火曜日は雨

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火曜日は雨のブログ

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あれからどのくらい経った?と私はことあるごとに過去と現在の距離を測る。それがどれほどの長さだったとして特に何か思うわけでもない。今日も元気に引き籠っているだけだ。冬の寒さも厳しくなってきたらしいが、24時間休みなしで暖房さんが働いてくれているこの世界は快適そのもので、電気代の請求書は見たくなかった。


このところ一人の寂しさが薄れてきた気がする。一応断っておくと、私は引き籠りだけど完全に社会とのつながりを断っているわけじゃない、当たり前か。でも買い物とかそういう手続き的なつながりだけならある、という話でもなくて、SNSとかで「無意味な」つながりもちゃんと持っているし、訪問者もたまにいる。そういう一人じゃない時間は、こんな私でも気を遣ったりするし、やっぱり煩わしい。誰かといるとめんどくさくて、でも一人だと寂しくて、ほんとに「つながり」っていうのはどうしようもない鎖みたいなものだ。つまり一人の寂しさっていうのは誰かとつながっている証拠であって、一人じゃないことの証明。その寂しさが薄れてきたってことは、鎖が解けかけていて、完全に解放されてしまえばめんどくささとか煩わしさなんかとはオサラバで、いいこと、のはずなのに。なんだか本当に寂しい人間になってしまうんじゃないかという恐怖が、少しだけ顔を覗かせている。


そんな考え方からもわかるように、私はまだ自分に期待しているんだ。自分はまだちゃんと人間やっている。そういえばさっき「無意味なつながり」という表現をしたけど、私的には無意味というのは別にネガティブな言葉じゃなくて、むしろポジティブなそれだと思っていて、人間のアイデンティティというか、人間の人間たる人間性というものは、無意味なものにこそ存在すると思っている。芸術とかはその典型で、なくても別に困らないものに価値を感じるのが人間なんじゃないかって。意味のないところに意味を感じる、そういう創造性に満ちた生き物が人間なんじゃないかって。彼にこの話をすると、「意味の定義がはっきりしないから、この議論には生産性がない」なんてぶった切られてしまったけど。引き籠ってはいても、私は結構希望に満ちた考え方をしている、と思う。


天気雨みたいな、今日の私なのだった。


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こんばんは。



上のお話を書いているときに、バンプのrayっていう歌にある「寂しくなんかなかったよ ちゃんと寂しくなれたから」っていう歌詞が自分なりにだけど少しわかったような気がしました。



さて、寒い日はとことん寒いですよね。お体にお気をつけてお過ごしください。