような感覚です。
でも最近、それは「間違い」ではなく、
「気づきのサイン」なのかもしれないと思うようになりました。
ズレに気づけるということは、自分の中に別の“確信”があるということ。
その違和感は、本当の自分を知る入り口なのかもしれません。
それでも、言葉にしてみたい理由
言葉に出来ないなら、言わないほうがいいのか?
私は、やっぱり言葉にしてみたい。
どんなにズレていても、うまく伝えられなくても、
それでも何かを形にしようとする過程に意味があると思うからです。
うまく言えないからこそ、もう一度考える。
伝わらなかったからこそ、「私は何を大切にしたかったんだろう」と立ち止まる。
その繰り返しが、少しずつ自分の軸をつくってくれている気がします。
言語化とは、「正しく伝えるため」だけの手段じゃなく、
「自分自身との対話」でもあるのだと思います。
苦手は、そのままでいい。だから試してみる
「うまく話さなきゃ」「きれいにまとめなきゃ」と思うと、
かえって言葉が出なくなります。
でも、たとえ不器用でも、自分なりのやり方で試してみることはできる。
今の私は、ひとりで話すことにまだ慣れていません。
言葉につまるし、録音した自分の声を聞いて恥ずかしくなることもある。
それでも「もう少しこう話してみようかな」「こんな切り口なら言えそうかも」と、
少しずつ工夫しています。
苦手なことを、苦手なまま取り組んでみる。
その試行錯誤こそが、
自分に合ったやり方を見つけていく一歩なのだと思います。
言葉にすることで、今日の私に近づく
言葉にするほど、ズレていくように感じることがある。
でも、だからこそ気づける“本当の気持ち”がある。
音声配信という新しいチャレンジを通じて、私はあらためてそう感じました。
完璧じゃなくていい。うまく言えなくても、少しずつ言葉にしてみる。
そんなふうにして私は、今日の私に、そしてこれからの私に、
近づいていきたいと思っています。
ちなみに、私が始めたラジオはこちらです。
▶︎ 「好きを伝えたい」おしゃべり苦手な私が言葉にするラジオ
まだまだ試行錯誤ですが、自分の「好き」や大切にしていることを、
声を通して少しずつ言葉にしていきたいと思っています。
今後はゲストを迎えての配信も予定しています。
「話すのは苦手だけど、ちょっとやってみたいかも」「私も“好き”を言葉にしてみたい」
そんなふうに思った方がいれば、ぜひ一緒におしゃべりしませんか?
ご出演に興味のある方は、お気軽にお声がけくださいね。