ALOHA STAR MUSIC DIARY ディレクターズ・カット -3ページ目

ALOHA STAR MUSIC DIARY ディレクターズ・カット

80年代の湘南・・・アノ頃 ボクたちは煌めく太陽のなかで 風と歌い 波と踊った。


昨日ね。北口のデパート行ったらさぁ、ものすごく可愛いワンピースがあってね……

受話器の向こう、そんな調子で浅倉トモミは嬉しげに喋(しゃべ)りはじめた。

けれど、僕は朝からG'Zで12時間以上もバンド練習をぶっ通したせいで、しばらくは、ろくに返事もしなかった。

「だけと、そのワンピースがねぇ。結構高くって、6千円くらいしたんだよ。でも、見てたらすごい欲しくなっちゃって……」

一向に終わらなそうな身のない話に飽きてくると、僕は、あのね、と切り出した。

「どうでもいいけどさぁ、もう夜中の11時半だぞ。俺は今日、ずっと一日じゅう歌いっ放しで、クタクタなんだから……」

「でねぇ。あさっての卒業ライブんとき、どうしてもソレを着て行きたくってさぁ。だから、ママに『お願いだから買って』って、必死にせがみ続けたんだよ」

トモミは疲弊しきった僕のことなど、まったく意にも介さない。だから仕方なく、「あぁ、そうかい」と、突っけんどんに返してやった。

「ほらぁ。だって先週さぁ、希崎君たちのライブを観に行ったとき、アタシ、横浜の学校の子たちから、『ヤンキーっぽい』だの『ダサい』だのって色々いわれたでしょ。だからね。カミュのライブには、ぜったい、お洒落して行くって決めてたんだ」

「別にこないだと同じ格好でくりゃいいじゃん。ピンクのスウエット上下ってのも、微妙にお洒落だったけどね。すんげぇお前っぽくてさぁ」

ククッと笑って、軽く嫌味をぶつけてやった。

「えーっ、でもさぁ。きっとカミュもアタシを見たら驚くよ。ん? もしかしたら気づかないかも。なんてったって今度はアタシ、大人っぽい黒のワンピース姿だもんね」

2日前の深夜、トモミは、「じゃあ昼くらいには行くから」と上機嫌に言ってたけれど……

体育館のステージ脇、奇声を上げつつ汗だくで、仮設の控え室から颯爽(さっそう)と出てきた鈴本タツヤらの勝ち誇った顔つきを眺めると、僕は彼らのはるか頭上に、丸くて大きな掛け時計を見上げた。


一九八四年三月二十五日(日)卒業記念ライブ当日、午後二時前――


霧雨は、粒を次第に増していく。薄っすら湿った土色は、濃度を帯びて黒ずみはじめた。

「さぁて、どうやら素人バンドのヒデぇ演奏も終わったみてぇだし、ボチボチ中に入るか」

黒いレザーコートの襟を立て、神山コウが呟いた。

そうだな……、と希崎ユウトは、雨宿りしていた桜の樹影(じゅえい)に佇み、すっかり彩りを奪われた枝葉を見やった。

桜花(おうか)の色は雨に散り落ち、無情に充ちた憐(あわれ)みが、か細い枝の先々に灯しだされていく気がすると、彼はなんだか虚しくなった。

ゴホンと咳払いで間合いを見計らい、ローカルテレビ局のプロデューサー岡村ヨウコは、背の高い希崎の後ろ姿に訊ねた。

「ねぇ希崎君。椎那君のバンドって、何時ごろからライブやるのか聞いてる?」

「うーん。なんか、まずはイトコだかのバンドに飛び入りして、何曲か洋楽のカバーを歌うっていってたような……」

いずれにしても、ヤツらのバンドはトリだと思うけど……、そういって希崎は、ポニーテールで結わき残した前髪が一束垂れ下がるのを気にする素振りで右の耳に引っ掛けた。

「……やっぱり彼に取材交渉をお願いするのは無理かな。私ね、どうしてもセンティナリスの二人が認めた才能を、このまま誰にも知られず埋もれさせる気にはなれないのよ」

「だからぁ、俺は別にヤツのことなんて、これぽっちも認めてないですってば」

呆れ口調で神山コウは、右手の人差し指と親指をわずかに離して輪を作り、湿った金髪の奥、大きな瞳をヨウコへ向けた。すると、神山の隣で、凛(りん)と張りつめた沈黙を纏(まと)う霧島ヒロミが、黒いニットキャップの陰りのなか、流麗な上唇をなごませた。

「とりあえずカミウ君に聞くだけでも聞いてみればいいんじゃない? ライブの撮影を許可するかどうかなんて、なにもコウたちが決めることでもないでしょ」

無言のままに首をかしげた神山は、彼よりだいぶ長身のヒロミに視線を上向けた。

「まぁ確かに。そういわれればそうかも知れねぇな。そもそも最終的に撮影の許可を判断するのはカミュじゃなくて学校側だろうし」

フッと高い鼻の下で笑うなり、希崎は、よろめきながら神山コウに近寄って、レザーコートの右肩をポンと叩いた。

「どうやらヒロミちゃんの意見が正しいわ。俺らが決めることじゃねぇ。よーし。じゃぁ、俺がカミュの気持ちを確認するからさぁ、岡村さんのほうは、とりあえず学校関係者に取材の交渉してみたら。なぁコウ」

そう振られると、神山は腕を組んだまま、嘲笑(ちょうしょう)を唇の端に浮かべた。

「勝手にすりゃいいじゃん。俺には全然関係ねぇし」

「おう」と、希崎は軽く左手を挙げ、ブーツの踵(かかと)を引きずるように体育館へと向かった。右足をかばう痛々しい歩き方を、霧島ヒロミがいたわった。

「ねぇ。ホントに足は大丈夫なの。希崎君」

神山や霧島ヒロミと揃いの黒いロングコートをまとった希崎は、二時間ばかり前、ネオ・クラッシュの特攻隊長、西尾に鉄パイプを叩き込まれた右ひざをくの字に曲げて、何度か宙を蹴る真似をした。

「さすがに走れやしねぇけど、歩く分には問題ないんでね。けど俺のことなんかより、ヒロミちゃんの体調のほうがよっぽど心配なんだけど」

「あら、ワタシは全然平気よ。今日は湿度が高いせいか、ほとんど咳も出ないし」

ニットキャップを目深に被ったまま、ヒロミは穏やかに口許を微笑ませた。とはいえ蒼白い唇は、決して血色が良いとはいえないな。と希崎は感じた。

あっ。そういやぁさぁ……、あごの辺りに手を当てながら、神山コウが不意に訊ねた。

「さっき暴走族の連中にボコボコにされてた女の子。けっきょく様子はどうだったんだ?」

えっ、と希崎は慌てて神山を振り返った。どうやらさっきまで浅倉トモミの病院を見舞っていたのがバレているらしかった。

「しっかしあの子もすげぇな。どんな理由があろうと、女ひとりで武装したワルどもになんて挑んだりしねぇもんだし。ふつうは……」

手のひらをひっくり返すと神山は、雨足を気にする素振りで空を眺めた。

「あの子って、たしか先週、オレらのライブに来てたよな。シーナと一緒に」

「あぁ。俺が頼んだんだわ。『トモミも一緒に連れてこい』って。カミュに」

「きっと相当好きなんだな」

「そりゃそうだろ。じゃなきゃ、死に物狂いで、カミュたちの夢だった卒業ライブを守ったりなんてしねぇよ。なんでも彼女にとっちゃあ、カミュは『恋人以上に大切な存在』らしいからな」

「いや。あの子じゃなくってさぁ……」

と華奢で小柄な神山は、雨の雫(しずく)をコートの肩先にたたえ、ジロリと希崎を見つめた。

「ユウト。『お前が』だよ。お前、マジで惚れちまってんだろ。彼女に……」

「はぁ。そんなわけねぇじゃん」

フッと高い鼻先に笑みを浮かべた希崎は、「と言いたいとこだけど……」そうつけ足して、切れ長の両目を閉じた。

「あぁ……どうやらそうみてぇだわ。でも彼女は無理だ」

「無理?」

「あぁ無理だ」

と軽く頷き、希崎は小声で呟いた。

「今日のライブには来れないと思う……」

無理と語った本当の意味を、神山コウは察したが、「そうか」とたった一言告げて、雨曇りの空をまた見上げた。

「ほんじゃあ、先に行くぜ」

そう言い残し、やがて希崎は体育館へ向かった。

希崎ユウトや佐久間リョウが加勢する直前まで、たったひとりで西尾率いるネオ・クラッシュの特攻部隊に立ち向かい、必死にライブ会場への侵入を阻止し続けた浅倉トモミ。

〈アタシのこんな恰好を見たら、きっとカミュが心配しちゃうでしょ〉

引き裂かれた黒いワンピース姿で、クスリと笑った彼女を想うと、希崎ユウトは、やたらと胸が苦しくなった。