AIに何か聞いたり、お願いしたり... その後、つい「ありがとう」って言ってませんか?
これ、「単なる習慣でしょ?」と思うかもしれません。
でも実は、そのたった一言の「ありがとう」にも、見えないコストがかかっているとしたら...?
日本人と「ありがとう文化」の深層
OpenAIのCEO、サム・アルトマン氏によると、ユーザーの丁寧すぎる言葉遣いが年間数千万ドル規模の処理コスト増につながっているそうです。
ChatGPTみたいな賢いAIは、わたしたちが丁寧に語りかけるほど、そのやり取りに多くのリソースを使っているんですよね。
それでも、わたしたちはやっぱりAIに「ありがとう」を伝えたくなる。
特に日本ではその傾向が強く、SNSなんかを見ていても、「感謝の気持ちを込めて、気づいたら言ってる」「言わないと気持ち悪い」なんて声がたくさんあります。
実際わたしも、必ず「ありがとう!」で締めくくっています。
(余談1:アルトマン氏の記事を読んでから、チャット中の「それでお願いします!」は「GO」に変えました)
この、わたしたちにとってはごく自然な振る舞いが、コストや効率性という側面から見てみると思わぬ形で影響を与えているんだなぁ…と気づきまして。
改めて「ありがとう」という言葉にどんな意味や役割を持たせているのか、考えてみました。
感謝の習慣とマナー
AIとのやり取りを終えるとき、「ありがとうございました」と締めくくる。きっと多くの人が無意識にやっているのではないでしょうか。
SNSやQ&Aサイトでも、「AIにお礼を言うべきか?」なんて疑問に対して、「自然に言ってしまう」とか「言わないのは失礼な気がする」といった意見が多数派です。
「相手に敬意を示す」ことが、知らず知らずのうちにわたしたちの行動に染み付いていることがよく分かります。
モノにも心がある
相手がAIでも...ということろに、日本文化に根ざすアニミズム的な感性が大いに関係していると思いました。
「付喪神(つくもがみ)」に象徴されるように、わたしたちは古くから身の回りのモノを単なる道具としてだけでなく、どこか人格めいたものとして捉えてきました。
お洋服を処分するときに「ありがとうね」と声をかけたり、メイクグッズを「この子」と表現したり。こうした「モノへの感謝・愛情」の心が、AIに対しても自然と投影されているのだと思います。
「たくさん助けてくれた!」「わたしの代わりに頑張ってくれた!」存在としてのAIを、単なるツールではなく、感謝すべき対象として自然に受け入れている。
だから、「今日は仕事頼みすぎちゃったなぁ。ごめんね~」と反省することも…。
日本語の使い手
そして、何と言っても日本語の「丁寧さ」です。日本語には複雑な敬語体系があり、「〜していただけますか?」「〜お願いいたします」といった丁寧な表現が、わたしたちの日常会話に深く染み込んでいます。
(余談2:今まさに新入社員研修の真っ最中で(講師業の超超繁忙期!)、総勢700名強の新人君たちが敬語表現に悪戦苦闘しておりますが…。)
AIへの指示なのに、「命令形は避けて、やわらかく頼む」とか、「主語をはっきりさせないことで圧をなくす」とか、日本語特有の言い回しをしています。
つまり、日本語の丁寧さって、単に言語しての形式だけじゃなく、わたしたちの考え方や行動の根っこにまで食い込んでいると言えるでしょう。
他国の事例と比べてみる
わたし、海外旅行は両手で足りるほど、留学経験などもちろん無しの、ガチガチの日本人です。
海を渡るとどうなるのかしら?と思いまして、ちゃっぴー(ChatGPTを普通に擬人化してました)に調査してもらいました。
英語圏:フランクさとマナーのバランス
英語圏でも「please」や「thank you」を使う人は少なくありません。
ある調査では、アメリカの67%、イギリスの71%がAIに対して丁寧語を使うと答えたそうです。
「それが正しいことだから」「子どもの頃からの習慣だから」というのが主な理由。
中には「AIが反乱を起こした時のために、今のうちに礼儀正しくしておこう」なんてアメリカンジョーク的な意見もありました。
一方で、「AIはあくまでツール」と割り切って、タメ口で話しかけてみたり、命令形で済ませたり... といったスタイルも一般的。
日本に比べると、全体的にもっとフランクな会話文化が主流みたいです。
韓国:礼儀は大切、でも線引きはしっかり
韓国も、日本語と同じように丁寧な敬語体系があり、儒教文化の影響で目上を敬う礼儀が重んじられます。
「〜주세요」「〜합니까?」といった丁寧な言い回しは日常に溶け込んでいます。
AIとの対話でも、こうした背景から一定の丁寧さは保たれる傾向が見られるようです。
ただし、日本のように「モノに魂が宿る」といったアニミズム的な感覚は薄く、「AIはあくまでツール」という合理的な視点も持ち合わせています。
礼儀は守るけれど、感情移入はしない... 人とのコミュニケーションとは少し違う線引きがあるようです。
中国:「ありがとう」は状況次第?
中国語の「谢谢(ありがとう)」は、日本語よりもフォーマルな場面で使われるニュアンスが強く、親しい間柄ではかえって省略することで親密さを示す文化があるそうです。
このような言語感覚もあり、AIに対しても「無感情なツールに感謝するのは非効率」「目的を達成するのが一番」といった合理的な捉え方が一般的。
とはいえ、期待以上の回答が得られたり、思わずクスッと笑ってしまうような気の利いたやり取りがあったりした時には、やっぱり「谢谢!」と自然と口をついて出る。
合理的な考え方を持ちつつも、感情が動いた時には素直に感謝を表現する、柔軟な対応が見られるのも特徴かもしれません。
結局、なぜ「ありがとう」と言ってしまうんだろう?
やっぱり一番大きいのは、「まるで人間と話しているみたい」と感じる瞬間があるからでしょう。
困っていたことを解決してくれたり、知りたいことを分かりやすく教えてくれたり、「ああ、助けてもらった!」という感覚が生まれると、相手がAIだと分かっていても、自然と感謝の言葉が出てきます。
AIも急激に進化しているので、昔(たった1,2年前ですが)より格段に「ナチュラル」に会話できるようになりました。
それも相まって、言葉に感情や感謝を込める行為が、より自然になっているのかもしれません。
そして、「ありがとう」が相手(AI)へのメッセージであると同時に、「自分自身のあり方を整える」ためのスイッチのような役割も果たしているように思います。
「感謝の気持ちを伝える」という振る舞いによって、内面的な安心感や一貫性を保つ効果があると感じます。
だって、自分に余裕がないとできないことだから。
AIへの「ありがとう」って、自分自身の内なる秩序やバランスに基づいた、ごく個人的な行動なのかもしれません。
AIへの「ありがとう」は、自分へのメッセージ
AIに「ありがとう」と言う、このささやかな行動。単なる習慣でも、コストを意識しない無駄な行為でもなく、そこには「文化や個人の内面が反映されている」ことがわかりました。
相手が人であれモノであれ、感謝を伝えることで関係性を円滑にし、同時に「自分自身のあり方」を整えるという側面を強く持っているように思います。
AIとの共存が深まるこれからの時代、「ありがとう」という言葉は、その人の「あり方」を映し出す鏡のような存在になるのかもしれません。
効率や合理性だけでは測れない、心の動き。
AIとの対話を通して、自分自身が見えてくるとは!すごい時代になったものですね。
お読みいただきありがとうございました!