介護職として多くの看取りに立ち会ってきた私ですが、
父の最期には“家族として”の葛藤がありました。
その中で気づいたことは、専門性よりも、
ひとつひとつの選択を「丁寧に重ねること」が大事だということでした。
専門職としての理想と、家族としての現実
父の病状が進み、いよいよ“そのとき”が近づいていると感じたとき、
私は在宅での看取りを望んでいました。
これまで在宅介護に携わってきた介護職として、
自宅で穏やかに最期を迎えることの価値を、
痛いほど知っていたからです。
けれど、現実はそう簡単ではありませんでした。
母の負担、医療体制、自宅の環境、本人の意思——
プロとしての私の中にある「理想」は、
家族としての現実の前では、通用しませんでした。
理想を通すことが“よい選択”とは限らない。
どんな形であれ、「そのとき」までの時間を、どう過ごすか。
自宅に戻るか、人工呼吸器を挿管するか、緩和ケア病棟に移るか…。
私たちは話し合い、迷いながら、
ひとつひとつの選択を重ねていきました。
成せばなる、成さねばならぬ何事も
そんな日々の中で、私はふと中学生のときのことを思い出しました。
私の地元、山口県の田舎の中学校では、
卒業式のときに、親が録音したメッセージを
生徒一人ひとりに流すという伝統がありました。
私の番で流れたのは、父の声でした。
「成せばなる、成さねばならぬ何事も……
と織田信長が言っていました」
……今になって調べてみると、それは信長じゃなくて、
上杉鷹山の言葉だったらしいんですが(笑)
やってみなければ、何も始まらない。
その言葉は、父の声と共に、私の中にずっと残ってます。
「おもしろくない世の中」を面白くしていく
父の最期を通して改めて感じたのは、
人生には「正解」なんてないということ。
専門職としての知識があっても、経験があっても、
家族としての葛藤は避けられない。
だからこそ、大事なのは“迷わないこと”ではなく、
迷いながらも丁寧に選ぶことだと思いました。
そんな選択の日々の中で、ふと心に浮かんだ言葉があります。
「おもしろき こともなき世を おもしろく」
長州藩士・高杉晋作の辞世の句です。
自分の人生を面白いと思えるかどうかは、自分次第。
この言葉が、今の私に静かに問いかけてきます。
父のことを、いろんな人から聞きました。
みんな口を揃えて言うのは——
「優しい人だった」
「決して目立たないけれど、責任感の強い人だった」
ということ。
派手なことはしないけれど、家族や周りを支えるために、
黙々と自分の役割を果たす。
そんな父は、自分の人生を静かに、
でも確かに生き抜いたんだと思います。
40代、やってみる価値のある毎日へ
40代。若くはないけど、まだ老け込むには早すぎる。
家族もいて、仕事もあって、責任もある。
それでも「自分の人生をどう生きるか」を
選び直せる年齢だと、私は思います。
父を見送って、私はまた新しい気持ちで、
いろんなことをやってみたいと思うようになりました。
迷うくらいなら、やってみよう。
しっかり計画を練って、やってみよう。
「やってみよう」と今思えていることが、
いちばん、父へ感謝したいことです。
“やってみること”で、人生はおもしろくなる
悩みながらでもいい。
正解がわからなくてもいい。
一つひとつの選択を、自分で、丁寧に、選んでいく。
父から受け取ったのは、
「やってみれば、きっと何かが動き出すよ」というメッセージでした。
人生は、“おもしろくしていく”もの。
「おもしろき こともなき世を おもしろく
すみなすものは 心なりけり」