色んな組織に入ってみて気付いた事がある。

人にやってあげたいと思う事
実は自分が欲している事である事が多い。

例えば、カウンセリングの講座や団体のメンバーになると分かりやすい。

みんな傷付いた経験があり、
人を癒したいと思うのは実は自分が癒されたいからだと私は思っている。

それが悪いと言っているのではない事を先にお断りしておく。

労われたい、慰められたい、癒されたい人の気持ちが分かるから
自分なら出来ると思っている。



私も何をしていいのか?全く意欲が湧かなくなった時期、下の子が小学6年生で学校に戻っていた時期、

授業参観で同級生のお母さんに声を掛けられた。

お子さんは知らない間に不登校になっていた。その場にお子さんは居なかった。そんなお母さんに経験者として声を掛けられた。

その時の私は何も意欲が湧かなくて、体力もなく昼間も寝ている事が多かった。

どうせ働けないのなら自分の経験が役立てられるはずだから何か手助けしたい!と思って関わった。

最初はお母さんの話を聞くだけ。そのうち我が子と関わって欲しいと言われ、最初は上手くいかなかったけど徐々に信頼され、2人で出掛けられるまでになっていった。

その子、そのお母さんのために情報収集を始めた。

実際に色んな不登校支援活動に顔を出し、色んな人の話を聴いた。

色んなカタチがあった。

時に首をひねる内容もあった。何となく…この人は人を助けたいと言いながら自分の何かを埋める事が目的なんだなと感じる事があった。

不登校は傷付く。
子どもも親も。
苦しんでいる人を助ける事で一度失ったものを補っているようでもあった。



実際に不登校のよそのご家庭に関わって、不登校児の立場に立って本気で擁護してあげた時、過去の自分が擁護され、欠けていた部分が埋められた事に気が付いて驚いた事がある。

実は私は大学時代にろくに授業に出なくなり、バイトに明け暮れ、2年留年して先生方と大学院に進んだ同級生のお陰で卒業出来た過去がある。

自分の大学卒業はイカサマだと思っている(笑)

ホントは大学に行っただなんて口外してはいけないと思っている(笑)

バイトに明け暮れ、結構稼いで親から仕送りはもらわなかったし、掛け持ちしていたバイト先にはどこでも大切にされていたので自分で自分をダメな奴と思っていた事に全然気付いていなかった。

不登校児に関わり、不登校支援の団体にお世話になり、お手伝いをする事も出て来た。

その関係で卒業を助けてくれた同級生に何十年ぶりに会いに行った。

今不登校支援をしている。うちの子が不登校になった時の経験を生かしているのだと言うと、

同級生は

お前と一緒だな、不登校だなんて。
遺伝だな!

と言って笑った。


感情は動かなかったが
心臓をギュッと握り潰されるかのような衝撃があった。

笑って即座に
不登校って大変なんだよ〜
一時は子ども殺して自分も死のうと思ったんだから〜
と思いっきり笑って言っておいた。自分では釘を刺したつもりの発言。

多分、同級生には悪気はなくて。
面白い冗談を言ったつもり。
誰でもない、卒業を助けてくれた大恩人であるからコイツのこの言葉許してやろうと瞬間に思ってはいた。

かなり酷い言葉であると感じてはいた。

この時訪れたのは県の教育委員会。

悪気なくこんな事を冗談として言ってしまうコイツが教壇に立ってなくて良かったよと思った。決して悪い人間ではないのだけれど。

その同級生にそう言われるまで、大学に通っていなかった事を不登校だなんて思っていなかった。

当時、私は人に必要とされ、お金を稼いでいた。それは紛れも無い事実でそっちの仲間の方が楽しかったし、人生の中でとても楽しく輝いてもいた時期である事に間違いなかった。

だから不登校と言われてもそんなに自覚はなく感情は動かなかったのだと思う。


ただ、それをキッカケに当時の色んな劣等感を思い出した。

それと同時に、それに対する理由も明確に答えられるようになっていた事に気が付いたのだった。

大学に通えないという劣等感は当時あった。周りの同級生達と同じ事を同じようにこなせない自分が情けなく思っていた時期は確かにあった。

そう、自分に合うバイト先に出会うまでは悶々としていた。

自分に合う場所を見つけて輝けたのだ。それまでは悶々鬱々としていた。それを思い出した。

自分の輝ける場所に出会っていなかったら今の私はいない。


だからこそ、不登校の子には諦めて欲しくない。今いる場所が自分に合わないと思うならどんどん探しに行くべき。見つかるまで探さなきゃ!何なら自分で作ればいい。



話を戻して、
期せずして自分の過去の劣等感を思い出した。

でも昔の劣等感はもう劣等感ではなくなっていた。

大学に行けなかったのでなく、行かなかったのだとハッキリ分かっていたから。

当時は分かっていなかった。自分が大学に行けない理由が。

それが今は全部言葉で説明出来るようになっていた。

私の場合、不登校児を擁護する視点でものを考えてみたからだと思った。

情けは人のためならず


苦しんでいる人を助けるつもりでいたが本当は自分が助けられていたんだなぁと思った。

我が子が不登校になるまで学校には行くもの。辛いのも苦しいのも当たり前。社会に出たらもっと大変なんだから、これしきの事は乗り越えられないと本人が困るのだと強く思っていた。

よく考えてみたら、親にはそんな風に育てられてなくて、自分でその考え方を採用したのはいつなのか不思議でたまらなかった。

時間が経って、
テレビが怪しいと今は思っている。

ワイドショーなど何の気なしに点けていた。一人暮らしで無音の生活には耐えられなかった。音楽でなく、誰かのおしゃべりを聞いていたかったんだと思う。

何気なく点けていたテレビの主義主張を知らず知らずのうちに採用してしまったんだとある時気が付いた。

テレビが世に広まり始めた頃、
一億総白痴と懸念を表明した人がいたと記憶しているが、こういう事を心配していたのかな?だとしたらスゴイなと感じたのを覚えている。




話が逸れたが、
自分の過去は過去でそんなに振り返る事もなく、ただ親になってからは学校というのは行くのが普通、当たり前としか思っていなかった。

その時点で大学時代の自分の不登校を思い出していたら、もしかして人前には出られなかったかもしれない。

学校に行く事が当たり前すぎて、自分で自分を擁護出来たか疑問。


今は大学に不満だったあれやこれや全て言葉に出来る。

それは下の子の同級生と本気で遊んでその子の有能さに感動し、本気で学校というものの必要性や正当性について真剣に疑ってみたから。

親となってガッチガチになっていた固定観念とは別の視点でものが考えられるようになったから。

学校が当たり前と思わなくなっていった。

学校に行かないに正当な理由があると分かったから。言葉に出来るか出来ないかは関係なくて、行かないという行動に全てが詰まっていると思うようになったから。

目の前の不登校の子の在りようがこれも正しいカタチだと思えるようになって、過去の自分も正しかったと思えるようになっていた。

気付いてなかったのでとても驚いた。

不登校のその子にとても感謝した。

その子は中学進学のタイミングで県外に引っ越した。中学から通い出した、頑張っているとお母さんから連絡をもらった。

本人もキッカケを探していたのかもしれない。

ただ、私は今でも頑張って学校に行く事が最善だと思っていない。

自分の思うように生きるのが一番だと思っている。



話が逸れまくりだけれど、

人が何かやりたいと思う時、
それが特に人助けである時
実は本当に救われたいのは自分である
という人がいる。

おそらく本人はそんな事を思ってもいないだろうと思う。

本人は気付きにくい。

私も自分が大丈夫か心配になる時がある。

相手に対してどうしてもこうして欲しい!こうなって欲しい!という思いが出る時は特に気を付けようと思っている(苦笑)

最近特にそういう場面が多くなって深く考えてしまう。

自分では非常に見付け難いもの

私の全てをチェックしてくれる人はいないから自分でチェックするしかなくて。

目的と行動が違う時、率直に疑問を投げ掛けてくれる人がいたらいいなと思うのだけれど。

今いないだけ。
今はいないけれど!
(宇宙へオーダー   笑)


私には
自分のために人助けしている人は協力者が離れて行くように見えている。

それをいつでも忘れずに
自分の指標としていようと思っている。


 人助けの時は特に
本当は自分が満たされたいのではないか
それを自分に問う事にしている。