「独りが好き」って、昔からよく言ってました。
静かな時間。
自分だけの空間。
誰にも遠慮しない自由な行動。
“独りの時間が好き”なら“独りで生きていく人生”を選ぶべき?という問いに、まさに体当たりした40代。
その答えは...
個人的な体験をお話します
わたしは結婚に向いていない
2度目の離婚をしたとき、まっさきに浮かんだのは、「やっぱりわたしは結婚に向いていないんだ」という感覚。
どうしてうまくいかないのか。
何が足りなかったのか。
努力はしたつもりだったし、自分を変えることも試みた。
でも、うまくいかなかった。
「わたしには人として何か大きな欠陥があるのだ」
そう思うことで、また誰かに失望される前に、誰かを失望する前に、「しようがないよね」と言える答えを出しておく。
それはある種の自己防衛でした。
決めた。「独りで生きていこう」
そんな気持ちから自然と、「もう誰かと生きるのはやめよう」と思うようになりました。
だれかと暮らすことより、独りでいるほうが楽。
朝も夜も、予定も空気も、自分のペースで動けるの、最高じゃん!という日々を過ごしました。
そして、気づいたんです。
わたしはやっぱり「独りが好き」なんだと。
「独りの時間がないとダメな人」なんだと。
大恋愛して、大好きな人と結婚したのは紛れもない事実だけど、それと同じくらい「周りの目」を気にしていたんだと。
「独りで寂しい人」と思われたくなった。
独りが好きなのに。(矛盾!!)
さすがに「結婚はもういいでしょ」と思えて、非常に楽になりました。
収入もそこそこあったし、マンションも買ったし(ローンは残ってたけど)、うん、独りで大丈夫!
40代初期のころ、決意しました。
でも、でも、出逢ってしまった
独りで生きると腹をくくったそのあとで、人生は動き出しました。
40代中盤にさしかかったころです。
似たような経験がある方も多いと思います。
人って吹っ切れると、「素の自分」が出てきてますよね。
素の自分でいるということは、無理していないので、びのびとした振る舞いになる。
その結果、人生が好転しだす。みたいなこと。
一緒にいながらも、お互いのひとり時間を尊重できる関係。
大好きだけど、依存し過ぎない大人な二人(お互い40代でしたので)。
「また誰かと暮らすなんて、もう無理かもしれない」とは一ミリも思わずに(懲りていない)、わたしは、3度目の結婚をしました。
結婚するほど自由になることもある
3回目でようやくわかったんです。
結婚自体が、「不自由」や「我慢」を強いているわけではないということを。
「誰かと生きる」ことが、「わたしの時間を奪う」とは限らないということを。
結婚体験(?)を重ねたことで得られた一番の学びは、「自分の心が整うと、関係の築き方も変わっていく」ということ。
そして、独りが好きって言えるのは、ふたりでいるから。
相手との時間があるから、独りの時間の大切さがわかる。
そう、相対的なものだったんです!
ふたりの時間も、独りの時間も、どちらも好きだし大切だったんだな~って、ようやく理解しました。
「そんなのみんなわかってるよ!」とツッコミをいただきそうですが、わたしはわかってなかった。
本気で「独りが好きな性質」だと思い込んでいたのです。
思い込みって、ほんとに怖いですよ。
人生決めているのは、自分の思い込みなんですから(この件についてはまた今度)。
「選ぶ」ということの本当の意味
“独りが好き” という感覚は、今でもわたしにとって確かなものです。
だけど、それだけを絶対視して、すべてを閉じてしまわなくて本当によかったと思っています。
「独りが好きだから、独りで生きていく?」
この問いに、正解も不正解もありません。
わたしにとっての正解は、あたなにとっての不正解になり得るから。
大切なのは、自分をちゃんと理解すること。
理解して、選択すること。
その積み重ねが、「わたしの人生」と呼べるものになっていくのだと思います。
幸せの形は人それぞれ
お読みいただきありがとうございました!