先日49日法要が営まれ忌明けとなりました。
親戚が集まり自宅で法要後お墓参りをして自宅に戻って会食をしました。
その後姉を空港まで送り届け自宅に帰ると親戚が帰ってました。
自分の集落では49日の夜にお饅頭を1つ持ってお墓まで行き後ろ向きでお饅頭を投げる風習があります。
お饅頭を投げたら振り返らず自宅に帰らないと故人が戻ってくると言われています。
通常喪主がするみたいなのですが母が自分と祖母の関係性を考えて行くように促されたので行ってきました。
普段なら真っ暗なお墓は怖いイメージで近寄りがたいですが祖母の事を想えば恐怖心は感じませんでした。
法要の次の日に集落に忌明けのハガキを配り仏具などの片付けをして一区切りが付いた。
前回の記事に書いたように49日法要で祖母の気配は感じられませんでした。
いとこのおばさん達は49日の夜に個人が最後に合図を出して別れを告げると言ってました。
家がミシミシなったりトイレがガタガタ音がして怖かったなど経験談を話してました。
やはり早めに行ってしまったのだろうか?
世間一般的には49日で一区切りなんだろうけど祖母が亡くなった日で時間が止まってるような感覚で夜な夜な祖母に対する後悔の念が湧いてくる。
ショートステイに初めて面会に行った時に祖母が泣きながら迎えに来てくれたのか?と言ってくれた時家に帰りたい祖母の気持ちに応えられなかった。またショートステイに迷惑と思われようが毎日会いに行ってあげればよかった。
亡くなる前日危篤状態になって話しかけると反応してくれて最後に必死に答えようとしてくれてたんじゃないか?
また祖母の目から涙がこぼれて拭いてあげたけど今思えば別れの涙を流してくれてたんじゃないか?
いろんな祖母の合図に気付いてあげれなかった。
たくさんの後悔の念を背負って生きていかなければいけない。
それが残された人の宿命なのだろうか?
祖母が亡くなって改めて祖母が大好きな事に気付かされ祖母がくれた無償の愛情を感じた。
気持ちの整理が出来ないけど49日で一区切りポジティブな感情には慣れないけどここでブログも一区切りにしようと思う。
ただ祖母と暮らした日々は幸せな日々でした。これだけは胸を張って言える。
ありがとう!大好きなおばあちゃん!