広島の路面電車がJR駅ビルの2階部分に乗り入れる「駅前大橋ルート」が

昨日開業しました。

 

路面電車が高架で2階以上に乗り入れるのは全国初のようで注目が集まっていますが、

電車そのものだけではなく、被爆地ヒロシマの復興の象徴である歴史や想いも

一緒に知って欲しいなと思います。

 

広島の路面電車は古くから市民の大切な交通網として活躍していたそうですが、

原爆が投下された86日のわずか3日後に走ったという事実があります。

その「一番電車」の話をまとめた漫画があるので紹介します。

 

「原爆に遭った少女の話」

http://sasurai.o.oo7.jp/2/G_sobo.html

 

私自身、この漫画を読むまで全然知りませんでしたが、当時は男性がどんどん出兵していく中、145歳の少女が路面電車を運転していたようです。

 

自分の家族とも離れて暮らしていた中で原爆に遭い、家族の元に帰りたいと思うも、市民の為に電車を走らせ続けたという話は、

同じ歳ごろの娘をもつ私にはとても心にくるものがありました。

 

実際に80年前に被爆した電車(被爆電車)は、修理され続けて現在も現役で広島市内を走っています。

 

 

 

 

被爆電車は私たちに何を訴え続けているのか。

 

その想いを私たち一人ひとりが考え、行動することが大切だと感じています。

 

 

被爆80年という節目に向けてポルノグラフィティが作った

「言伝-ことづて-」という歌でも、この一番電車について歌われています。

 

 

 

【たとえ小さな声だとしても 決して無力じゃないの】歌詞の一部抜粋