昔の部下が上司になったとき、納得できない感情が湧くのは、
「人として上か下か」で相手を見てしまうからかもしれません。
立場ではなく“役割”として関係性をとらえ直すと、
人間関係は不思議とラクになっていきます。
かつての部下が上司に──ざわついたワケは“上下で見る”自分の認識のクセ
部下だった人が上司になる。そのとき生まれるざわつきは、
相手の変化ではなく、自分の見方に原因があるのかもしれません。
「上下」で人を見るクセに気づくと、関係の捉え方が少し変わってきます。
産休から復帰した職場で、かつて私が引き継ぎをした人が
上司になっていました。
「なんだか、偉そうになった?」そんな小さな違和感が、
胸に残りました。何かされたわけではありません。
でも、落ち着かなかったのです。
後になって振り返ると、私の中に「この人は下だった」という
感覚があったのです。“上下”で人を見ていたのは、私自身でした。
同じような経験をしたことはありませんか?
年上の部下に戸惑う私──“上司なら完璧であるべき”という思い込みが自分を苦しめた
反対に、自分より年上で、しかも経験豊富な相手に対し、
上司としてどう接してよいのか分からなかったことがあります。
そのとき私は、「上司なら完璧であるべき」という思い込みに
縛られていたのだと、今になって気づきました。
地域包括支援センターで社会福祉士として働いていた頃、
私よりも年上で現場経験も豊富な方が入職されました。
上司からは、「この組織ではあなたが上司。
自信を持って育成をお願いね」と言われ、育成担当になりました。
しかし現場に出てみると、虐待対応など専門性の高い場面で、
逆に私が指摘を受けることが度々ありました。
そのたびに「上司なのにできていない私はダメだ」と、
自分を責めていました。どう接すればよいのか分からず、
距離の取り方に悩んだ日々を今でも覚えています。
どちらが上かじゃない、“何を担うか”──上下ではなく“違い”に目を向けてみる
どちらの立場でも苦しくなってしまったのは、
「優れているかどうか」という視点で人を見ていたからかもしれません。
自分の認識に気がつき、
上下ではなく“何を担うか”という視点に切り替えると、
人との関係はもっとフラットになります。
「教えた側なのに、上司になられるなんて…」と感じた過去。
「上司なのに、ちゃんとできていない…」と自分を責めた日々。
どちらも、私の中にある“上下のものさし”が原因でした。
上か下か、勝ちか負けか、優れているか劣っているか
そんな視点で人を見ていたのです。
でも、現実にあったのは上下ではなく、ただの役割の違いでした。
組織のルールや業務の流れは私が伝える。
実地の対応については、経験のある彼女の意見を聞く。
そうやってお互いの強みを活かし合えば、
もっと良いチームになれていたかもしれません。
完璧じゃなくていい──肩書きよりも“信頼でつながる関係”
上司なのに頼れない。部下なのに言いにくい。
そんな関係をつくっているのは、
案外「こうあるべき」という思い込みかもしれません。
立場ではなく、信頼を軸に関わることで、
関係性はやわらかく変わっていきます。
「上司なのに」「年上なのに」「教えた側なのに」
気づけば私は、“〇〇なのに”という言葉に縛られていました。
そう思っていた時期は、
未熟さを見せることが怖くて仕方がありませんでした。
でも、立場があるからといって、
すべてができていなければならないわけではないんですよね。
相手にも得意・不得意があり、自分にもあります。
どちらが上か下かではなく、お互いの強みを認め合うことが、
結果的にチームとしての力になる。
そんな当たり前のことに、ラクアカで仲間と切磋琢磨する中で
ようやく気づくことができました。
大切なのは、立場や肩書きではなく、「目の前の人とどう誠実に関わるか」。
そう思えるようになったとき、関係性の形は少しずつ変わっていきました。
まとめ:人は上下ではなく、信頼でつながっている
「どちらが上か」にとらわれていると、
人との関係はぎこちなくなります。
立場や肩書きにこだわるほど、
自然なやりとりができなくなっていくものです。
でも、上下を手放してみると、その人の得意や良さが見えてきます。
そして、自分自身の未熟さも、無理に隠す必要はないのだと気づけます。
大切なのは、優れているかどうかではありません。
どんな役割にいても、お互いを信じて関わろうとする姿勢が、
関係を育ててくれます。
上下ではなく、信頼でつながる関係が築けると、
人間関係はぐっとラクになりますよ。