あの人に失望されたと思い込んでいたけれど、
本当は、自分が自分に失望していたのかもしれません。
自分の未熟さを認めることができたとき、
ようやく“覚悟を決める”ことができるのだと思うのです。
憧れから始まった、夜勤のホームヘルパー
25歳のとき、北欧の福祉に憧れていた私は、
「北欧っぽいかも!」という理由で、
夜勤専門のホームヘルパーとして働き始めました。
だけど、実際の現場には、
それぞれの事情で夜を選んだ女性たちの現実がありました。
たとえば、昼間は家族の介護をしている人。
シングルマザーで、子どもが寝ている間に働く人。
正直、すごいな、強いなと感じました。
当時の私は、チームの中では最年少でした。
50代、60代の先輩たちに囲まれて、
仕事中にお菓子をもらったり、
時には車で家まで送ってもらったりと、
まるで娘のように接してもらっていました。
施設での介護しか知らなかった私は、
自宅でのケアという新しい世界で、少しずつ経験を重ねていきました。
今思えば、私はたくさんの優しさに囲まれながら、
現場での感覚を身につけていったのだと思います。
だけど、1年半が経った頃、直属の上司が変わり、雲行きが変わり始めました。
リーダーに選ばれた日から空気が変わった — とんだとばっちりだと思っていた
私がリーダーに選ばれたことをきっかけに、
それまで仲良くしていた先輩たちの態度が、少しずつ変わっていきました。
とばっちりを受けたように感じていたけれど、
今思えば、私自身もその変化を受け止める準備が
できていなかったのだと思います。
それまでチームをまとめていたのは、
強引なところがあるものの、面倒見がいい先輩でした。
でも、新しい上司とその先輩の間にはあきらかな溝がありました。
そして、その先輩がサービス時間を独自に調整していたことが問題視されます。
そうした背景もあって、なぜかそのポジションに
私が指名されることになったのです。
当時はまだ若く、「なんで私が?」という戸惑いの方が大きかった。
そのうえ、元リーダーと仲の良かった数人の先輩たちの視線や態度が、
日に日に冷たく感じられるようになっていきました。
今になって振り返ると、相手の態度が変わったというより、
私のほうが“その変化にうまく向き合えなかった”だけなのかもしれないと
感じることがあります。
モヤモヤの正体は、他人じゃなくて、自分だった
先輩たちの態度が冷たく感じられるたびに、私は傷ついていました。
でも今になって思うのは、その痛みの正体は、
他人ではなく、自分自身への失望だったのかもしれないということです。
リーダーとして何か特別なスキルを持っていたわけでもなく、年齢も一番下。
チームを引っ張る自信なんて、全くありませんでした。
それなのに、「よろしくね」と任された瞬間から、
私は“ちゃんとしなきゃ”というプレッシャーを自分にかけて、
「できない」と「ちゃんとしなきゃ」のあいだで、ずっと揺れていたのです。
先輩たちの視線が気になって仕方がなかったのは、
きっと彼女たちが私に失望していたからではなく、
私自身が、自分に自信を持てなかったからなんだと思います。
ちょっとした一言や視線に過敏に反応していたのも、
不安や自信のなさを、先輩たちのせいにしていたからかもしれません。
他人の評価に傷ついていたつもりで、
実は、自分が自分を認められていなかった。
そのことに気づいたのは、ラクアカで学んでからのことでした。
失敗した自分を、ちゃんと迎えに行くという覚悟
私は失敗した自分を、見ないふりをしてきた時期がありました。
でも今なら、それをなかったことにするのではなく、
その失敗もちゃんと迎えに行くことが“覚悟を決める”ということだと思います。
私はずっと、「あれは仕方なかった」とか「私は悪くない」と思おうとしてきました。 失敗をなかったことにしたかった。
でも、そうやってフタをしたままでは、
自分の中にずっとわだかまりが残り続けていたのです。
表面では片付けたつもりでも、心の奥では自分に対して
「なんであんなことを…」と責め続けていたのだと思います。
今やっと、私は「あのときの自分」を認めてなかったことに気づきました。
完璧じゃない自分、未熟だった自分、それでもがんばっていた自分。
そのすべてを「よし」としてあげることが、
ようやくできるようになってきたのです。
覚悟って、何かを断ち切る強さじゃなくて、
過去の自分をまるごと受け入れて、
もう一度立ち上がるという選択なのかもしれません。
覚悟って、“自分を信じていい”って決めること
これまで私は、失敗しないように、嫌われないようにと、
ずっと誰かの目を気にしてきました。
でも今は、自分の選択を自分で信じられるようになってきたことが、
何よりの変化だと感じています。
以前は周りからどう思われるかが気になって、
失敗するくらいならやらない方がいいと、
一歩を踏み出すことを怖いと感じていました。
そんな私が「うまくやれるか」よりも、
「自分が納得できるか」を大切にできるようになってきました。
自分を信じるという“覚悟”を、少しずつ持てるようになったからかもしれません。
自分に失望したまま立ち止まるのではなく、
未熟なままでも、また進もうと思えること。
それこそが、自分と信頼関係を結び直すということなのだと、今なら思えます。
「私は私で大丈夫」と思える瞬間が、少しずつ増えてきました。
それが、私にとっての“覚悟を決める”ということだったのだと思います。
覚悟を決めるって、何か大きなことを成し遂げることじゃなくて、
未熟なままの自分にも「それでいいよ」と言ってあげることなのかもしれません。