最初にこのタイトルでブログを書き始めるべきでした。

 

 前回の某氏がブログを書いていらっしゃるのを見て突発的に始めた、というのがブログを書いたきっかけなのだが、氏以外も、アカデミアの人はたまにブログを書いてらっしゃって、大抵はものすごく結果を残している人だなあという印象。自分は彼ら彼女らほど結果を出せるとは(現時点では)到底思えないが、まあもし見てくれる人がいればいいなあ、何かの参考になればいいなあという感じで始めました。適当にやりたいので、誤字脱字、論理の破綻、日本語の崩壊は目を瞑っていただければ。。。

 

 自分は今、某国立大農学部のM1で、博士課程進学予定である。農学部と言っておきながら、やっているのは理学部でやるようなwetの神経科学。それ以上特にいうことはないかなあ。。

 

 有名な幾つかの書籍でも言及されているが、思考を整理するには、やはり文章にまとめてみるのが一番良いように思う。ベストなのは、鉛筆で紙に書くことだが、それだと他の人に見せられないので、ブログにまとめようと思った次第。

 

 ここ最近は、日本オワコン論、特にアカデミアオワコン論があらゆる場面で聞かれるようになり、もう国や会社や大学におんぶに抱っこで生活はできないことを悟り、かといって自活する能力もないので、どうしたもんかなあと思いながら、目の前の研究に忙殺される毎日である。国外逃亡と言ったって、向こうで職を得なければならないわけで、飯も日本よりうまい国はないだろうし。まあ少なくとも、日本でアカデミアを続けるのは絶望的なので、Ph.Dを取り、どこでも良いから海外に逃亡できるだけの肩書きは最低限持っておいて、博士修了後はどこかそれなりに金がもらえる会社に就職するのが良いだろうか。。

 

 自分のやりたいことをやるのが一番幸せなんだろうが、それはもはや贅沢な望みのような気がするし、そもそもやりたいことってなんなんだろう。。。

 もうすぐ学振の審査結果が発表らしく、それに関連した、たかはしけい氏のツイートがプチバズしていた。生物分野の枠が大きい一方で、数学や物理の枠は小さい。それに加え、自分で頑張らなくても先生の言うことを聞いて論文の共著にしてもらえれば生物分野では学振が取れるのだ、という感じの内容。

 

 まあ確かにそうだなあと思って氏のブログやらYouTubeやらを見ていると、繰り返し「高校の積分くらいは最低限できないとお話にならない」という主張がなされている。数学コンプレックスを小学生の頃から(小学生は算数だが、自分は算数も苦手だった)抱いている自分にとっては、かなりブッ刺さる話である。

 

 おそらく氏が言いたいのは、高校の積分や、単振動の微分方程式もろくに解けないバイオ系の人間が、それっぽいデータを出して論文を書いているのはけしからん、という感じだろうか。いや、もっと深い話というか、あらゆる現象の根底にある論理や理論といったものを理解せずに研究活動をやり、役に立つかどうかもわからない研究に血税が注ぎ込まれるのはおかしくないか、ということかも。

 

 色々と話題を広げられるお話だと思うし、自分なりに考えて混乱しそうなので、「ここをもう少し氏に聞いてみたい」というところを話すと、基礎的な能力(?)としてあげられている、高校の積分や単振動の微分方程式を解けることが、ほんとうに思考力と直結しているのかという部分である。

 

 これだけ色々なところで言われている以上(わかりやすい例として言っている部分もあるのだろうが)、思考力とかなり直結する部分だと認識していらっしゃるのだろうが、一方で高校の積分は、(自分が受験勉強でめちゃくちゃ解いた経験からして)すべてパターンで解ける問題が多かったように思う。1/xの不定積分はlog(x)+Cだとか、変数を三角関数に置き換えるだとか、ある意味覚えていれば、どれだけ計算ミスしないかの勝負であり、むしろその式を立てるところが問題のキモだったと思う。

 

 単振動にしても、式をいつでも解けるということより、問題設定を正確に理解して式に落とし込む能力や、式の表す物理現象を定性的に議論で切る能力の方がより本質的な能力だと思うのだが。

 

 氏の発信をもう少し追ってみたい。