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RIP…、Sir George Henry Martin

音楽の神様が、
今度は偉大なプロデューサーを連れていてしまいました。。

5人目のビートルズ、
George Henry Martin氏を。。
記事はこちら

ウィキペディアより
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ビートルズは1962年にデッカのオーディションに不合格となったものの、
その後にマネージャーのブライアン・エプスタインがジョージ・マーティンへの売り込みに成功。
彼のビートルズのデモテープに対する第一印象は「ひどかった」というものであったが、
マーティンはビートルズのメンバーと直接面会していないにもかかわらず、
ビートルズにレコーディングを要請した。
同年6月6日、ビートルズをEMIスタジオに呼び、
多くの曲を演奏させてビートルズの演奏技術を確かめた後、
その場でデビュー曲のレコーディングを行った。
その後「実際に体面した途端に恋をしてしまった」と語った彼はビートルズと契約した。
それは長きにわたる関係の始まりであった。
ちなみに、そのとき緊張していた彼らにマーティンは
「何か気に入らないことがあるか?」と尋ねたが、
ジョージ・ハリスンの回答は
「あなたのネクタイが気に入らないね!」であった。

マーティンは、最初のレコーディング時のドラマー、ピート・ベストの演奏が気に入らず、
レコーディングには使えないことを指摘した。
そして、マーティンのこの指摘が直接的な引き金となってピート・ベストが解雇され、
あらたにリンゴを加入させるというメンバー再編となったと報道されていたが、
後に発表されたジョージ・マーティンの自伝「耳こそすべて(ALL you need is ears)」によれば、
マーティンはベストの脱退に関してはまったく関与していないと語っている。
現在ではピートの脱退はマーティンの示唆によるもの、という説はほぼ否定されている。

マーティンの音楽的専門知識は、
ビートルズの天賦の才能と達成しようと考えていたサウンドとのギャップを満たすことを助けた。
ビートルズの楽曲におけるクラシック的アプローチやオーケストレーション、
複雑なサウンド・エフェクトの多くは、マーティンとの共同作業によるものであった。
代表的な例として「ペニー・レイン」におけるピッコロ・トランペットのソロがある。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」ではテンポもキーも違った二つの曲を一つの曲にするという離れ業を行うなど(注意して聞くと開始から1分ちょうどを境にテンポが違っているのが分かる)
マーティンはメンバーからの困難なリクエストに応え、
その音楽的な成功に大きく貢献した(実際はジェフ・エメリックの手腕によるところが大きい)

自身は「アレンジの際、ポールは音楽的に解り易く説明してくれたので、
あとはそれに基づいて譜面を書けばよかったけど、
ジョンは抽象的な表現だけで説明してくるので苦労した」と振り返っている。



この映画、見たかったな…。




ビートルズが現代に至るまでのミュージックシーンに与えた影響は大きいわけですが
そのビートルズもジョージ・マーティン氏と出会うことが無ければ
また違った事になったんじゃないかな?と思うんですよね。

ご冥福をお祈りいたします。

続くのか…(^_^;)

ちょっと真面目に

今回も、レンタカーで
太平洋戦争に関する所を回りましたよ。

若い社員と何度もグアムには来ているけども、
島を回ったことが無い先輩社員の3人で。

詳しくは⇒以前の記事で。

大宮島のトーチカ。


旧日本軍の2人乗り潜水艦。

前回は、カメラを向ける気になれませんでしたが、
今回は撮りました。

最後に、平和慰霊記念公園

(画像はネットより拝借した前回記事の画像です。
やっぱり、カメラを向けられなかったです)
勿論、他にも観光地等を回りながらやってきたのですが、
今回ポータブルナビ(現地ではGPSと言ってました)をレンタルしてまして、
使い方が良くわからず
適当に「大体、この辺やったと思う」なんて適当に設定したら
ほぼ、ピッタリだったんですね。
その時は、「おお!俺、凄いな!」なんて言ってたんですけど
今思えば、私達日本人を招いてくれたのかもしれません。
ちょっと早い時間に行けたので
この慰霊碑近くにある、何も書かれていない階段を下りました。
そこには、旧日本軍の兵士たちが集団自決した壕がありました。
やっぱりカメラを向けれませんでしたので、画像はありません。
穴は3か所、決して広いスペースには思えません。
彼らは、どんな思いで命を絶ったのでしょう。
きっと、たぶん、、おそらく、、
表面では強がりを言いつつ、日本は負けると思っていたのではないでしょうか。
戦争が終われば、必ず日本は立ち直る。
その為の礎になってくれたのではないでしょうか。
現在、とりあえずグアムで戦争は無く、
平和に、そして沢山の日本人観光客が来て楽しんでいます。
それって、彼らに対する最高の供養なんではないかな?と思うようになりました。
彼らの思う日本になったのかどうかは分かりませんが、
日本人がグアムで笑って楽しく過ごす姿を望んでいたのではないかなと。

一緒に行った社員の2人、、
どう感じてくれたのかなぁ。