地震発生から4日が経ちました。
テレビで被災地の状況を見るだけしかできない自分に悔しさを感じながら、
何かできることはないのか、と考えていました。
今日、STAnの49ブログ
で紹介された文章。
http://xdl.jp/diary/index.html#20110313
阪神淡路大震災を経験された西宮市議の方のブログで、
49は糸井重里さんのツイッター
で知ったとのこと。
これを読んで、今から私にできることが何なのか、少しわかった気がしました。
時間がある方は上のリンクから全文を読んでいただきたいのですが、
特に印象的だった部分を抜粋します。
【私はこの地震で何も失っていない部外者です。
そして、この地震に対して何もできない無力な素人です。
ただの「被災していない人」です。
被災していない人間に被災者の気持ちが分かるわけがないのです。
分かるわけがない相手に分かったようなことを言われたりされたりすることこそが、
相手に「被災者の気持ちなんて結局誰もわからない」を痛感させます。
とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。
「何かしよう」という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、よくよく考えるべきです。
政府の大規模な財政出動に理解を示すこと、増税を受け容れること、
節電など、政府の呼びかけに応じて、不便を受け容れること、
被災者の苛立ちや要望をただ受け容れること、
プロが呼びかけるボランティアや募金に参加すること。
これくらいが関の山なのです。】
この文章が大きな反響をよんだとのことで、「それでも自分にできることは
本当にないのか」との問いかけに、次の日、こう応えられています。
【落ち着いたという雰囲気になってきたときに行動を起こすこと】
【テレビに「復興した」というニュースが散見されだしたときこそ、
動き出すべきときです。
テレビは感情に訴えかけるエンタメなので、
感動的なドラマを放送するために、「復興」を放送します。
しかし、ほんとうの復興など、そんなにすぐできるわけがないのです。
そういう報道が為されだすくらいから、
必要な物資や、必要な人的支援や、必要な資金などが明確になってくるいっぽうで、
反比例的に「助けを求めている!」という報道は減少します。
さっきまで国じゅう挙げて「力を合わせて」といっていたのに、
さらっと忘れるのです。
そういったときにこそ、小さな情報を拾って、
みんなに呼びかけてあげてください。そして応えてあげてください。
いまみたいに、テレビが連日特番をやっている情況では、
みんな「なにかしたい」と思っています。
献血に長蛇の列ができたりするのです。
それはそれで、たいへん価値のある行動だと思います。
しかし、血液もいつまでも保つわけではないので、
献血の行列がなくなりかけたときこそ献血をするべきです。
(中略)
なにより、いまできることは、募金を「すること」です。
(独自に街頭に立ってよびかけることではなく・詐欺が横行します)
呼びかけるとすれば、身元のしっかりしたところへの募金を呼びかけるべきです。
それくらいしかないのです。
でも、いまはそれがいちばんありがたいのです。
私たちは復興に必要な技術を持っていません。
私たちは復興に必要な訓練を受けていません。
でも、それぞれの財布から出る色のついていないお金は、
絶対に復興の邪魔になりません。】
最後に、今回の災害は明らかに国難であり、経済的な損失があることは
間違いないとしたうえで、それを埋めていくのは私たち国民であると
書かれています。だからこそ、被災していない私たちは災害が起こる前と
同じように働き、同じように税金を納めて、それぞれの場所で強く生きることこそが
大切だ、と書かれています。
この考え方を胸に、明日からの生活をおくっていきたいと思います。