みなさんは「独り」という言葉から、どんな感情やイメージが湧いてきますか?
わたし、プライベートと仕事で「独り」に対する自分の気持ちがまるで違っていたんですよね。
40代の頃に感じていたこと、考えていたこと、振り返ってみたいと思います。
気づきはいつも突然やってくる
40代のある日の夕方、仕事を終えて(疲れ切って)帰宅する電車の中で、ふと考えていました。
仕事は「独りでやりたい」のに、プライベートで「独りは避けたい」と思うのは、なぜ?
同じ「独り」という言葉の中に、2つの異なるイメージを持っていることに気付きました。
それと同時に、電車の窓に映る自分の顔を見て、しっかりくっきりほうれい線があることにも気付きました。
(これは気付きたくなかった😭)
プライベートでの「独り」との向き合い方
ある時期独身だったわたしは、休日に予定が入ってないと、なんだかみじめな気持ちになってたんです。
20代の頃はSNSなんてなかったので、たぶんそんなに気にならなかったんだと思います。
30代とかそれこそ40代になっての日常には、InstagramやらFacebookやらが溶け込んでいるのはご存知の通り。
楽しそうな、キッラキラな、女子や男子たちの投稿が嫌でも毎日目に入ってきます。
嫌なら見なきゃいいのに、ついつい見てしまうんですよね。
そして、「休日なのに独りで過ごしている自分」がどうしようもなく惨めに感じてしまうように。
例えば、休日に一人でカフェに入るのも、勇気がいりました。
周りから「みじめな人」に見られてるんじゃないかって、とにかく「人からどう見られるか?」をすっごく気にしていたんですね。
だから、どうでもいい人と付き合ってみたり、あまり気が乗らない飲み会にも参加してみたり、なるべく「リア充(私語)」っぽくふるまっていたんです。
たいがいそんな日は、仕事の日よりもどーっと疲れました。
体力的にも、精神的にも。
「独りでいられる能力は精神の強さの証」って何かで読んだことあるんですが、正直、そんな強さよりも、一緒にいてくれる人が欲しいのよ!と思っていたのでした。
仕事での「独り」との付き合い方
面白いことに、仕事となると状況は真逆でした。
20代でフリーランスになって、約四半世紀ずーっと独りでやってきたので、会社員のように「上司と部下」とか「チーム」とか、「誰かと一緒にやり遂げる仕事」というものが無かったんですね。
それはわたしが「そうしたい」と思って選んだスタイルでした。
仕事に関しては、自分で決めて、自分で好きなように動いて、働いた分すべて自分の収入になることが、絶対条件だったんです。
そして、そんな自分を「かっこいい」と思っていました。
すごく矛盾してますよね。
仕事での「独り」は、独立したカッコイイわたし。
プライベートでの「独り」は、みじめで恥ずかしいわたし。
同じ「独り」なのに、こんなに違う意味を持っていたなんて。
自分でもびっくりです。
逆転現象
その後のわたしは、プライベートでは伴侶が見つかり、仕事は引き続き独りでこなす日々を送っていました。
これで思い通り!と、思いきや。
50代になった今のわたしは、プライベートでは一人遊びを満喫し、仕事では信頼のおかける仲間たちと一緒にビジネスしている。
あれ?
40代で選んだ「独り」の生き方が、いつの間にか逆転していたんです。
あんなに望んでいた「誰かと一緒に過ごす休日」に、「仲間と共に仕事している」という現実。
充実感・満足感・幸福感を感じているのは、ダントツで今!
歳を重ねるほどに、本当の意味で自由になり、右肩上がりで幸せになっているわたしは、なんて幸せ者なんだろうと思います。
最後に
わたしがわかったことは、結局、「どちらも必要」ということ。
独りでいることも、誰かといることも、どちらか一方ではなく、両方。
こんな当たり前に思えることも、渦中にいるときは見えなくて、悩んだり、落ち込んだり、妬みや嫉みにもがいたり。
するものですよね、人間って。
わたしなりのポイントは、そのバランスは「必ずしも半々ではない」ということ。
「独り80:誰かと一緒20」かもしれないし、「仕事は独り30:仲間と一緒70、プライベートは独り90:伴侶と一緒10」かもしれない。
ここを無理に、「50:50でバランスとろう!」と思うのは落とし穴だと思うのです。
人それぞれ、自分にとっての絶妙なバランスがあるはずです。
「わたしも似たようなこと考えてた」や「それはちゃうでしょう」など、みなさんが考える「独り」についてコメントいただけると嬉しいです🎵