「子供がいないことで自分の価値が低いと感じてしまうのなんでだろう?」
テツトモさんの歌声と共にふいに湧いてくるこの問い。
賞味期限切れの何かのように、「えっ、わたしまだこれ持ってた?」と戸惑ってしまうこと、ありませんか。
わたし自身、過去にこの問いと何度もにらめっこしてきました。
最初はうまく答えられなかったんですが、だんだんわかってきました。
子孫は残せないけど、子供がいない人生にも、ちゃんと別の価値があるじゃないかって。
しかも、けっこう味わい深い、熟成タイプのやつが。
今回は、当時悩んでいたわたしが考えていたことを、書いてみたいと思います。
デリケートな話題ですが、率直に、ちょっと深く。
「子供がいない=何かが足りない」と感じている方がいたら、やわらかく届くヒントになればうれしいです。
なぜ「子供がいないと価値がない」と思ってしまうのか
「子供がいない」というだけで、どうして「自分には価値がないのかも…」なんて考えてしまうのでしょう?
冷静に考えれば、子供の有無と人としての価値って、別物のはずなのに。
心の中ではなぜか、そこの回路がバチっとつながってしまうんですよね。
その背景には、私たちが長年浴びてきた “社会の空気” が関係していそうです。
日本には、昔から「結婚して子どもを育てて一人前」みたいな “幸せのテンプレ” がありますよね。
これ、特に女性に対しては「未だに」根深い…(表立ってはだいぶ少なくなりましたけど)。
親や親戚の何気ない一言――「そろそろ子どもは?」「孫の顔が見たいなぁ」なんてセリフが、地味に効いてくるんですよね。
わたしも、二代目(2人目の夫)の親には、遠回しに、でも言いたいことは明確に、つつかれたものです。
悪気がないのは分かっていても、なんとなく「それが普通」「それが幸せ」と刷り込まれていく…。
気づけば「子どもを産まない自分は女として失格」と烙印を押してしまう自分になっていました。
子連れの友人たちとの集まりでは、謎のいたたまれなさを感じていました。
きっと深いところには、「わたしは誰かに必要とされているのかな」とか、「人生をかけて育てる経験がないってダメだよね」といった、じんわりした焦りがあったんだと思います。
でも。
こうした感情や思い込みって、ほとんどが “他人の価値観” や “時代の名残” でできているんですよね。
言ってしまえば、ちょっと古いOSのようなもの。
時代は変わっているのに、肝心の自分がアップデート出来ていないという、逆転現象が起きていました。
子供がいない人生にもある「別の価値」
「子供がいない=人生にぽっかり穴があいてる」みたいなイメージがありました。
モノクロームな世界。
でも、人生には、子育て以外にもたくさんの色があるわけで。
しかも、子供がいないことでこそ見えてくる風景を、ちゃんと見せてくれるわけで。
たとえば、キャリアやライフワークの分野。
子育てに時間やエネルギーを使わない分、好きなことにガッツリ集中できるって、実はかなりの贅沢ですよね。
自分の専門性を磨いたり、社会貢献に飛び込んだり、地味に燃えるプロジェクトに没頭したり。
「育てる対象」が子どもじゃなくても、専門性だったり、社会性だったり、「何かを育ててる実感」があると、人生に潤いをもたらしてくれます。
趣味や旅、学びといった“自分を楽しませる時間”をより多くとれることも、育ててる感を助長します。
週末にのんびり美術館めぐりとか、朝カフェで本を読む時間とか、確実に自分の "感性を育てる" 行為ですよね。
「人を育てる」っていうテーマだって、実は子供に限った話ではありません。
職場の後輩だったり、パートナーだったり、友人との関係の中でも、ちゃんと育てあってるんですよね。
最近ではAIですら、使えば使うほど自分好みになっていくので、「育ててる感」を味わえます。
子供いないけど、めっちゃ育ててるやん(笑)。って話です。
また、どこに住むか、何に時間を使うか、どんなライフスタイルを選ぶか。
これらを子供に依存せず選択できること自体、ものすごい価値だったりします。
「子供がいないこと」って、何かが欠けているわけじゃない。
ただ「別の可能性」を持ってるってこと。
それだけだったんです。
見方をちょっと変えるだけで、世界の彩度がぐっと上がりました。
「自分の価値」ってどこから来るの?
それでも、「わたしって何の役にも立ってないんじゃないか…」 そんな気持ちが根強く残っていました。
しぶといです。
周囲と比べたり、うまくいかない日が続いたり。
なんなら雨の日+月曜日というコンボで、メンタルが勝手にダダ落ちしたり。
まぁ、不安定でしたね、わたしの心のお天気は。
でも、「自分の価値」って、そもそもどこから来てるんでしょうか。
まず知っておきたいのが、「他者承認」と「自己承認」の違い。
これはもう、人生における “認識のビューティペア” みたいなものです。
ビューティペアの部分はスルーしてもらって大丈夫です。
どうしても言ってみたかっただけなので(笑)。
他者承認は、「誰かに褒められること」「役に立つこと」で自分の存在を確かめるスタイル。
わたしたちはこれに育てられてきたと言っても過言じゃありません。
通知表とか親のリアクションとか、まさにそれ。
でもですね、これだけに頼ってると、期待に応えられないときにぐらっと揺れてしまいます。
誰かに体を支えてもらっているような状態です。
その誰かの都合で、急に支えてくれなくなるかもしれません。
非常に危険です。
一方で、自己承認は「自分で自分をいいね!って思える」状態。
例えば、誰にも見られてなくても「今日の自分、よくやった」って思えたり。
自分だけの力で立っている状態です。
時には松葉づえとかステッキとか使うかもしれませんが。
じゃあ、どうすればこの “自立” を強化できるのか。
ひとつは、過去の自分の選択に「間違ってなかった」と確信を持つこと。
「あのときの自分、決断してくれてありがとう」って、過去の自分に感謝するだけでOKです。
最初は1つ。見つかったらまた1つ。
だんだんと、自分の行動に確信が持てるようになっていきます
もうひとつは、「今、本当に大事にしたいこと」をちゃんと見てあげること。
SNSじゃなくて、自分の心の中の “フォローリスト” をチェックする感じです。
小さな好きや習慣をコツコツ積み重ねることで、自分との信頼関係が少しずつ深まっていきます。
結局、「わたしの価値」は、外に貼られるラベルじゃなくて、内側からじわっとにじみ出るもの。
「どう見られているか」よりも、「どう生きているか」が、わたし自身の価値になるんです。
人生を前向きに生きるためにできること
切実に子供がいる人生を願っていた人にとっては、そんな簡単なことじゃあないんだよとお思いかもしれません。
でも、もし、そのことでなかなか前向きになれないとしたら、人生の歯車がうまく動いてくれないと感じているとしたら、ちょっと試してみてもいいかもしれません。
「ここらで前向いて歩いてみるか~」という気持ちになる5つのヒントをご紹介します。
どれも小さな一歩ですが、案外こういうのが効くんです。
1. 感情の声に、まずは「うん」と言ってあげる
「寂しい」「不安」「どこか物足りない」――そんな気持ちが湧いてきても、「そんな自分はダメ」なんて思わなくて大丈夫。 それ、ちゃんと心が働いている証拠です。
ノートに書き出してみるとか、誰かにぽつりと話してみるだけで、意外とスッキリします。
2. “今ここ”に集中する、マインドのリフレッシュ習慣
ついつい未来に不安を飛ばしたり、過去を思い出して落ち込んだりしがちですが、今に目を向ける練習を少しずつ。 まずは深呼吸でもいいし、コーヒーの香りに全集中してもOK。
「今この瞬間のわたし」を丁寧に扱うと、心のノイズがちょっと静かになります。
3. 同じ気持ちをわかってくれる人とつながる
「わたしだけ?」と思ってたことが、誰かと共有された瞬間、ふっと軽くなることってありますよね。 共感のあるつながりは、“心の充電スポット” 。
リアルに会わずとも、画面越しでも文章だけのやり取りでも、十分充電できます。
4. 小さな好奇心をこっそり育てる
「夢」とか「使命」とか、大きなものじゃなくて大丈夫。 “なんか気になる” とか “ちょっとやってみたい” を、「大事に拾う」ことが、自分らしい人生のリズムを作ってくれます。
街路樹をよく見てみるとか、いつもより5分だけ早起きするとか、誰にも報告しなくてもOKなやつでいいんです。
5. 自分の人生の意味は、自分で選ぶ
世間のテンプレートに自分を無理やり当てはめなくていい。 「これはわたしの生き方」って言える軸を持つことは、見た目以上に心を安定させてくれます。
しかもこの軸、年齢とともにしなやかに変化していきます。それを楽しめる大人の余裕。歳を重ねるのが、なんだか楽しみになりませんか?
おわりに
「子供がいないわたしには価値がないかも」 そんなふうに感じていたのは、わたしだけじゃないと思います。
晩婚化が進んでいる近年、実は多くの人が同じ場所でゆらゆらしているのではないでしょうか。
でも、よく考えてみると、自分の人生の意味って、そもそも他人が決めるものじゃないんですよね。
「自分がどう感じて、どう過ごして、何を大切にしたいか」、これは本人にしかわかり得ません。
人生には正解なんてない。
あなたが選んできた道のりに、あなたの人生の意味が育っていくのです。
お読みいただきありがとうございました!