雪頭ヶ岳から秋の富士山、ダイエットしています | ラケットちゃんのつぶやき

ラケットちゃんのつぶやき

ブルセラコスチュームで、あちらこちらに出かけてます。
最近は、主に富士山麓の山に登ったときの、雄大な富士山と、自身の写真をつけてます。
ブルセラアイドルの夢を見ながら、日常の現実に対するいろんな思いを綴ります。

 

読者の皆様、
いつもお越しいただいて、ありがとうございます。
いつもぺたやイイネを、たくさんつけていただいて、大変にありがとうございます。
私にとって、とても励みになっております。
厳しい夏が過ぎ、秋がそこまでやってきてます。
朝晩は少し過ごしやすくなりましたねえ。
まだまだ残暑は厳しいです。熱中症やウィルス性腸炎には気を付けてください。

 

忘年9月、晴れ。

気持ちい富士山です。


根場民宿バス亭に着き、9時前から、雪頭ヶ岳へ向かって登山開始。
この日のコスチュームは、某高校の白のセーラー服に、白のミズノのバレーボールブルマ(MIZUNO、59RQ-200白)、黒の三角タイ。
白のミニスカート、ピンクのミズノのサポーター。
林道を、東入川堰堤広場へむかって歩きます。


さわやかな朝の林道です。
東入川の右岸、堰堤広場に着きました。
ここから登山道です。
歩行者通路の掲示があります。
東入川は、ほとんどいつも涸れ沢です。
これを左岸に渡って、整備された登山道を進みます。
木でできた階段は、百段以上はあるでしょう。
東入川堰堤の左岸を通過します。
整備された登山道は、このあとわずかで終了で、東入川の沢の手前に出ます。
北側の斜面に取り付いてから、人工林のなかを少しのぼると、大きな岩の手前に立派な看板があります。
このあと、九十九折れが数回続き、50mぐらいかなあ、高度を上げた後は、ひたすら山頂を目指す緩やかな南側斜面の一本道です。右下は、時に切り立っていて、一部崩れかけたところもあります。
さあ、20分ぐらいかなあ、遥か下の沢に水が流れる音がこだましてきました。
すると、十数m先に大きな岩が見えて、道が急に斜面を折れて急登に変わり、九十九折れが始まります。
このあと3回折れて、少し工夫を要する岩場を通過すると、尾根に出ます。
道がほとんど直角に折れる地点で、いつものように少し休憩。
北側からの風がすこし出てきて、汗びっしょりなので、さわやかです。
ここからは、尾根道を、主に北側に巻きながら登ります。
約20分ほどで、「ブナ原生林」の標識がありました。
この標識も、時々外れて倒れていたりして、来るたびに位置が少し変わったりしています。
一度、斜面に落ちかけていたので元の位置にもどして立てておいたときもありました。
まあ、分枝部ではないので、迷う人はいないでしょう。
ここから、さらに15分ぐらい足を進めて、北側を大きく巻いた後、南側に始めて出ると・・・
開けた斜面で、富士山が、きれいです。
登山口から、始めての、開けた景色です。
このあとも、急な登りですが、次第に高度を上げていきます。
そして、足元注意の看板がある、岩場にきました。
上方の木の根にかけたロープが見えます。
木々が色づき始めていて、すっかり秋の風景です
まあ、雪頭ヶ岳までのコースで、最も危険なところでしょうか。
私は、ここを通過するときはいつも立ち止まって写真をとり、根性を入れなおして通過してます。
この灰色のロープは、今は大丈夫だけれど、先の木の根がぐらぐらしていて、いつかは外れるだろう。
だから、ロープに頼らず、3点保持の基本通りに、通過します。
これを通過すると、再び、絶景です。急登が続きます。
その後、道が北側を巻き、急な岩場をもうひとつ通過すると、ひょいと南側に出たら、再び富士山が。
ここからは、南側はほとんど草原状になってます。
絶景を右手に、開けた斜面をのぼりつめて・・・
着きました。雪頭ヶ岳山頂です。
天空は突き抜ける青空、眼前には壮大な裾野の上に、雪化粧した富士山。もう、すぐに手が届きそうな山頂。
しかし、眼下は約800m下に、西湖と桑留尾の集落、高度1300mの足和田山を見下ろし、西は河口湖と遠くは山中湖や箱根の山々、東は本栖湖、天子山系の山々が連なっています。
南風が吹き上げ、富士山にはいくらか雲がかかっています。
揺れるススキ、色づく葉桜、小さな木の実・・・
山頂のお花畑も すっかり秋です。
いつもの、勤行をして、富士山と、ゆっくり対話しました。
さあ、今日も、満喫するぞうお!
草原上の山頂で、セルフ撮影しながら、いろいろ思索です。
煙突からか、ちいさな煙がでてました。
みんな、見えます。
白日の下ですねえ。
この、大いなる大自然を大切にしなければならない。自然に帰らないものを造ってはならない。命も循環している。この摂理を破ることは、必ずそれなりの報いがでる・・・
お花にとまった蝶々。
いいなあ。
でも、この美しい地球を護らなければならない。
この大自然は、人類だけのものではない。
この地球上の生物は、たたひとつ人類をのぞいてすべて、あるがまま、流れるがままの生を営み、環境破壊をしていない。
人類だけの、際限のない欲望の追求で、地球が、かつてない危機に瀕しつつある。
人類は文明によって、天敵がなく、他の生物によって食べられる事態は克服した。
しかし、結局は、細菌やウィルスなどによって土に返る。
それを免れても、人体を構成する60兆ほどの細胞は、メモリーされた遺伝子によって、生まれながらにしてアポトーシス(自殺)が悉くすすむようになっていて、やがて寿命を終えるシステムとなっている。
この哲理に謙虚でなければ、真の幸福はない。
医学が進歩して寿命が長くなっても、問題が先送りされるだけ。
どこかの国の政治や行政のよう。
それどころか、昔の人より「死」苦や「病」苦は、むしろ永く大きくなっていると言えまいか。
その結果が、わが国を始めとした、超高齢化社会の到来であろう。「老」苦が永くなる一方であると言えまいか。
ヒントはあふれるほどある。仏教はほとんどすべて。たとえば、ろくや苑の鹿などの説話にも、よき教訓がでている。
いまこそ、人類の叡知が試されている。


この岩場の下は、きわどい。
もし落ちたらいっかんの終わりかな。
ヒヤッホー
吹き上げる風も、意地悪だなあ~

絶好のスリルです。
でも、足元が安定して、バランスが安定であればOK。
登山靴は大切です。

馬乗りになってみます。とっても気持ちいいです。

南風で、雲がこちらへ迫ってきました。

秋ですねえ。

三角岩です。

また馬乗りにまたいで喜び戯れている私。
日が西に傾いてきました。
そろそろ降りなくっちゃ・・・
もう降りなくっちゃ・・・
元来た道を、ひたすら下り・・・
登山口に、無事降りてきました。

 

 

 

 

ただいま、ダイエットしています。
毎日、体重計にのっています。

1年前に比べて筋肉量300g程が減って、体脂肪率が20%を超えてしまった。
バランスとしては、なんとか標準範囲に保っているけど・・・
この12か月は、うつ病になったこともあって、運動量が減り、食事摂取量もバラついた。
生活習慣という点ではすこし後退した。
これも厄年をこえたからかもしれない。
ストレスは、自身を高めていくものと受け止めていくべきだが、やはり、自分にまけて、食べなかったり満腹になるまで食べたりしてしまう。
睡眠時間も不規則になるため睡眠薬を飲んでいるけど、やはり絶対的に時間が少ない日もある。
こんな日は翌日はさらにきついし、うつ病の回復期に入ると、夕方になって盛り上がってくるため、さらに夜更かしをしてしまう傾向。
今年に入って2月には、安定期に入ったけど、気がたるんでしまう日もあり、緊張を強いられる日もあり、体重は乱高下。
山に登って非日常を満喫できる日もたまにあって、その後の1~2週間は、筋肉の再生などで、食べる量が多くなっても体重は安定していた。
しかし、そのあと1~2週間で、再び体重・体脂肪率が増える。
仕事が忙しいとはいえ、神経ばかり使って、あまり筋肉を使わないため、体に良くないと分かっているけど、具体的には仕事を減らすわけにもいかないから、食べる量を減らすしかない。
サプリメントに頼っても結果は厳然と積もり積もっていく。
ある限界を超えたときに、恒常性(ホメオスターシス)が崩れて、何か(事故や病気やケガ)が起こるだろう。
それにも備えていなければいけない。
そんなこんなで、6月末に体重が67kgになったときはさすがに焦った。
身長170cm
体重67.5kg
スリーサイズ
B:91cm
W:82cm
H:96cm

ふとった・・・

まさしく医者の不養生・・・

 

手っ取り早く、サプリとビタミン剤とブラックコーヒー1ショットで朝食を済ませ、夜は10時過ぎに家族がそろって食べて風呂へ入ったらすぐ寝る日を続けた。
今まで数回使った私のダイエット法なんだが、この1か月で5kgダイエットし、1kgリバウンドして波を打っている。
人間ドックにもいかないとな~あ。
健康保険組合から、自己負担分4万円ぐらい補助がでるらしい。

現在のデータです。

身長170cm
体重63.5kg
スリーサイズ
B:90cm
W:78cm
H:96cm

私は、何で、この東京砂漠に住んでいるのか。

「空が哭(な)いてる 煤(すす)け汚されて
人は優しさをどこに棄ててきたの
だけど私は好きよこの都会が・・・」
こう歌われた昭和の名曲で、内山田洋とクール・ファイブ「東京砂漠」 は、今でも、いろんなシンガーたちにうたわれている。
かつてのような公害はなくなって物があふれているけど、泣いているのは空だけではないし、汚れているのは自然だけではないだろう。
過疎に悩む田舎に行けば解決するとも限らないことは分かってる。
物理的な問題ではない。

いっそのこと、すべてのしがらみを放棄し、1~2年ぐらい一人で他国へ行ってしまえば、うつ病や肥満なんてなくなってしまうだろうなんて思いをはせることもある。
しかし、自身の直面する目の前の現実から逃げようとしても、向かう先には、また同様の問題に直面するに違いない。
なぜなら、これも自身の業なのであり、逃げた先の場所や社会も自身の命そのものであるからだ。

その場所でそれなりにその場所ならではの悩んでいる人がいるから、自身の生きがいこそあるのだろう。
大自然の摂理である仏法が、そのことを教えてくれる。

ダイエットというと、この飽食時代の日本、生活習慣病のうち、高血圧(患者数約1000万人、潜在人口20歳以上の約半数)、糖尿病(患者数約950万人、糖尿病が強く疑われる者」の割合は、男性15.5%、女性9.8%)、高脂血症(患者数206万人、潜在患者2000万人)
加えて、我が国の肥満者(BMI≧25 kg/m2)の割合は男性28.7%、女性21.3%(厚生労働省、2016年)もいる。
世界では、BMI≧30kg/m2の割合は人口65億人のうち、実に21億人(「世界肥満実態(GBD)調査」、2013年、医学誌「ランセット」)もいる。
その実態は、上位から
(1)米国(8,690万人)
(2)中国(6,200万人)
(3)インド(4,040万人)
(4)ロシア(2,920万人)
(5)ブラジル(2,620万人)
(6)メキシコ(2,490万人)
(7)エジプト(2,180万人)
(8)ドイツ(1,710万人)
(9)パキスタン(1,670万人)
(10)インドネシア(1,510万人)
であり、先進国ばかりとはいえず、開発途上国も含まれている。
いかに、人類が食を貪っているか、地球環境を食いつぶしているかが数字で示されている。

日本も、BMI≧25 kg/m2の人は推計で3000万人程いることになる。
日本でも、平成26年厚生労働省所得と生活習慣等に関する状況では、
「肥満者の割合は、男女とも世帯の所得が600万円以上の世帯員に比較して、200万円未満の世帯員で有意に高かった。」とある。
老若男女、裕福層だけでなく、むしろ貧困層にわたるまで、カロリーの取りすぎの傾向である。
ごく一部の、絶対的貧困を除けば、やはり、人類の多くは所得にかかわらず、使う分を超えて、たらふく食っている人が多いのか。

富裕層の醜さは、環境破壊だけでなく、パナマ文書でも暴露された。
「世界一貧しい大統領」と呼ばれたムヒカ前大統領の日本人へのメッセージが印象的である。
「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ。」
この基準に照らせば、パナマ文書で暴露された人たちが、最も貧乏な人となる。
最近は、タックスヘイブン(租税回避地)として有名なアイスランドに対し、EUが、課税逃れをしていたとされる米アップル社に対し追徴課税を指示した。
これをアメリカ政府は、自国への納税額が減るとして反対し、足並みが乱れている。
一方、我が国で論議される貧困についての多くは、食べ物が買えないという絶対的貧困ではなく、ざっくり言えば、食は有り余っているが周囲が持っているものが買えないという、いわば相対的貧困である。
人類以外のすべての生きとし生けるものは、生存に必要なだけしかカロリーをとらない。
相対的なものに目がくらむのは、目先の欲望をコントロールできないからで、結局のところ、「心」の貧困である。
富裕層から貧困層まで、富のあるなしにかかわらず、問われているのは・・・「心」の貧困ではないだろうか。


「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。
同じく、満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。
そして、その豚もしくは愚者の意見がこれと違えば、それはその者が自分の主張しか出来ないからである。 」
こう述べたのは、功利主義哲学者ジョン・スチュアート・ミルである。
功利主義といえば、元はベンサムが唱えたが、彼は、快楽について、量的なものよりも質的な精神的な快楽が重要だとしている。
つまり、好き放題食べたり酒を飲んだり楽をして得られる快楽と、読書や思索をして知性を身に着ける快楽とは同じではない。
量的なものよりも質的な精神的な快楽こそが大切であるとは、現在の相対的貧困問題や福祉制度・社会保障・介護問題などを考える上で、根本的に欠けていることではないか。

政治や司法や行政も、カネやメンツや既得権なんかだけでなく、こういう観点をもって取り組むべきではあるまいか。

池田 大作著『新・人間革命』第3巻 「仏陀」には、

釈尊は友の苦悩や問題を直視し、ともかく、それを取り除くことに力を注ぎ、時には生活の指導もした。
ある時、拘薩羅国の波斯匿王(はしのくおう)がやって来た。彼は美食家で、大食漢でもあり、体は、はち切れんばかりであった。その姿を見ると、釈尊は詩をつくって朗詠した。
「常に 注意を怠らず
適量知って 食する人は
苦しみ少なく 老い遅く
その命こそ守られる」
それを聞くと、王は家臣に、食事のたびに、この詩を諳んずるように命じた。
王は、食事時に必ず詩を聞いて、釈尊の注意を守った。そして、肥満は解消され、健康を取り戻した。
釈尊は、詩をもって友を励ます、「桂冠詩人」でもあったようだ。
【『新・人間革命』第3巻 「仏陀」】


ペンも紙もない太古の昔では、釈尊の教えといっても、口コミでないと伝えられなかった。
そして、心に残り効率よく伝えられるよう、工夫されたのであろう。
ちなみに詩の部分は、
人當自繋念:人はまさに自ら繋念して
毎食知節量:常に食の節量を知るべし
是則諸受薄:これすなわち諸を薄く受け
安消而保壽:安らかに消(ついや)して壽を保たん

 

「常に 注意を怠らず
適量知って 食する人は
苦しみ少なく 老い遅く
その命こそ守られる」
は、名訳と思う。

釈尊はご入滅80歳、 波斯匿王も80歳で釈尊に会っているから、紀元前のこんな昔に、よく長寿であられたものだ。

実際のダイエットや運動習慣は、自らが自身の体をフィールドにして描いていく以外にない。
教科書はいっぱいある。
たとえば、ネットなんかには

栄養学(ウィキぺディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%84%E9%A4%8A%E5%AD%A6
「食事バランスガイド」(厚生労働省)
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/eiyou-syokuji.html

正しいダイエットとは?(農林水産省)
http://www.maff.go.jp/j/fs/diet/health.html
これらは、あくまでも現在の科学的根拠が得られたものだけで構成されている。
だから今後変わることは大いにある。
書店にもダイエット本はあふれ、これを生業としている多くの人や企業もある。

やってみました! 1日1食 - 船瀬俊介(著)
できる男は超少食―空腹こそ活力の源 ! 船瀬 俊介 (著)
「空腹」が人を健康にする - 南雲吉則 (著)

これらは、なんだか矛盾したことも多い。

昔は一日2食だったが、多くの医学系学会に提唱する方法は、一日3食均等にとることを進めている反面、一日1食を提唱する人もいる。

某学会の権威と 南雲吉則先生(この人も乳がんなどの治療医)が某TVで討論をしていた。

 

私が実践したのは、これらを参考にして、一日単位で総カロリーを使う分だけ摂取し、他の栄養素・ビタミン・ミネラルなどを必ず補うという方法。

目標体重63kg

まあ、具体的に変えたのは、朝食にお茶漬けサラサラをやめた。

つまり朝食は抜き。

これで300~500カロリー減らせる。

昼食は病院食(600kcal前後、不味いけど、バランスが取れているので体には良い)のみ。

コーヒーのフレッシュを脱脂粉乳に変え、砂糖をカロリーフリーに変えた。

ポテトチップなどのお菓子やケーキ、ジャンクフードなどをすべてやめた。

納豆で蛋白と発酵食品のバランスをとった。

欠食で補う蛋白は卵と乳製品と納豆。

口がさみしいときは固いスルメをかんだ。

ソフトクリームなどの風呂上がりのデザートを冷凍したこんにゃくゼリー一つに変えた。

夜の食事は500~600kcalまで食べて、水分を多めにとって、なるべく家族で食べて、短時間できりあげ、長々とくつろがないことにして、さっさとストレッチをして睡眠をとった。

サプリは、コラーゲンやプラセンタなどや酵素類はすべて中止し(胃腸ですべてアミノ酸に分解されるので意味なし)ゆで卵2個で補い、ビタミンC、A、B群、ATP、野菜の粒、EPA、DHA、ビオへルミンなどを飲んだ。

なにより、口に入れたもののカロリーを概算で計算しながら過ごした。

塩分を制限しおいしく食べるため、香辛料を工夫した。

パスタやピザにはタバスコ、みそ汁やうどん・そばには七味、漬物にはとうがらしやわさび、ギョーザやシュウマイには辛子、カレーは激辛、ラーメンや野菜炒めには胡椒、夏なのにホットな緑茶や紅茶や生姜湯をのみ、 コーヒーのフレッシュを脱脂粉乳(スキムミルク)に変え、 砂糖の代わりに1kgのエリスリトール(カロリーゼロ)を使った。

 

まあ、よく役に立ったのは糖尿病における食事療法の手法であった。

ふだん外来で患者さんに話していることである。

最寄り駅までの1kmは自転車でなくて徒歩にした。

1km走るだけで、私の場合60kcalぐらい消費できる。

3km走って、ショートケーキやエクレア1個ぐらいか。

6km走っても、 一度食べ始めたら途中で止められない100円前後のスナック菓子一袋食べたら、 努力はパーである。寝られないときはあきらめてPCをした。

食事で、もう少し食べたいときや、空腹に我慢できないときは、ゼロカロリーのコーラを飲んで満腹にした。(これはかなり効果的だった)

何よりも重要なこととして、目の前の食べ物よりも興味や関心を向けられる、魅力的なことを探して実践した。・・・

 

患者さんに説得力のある生活指導をするために必死だった。


痩せたいなら、目標体重を決めて、その目標体重における必要カロリーのみに制限して食べていけば、結果として遅かれ早かれ目標体重に達する。
食べる時期や回数や、食べる順番なんかは、短期では変わるものもあるが、長期的には関係ない。
生体はホメオスターシスがあって、注いだミルクがコーヒーに混ざり合うように、自然に均一になっていく。


少なくともこれだけは絶対に正しいこと・・・
「人は嘘をつくが、生物学的収支は絶対に嘘をつかない。」
方法が正しければ結果はちゃんと現れてくる。
自分の体や環境に合った方法でないと成果は出ないし長続きしない。
人の数だけダイエット法があるのだ。
毎日毎日、続けていくことが根本。
自身の空腹感をいかに克服していくかが勝負なのだ。


だから、教科書を読んで分かっただけでは何も実現しない。
例えば、水泳の教科書を単に理解しただけでは、泳げるようにならない。
医者も、国家試験に合格しただけでは、病気を治せるとはいえないのと同じ。
外来で指導され薬を処方されても、実際に治すのは自分の体:自身であり、薬は、単にその道具に過ぎない。
だから、自分には関係ないからと言って、医者の中には、肥満やメタボであっても、生活習慣病の診察をしているし、禁煙の指導をしながら、医局でタバコをスパスパやってるのもいる。
ひどいと思ったのは、患者には禁酒をいいながら、当直室で酒を飲んでいるのもいた。
小児科外来で子供の指導をしながら自分の子供を満足にしつけできない女医さんもいるという。
教師自身の子供には、自分の教える学校には通わせないのが多い。

私も、人のことをいえない不養生をしている。


まあまあ、世間は矛盾だらけ、
治安をあずかる警察官が盗みをしたり、人の道を説いている教師が痴漢をしたり、公平であるべき政治家や公務員が賄賂をもらったり、僧侶や宗教団体の指導者が遊蕩して私腹を肥していたり・・・
当然のことながら、それに関係し従属している人たちもいて・・・

しかし、毎日毎日ニュースになるのはごく一部の人で、大半の人は、そんなことないだろうと信じていたい。


そんな中で、正しい仏法である南無妙法蓮華経が広まっていくのだから、南無妙法蓮華経が広宣流布されきった社会であっても、決してユートピアなんかではないことは確かである。
不幸の種はわんさかあるが、大自然の摂理といっても、仏の境涯は、そういったドロドロした泥の中でこそ、利他の行動となって価値を生み、宿業が転換されていく。
ユートピアやパラダイス・極楽浄土というような、最初から、理想的に何もかもそろっていたら、その中からは何も生まれないだろう。
苦悩があるからこそ、それを克服そのものである絶対的幸福が実現しうる。
つまり、目の前の、一見して不幸で差別的で恵まれない現実があることこそ、絶対的幸福が実現し得ることになる。
だから、諸行無常・因果応報という大自然の摂理=南無妙法蓮華経は、とてもうまくできている、絶妙な、不可思議で、偉大である・・・
何のために生まれてきたのか、何のために生きるのか・・・
自身の存在意義も、ここに見出すことができる。