仕事帰りの駅、自動販売機の前で立ち止まっていたのは、

たぶん私だけだったと思う。
人の流れに逆らうように、足を止め、

ジュースの並んだボタンをじっと見つめる私。
喉が渇いているのは、確か。

でも、買うかどうかを決めかねて、よくその場で何秒も迷っていた。

 

「飲みきれなかったらどうしよう」
「荷物になるし、重いかも」
「そもそも、これに150円も払う価値ある?」

 

 

当時の職場から駅まで、徒歩15分。

程よく喉は渇いていたけれど、電車に乗ったあと、

自転車でそのまま保育園に子どもを迎えに行かなくてはならなかった。

寄り道もできず、手荷物はなるべく少なくしておきたいという状況。
ちょっとした飲み物でも、カバンの中でかさばったり、

飲みきれずに残ってしまったりするのが気になっていた。

 

一見どうでもよさそうな迷いだけど、

当時の私にとっては、なぜかいつも引っかかる問題だった。
飲みたいのか飲みたくないのか、

自分の中で優先順位が定まっていなくて、

どこに基準を置いていいのか分からなかったのだと思う。

でも、そんな「自販機の前での迷い」に、

思いがけず答えが出たのは、ラクアカでの学びでした。

小さな選択にこそ、“自分の価値観”が現れる

ラクアカで、自分の価値観を見つけるワークをする中で、

私の価値観は「可能性を発見する」ことだと気がついた。
見えない未来の中に、何か小さなきっかけや伸びしろを見出せること。
それが、私にとっては心からワクワクできる、大切な軸なのです。

だから、あの自販機の前での迷いも、ただの優柔不断ではなかったのだと思う。
私にとっての選択基準は「この飲み物を買うことで、

何か可能性を発見できるかどうか」。
言い換えれば、その選択が、

自分にとって新たな発見や気付きにつながる“きっかけ”になるかどうかなのです。

“選ばなかった自分”を責めなくなった

たとえば、買ったことで頭が冴えて、帰り道の読書がはかどったり、

アイデアが浮かんだりするかもしれない。
「お金はかかったけど、いい時間を過ごせた」と思えるなら、

それは私にとって“可能性を発見する”選択だ。

でも一方で、「飲みきれずに持ち歩くのがストレス」

「家に着いても残っていて、結局無駄だった」と感じるなら、

それは“自分の可能性を狭める感覚”になるかもしれない。

 

つまり、“買うか買わないか”そのものが問題ではなく、

どうしたら私は納得できるかを自分で知っているかどうかが大切だったのだ。

 

そう気づいてからは、自販機の前で立ち尽くす自分を、責めなくなった。
むしろ、「あぁ、私は今、ちゃんと自分の価値観を確認してるんだな」と

思えるようになった。

 

迷いは、悪じゃない。自分を知るチャンスだった

迷うことって、どこか「決められないダメな自分」みたいに

感じてしまうことがある。
でももしかしたら、迷うって、自分を知るための大切な行為なのかもしれない。

自販機の前で立ち止まっていたあの日々は、

「何を選ぶと私は満足できるのか?」という問いを、

私に投げかけ続けてくれていたのだと思う。

迷いが多かったのは、私が優柔不断だったからじゃない。
むしろ、自分の価値観を大切にしたいと、

感じていた証拠だったのかもしれない。

自分だけの“選択基準”を持つということ

価値観が明確になると、選択はラクになる。
そしてそれは、人生のさまざまな場面にも影響を与えてくれる。
たとえば、「仕事を引き受けるか」「SNSで何を発信するか」

「誰とどんな時間を過ごすか」。
すべてにおいて、「そこに可能性を発見できるかどうか」という軸が、

選ぶ力を与えてくれるようになった。

 

今も駅の自販機の前に立つことはあるけれど、

もう迷ってばかりの私ではない。
買うときは、「よし、今の私にはこれが必要だ」と思って押すし、
買わないときも、「今日はこれが正解」と自分に納得して歩き出せる。

 

あなたが最近、迷ったのはどんな“自販機”でしたか?
その迷いの先に、あなたらしい選択があるかもしれません。

 

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