rainmanになるちょっと前の話。29





2001年1月15日、ついに「ガンジス川船上ライブ」当日を迎えた。


俺らが配ったチラシを片手に持った人々が、まだ出航までだいぶ時間があるというのに、続々と船が出航するガートに集まってきている。


その光景を、ビシュヌRHのテラスから見下ろしていると、だんだん胸が熱くなってきた。


俺の旅というより、俺の人生において、なんだか今日は特別な日になるような気がした。



他のホテルに泊っているメンバーも、ガートに集まってきたようだ。


Nさんは全身黒の衣装で、珍しくサングラスなんかしている。
S君は、やはりドラえもんの格好だった(笑)。
Oちゃんはサリーを纏っている。
C君とTは、色違いのバンドTシャツだ。
W君は、まるでサドゥーのようだ。
8ちゃんは魔術師にみえる(笑)。
BOSSやK君もいる。



俺は、みんなに向かって、ガートまで運ばれて来たビッグボートを指差し、「それじゃ、早速セッティングしちゃおうか!」と言った。


ボートの前にはZさんと、この船の所有者ジャグーがいた。
俺は二人と握手をして、そのでかい船に乗った。

みんなもそれぞれの楽器を手に、乗り込んだ。


俺らは計画していた通り、船の中央部分に、円を囲むように向かい合った。
そしてまずリズム隊とキーボードが、座る。そしてその周りを囲むように、ギターボーカルやハーモニカ部隊が陣取った。


すべて生音なので、なるべく遠くまで良いバランスで音や声を届かせるには、どういう布陣がいいのか…リハを重ねながら座る位置を決めていたのだ。


とりあえず、少しずつ位置を微調整しながら1曲演奏してみた。


船が停まった状態なので、動いたらどうなるのかはわからなかったが、「結構いい感じ」に聞こえた。みんなも周りの音がよく聞こえてやりやすいと言っている。


俺は「じゃあ、これでいこうか」と言った。


俺はこの時、まぁなるようになるだろう…という気分だった。


正直、俺らはそんなに演奏がうまいわけじゃない。というか、まだライブを2回しか経験していない素人だ。
その2回のライブも、一応音響さんが音を拾ってくれて、それなりにライブっぽい音になったかもしれないが、今回は生音。しかも船の上。そして船はガンジス川を流れていくのだ。こんな特殊な環境で、どうすればうまくできるか?なんてこの時点で悩んでもしかたがない。今日のライブがどんなことになるのか、想像もできなかった。


もう「思い切ってやるだけだ」と、多少なげやりな感じも混ぜつつ、セッティングを終えた。



一度船を下りて、出航時間まで時間をつぶした。



ガートには、さらに人が増え続けた。


船上ライブが珍しいのか、それともただ暇なだけなのか、ほんとうに色んな人種が集まってくる。

俺はなんとなく気持ちを落ち着けたくて、ガートの階段で座っていたBOSSの近くに行き、他愛もない話をしていた。


陽が傾き始めた頃、いよいよ出航時間が近づいてきた。


ジャグーが「客を乗せていいか?」と俺のところまで尋ねにきた。
俺は「OK」と答えた。


ジャグーの合図で、ガートに戯れていた人々が、次々と船に乗り込んでいく。


驚いたのは、欧米人が多いことと、インド人が多いことだった。


日本人は全体の3分の1くらいだったと思う。

ほとんど曲は日本語で作った俺のオリジナルなんだが、言葉の壁は大丈夫かなぁと少し心配になった。



隣にいたBOSSが、「大ちゃんもそろそろ船のほうに行きなよ。みんな大ちゃん待ってるよ」と言った。
俺は、「そうですね。行ってみます」と言って、立ち上がり、船を目指した。


船にはこれ以上乗れないだろうというくらい沢山の人が乗っていて、乗り切れない人もいるようだった。
乗り切れない人は、ジャグーの手配した小ボートに乗り、ビッグボートの周りを囲むように浮かぶようだった。


船に乗ったみんなが、船に近づく俺の方をじっと見ている。


心臓がドキドキした。


俺は、船に飛び乗った。


そして船の中央に陣取るメンバーの近くに行き、ギターを持った。


NさんやS君と目が合った。その時、ドキドキしていた気持ちが、一気に落ち着きを取り戻したように感じた。
メンバーと一人一人ハイタッチした。
みんないい顔をしていた。


俺は、「よし。余計なこと考えずに、今を楽しもう」という気持ちになった。


俺には、この旅で出会った仲間が沢山いるのだ。

みんなと一緒なら大丈夫だ、そう思った。




そして、船がゆっくりと動き出し、ライブは始まった。




この日のライブは、俺がこの旅で作った曲を、最初から順番に唄うような形で曲順が決められていた。

唄いながら、自分の旅をおさらいしているようで、懐かしくなった。


ベトナムでギターを初めて買って、Nさんにプレゼントした唄。
NさんやS君とベトナム・カンボジアで再会を繰り返しながら作った唄。
タイで新しくギターを買い、作った唄。
ラオスでバンドを作り、ライブをやろうと決めた頃の唄。
中国で、C君やT、BOSSやK君と過ごした頃の唄。
5人でチベットを超えながら作った唄。
ラサでOちゃんとキーボードを弾きながら作った唄。
ネパールで、ホテルひまりに滞在しながら作った唄。


唄い始めたら、緊張などはどこかに飛んでしまい、俺は、ひたすら自分の唄の世界に入り込んでしまった。




しばらくすると突然、水の音が聞こえた。


なんだろうとそっちを見ると、何人かの欧米人が興奮して船からガンジス川にダイブしたようだった。
「HOOOOO!」と奇声を上げている。


その行為で俺はやっと、周りを気にする余裕が出来た。
船の様子を見渡すと、はしゃぐ欧米人だけじゃなく、インド人のおじさんや子供たちも船の上で立って踊っている。


信じられない光景だった。


俺の唄で、俺らの演奏で、船に乗っているみんなが楽しそうに体を揺らし、ニコニコしながら踊っているのだ。




船に乗りしばらく時間が過ぎた。演奏も終盤だ。
あたりは夕暮れに差し掛かっている。
ガンガーの上から見あげるバラナシの街が、オレンジ色に染まりキレイだった。
ガンガーの水辺も、キラキラしている。




ふと気付くと、一つ帽子が、船の上を、人から人へ移動していた。

俺は、その帽子を見ながら「なにをしているのだろう?」と思いつつ演奏を続けていた。



日が沈む直前、俺らはついに全ての曲の演奏を終えた。



船はジャグーの指揮の元、出航したガートに戻るような感じで進んでいる。


「なんとか終われたな…」と、ほっとしながら船の進む方向を見ていると、一人のニュージーランド人が俺に話しかけてきた。


「ヘイ、ジャパニーズ、今日はこんなスペシャルなイベントを開いてくれて本当にありがとう。とてもナイスだった!この船を借りるのもきっとお金がかかったんだと思う。そこで、俺らは少しだけど、御礼の変わりにカンパしたいと思う!」
そう言って、さっき船の上を回っていた帽子を俺に差し出してきた。


帽子の中を見ると、そこにはインドルピーやUSドルがたくさん入っていた。

みんな船の上で、カンパのために、帽子にお金を入れて回してくれていたんだとその時わかった。


ぐっと来た。嬉しすぎて泣きそうになった。


俺は、声にならないお礼を言って、その帽子を受け取った。


帽子には、船代の30ドルをはるかに超える金額が入っていた。



船がガートに近づき、みんな陸に下りていった。


下りるとき、船に乗った全ての人とを握手をした。


そして、握手を繰り返しているその時、俺はある一つの意識が、頭の中ではっきりと産まれつつあるのを感じていた。



この旅を始めるにあたり、見つけたかったもの。


旅に変わる「何か」を探すために、俺はこの「最後の旅」に出たのだった。


それが見つかったような気がした。



この時、旅に出て初めて、「唄を唄って生きてみたい」という想いが、俺の中に生まれているのに気付いたのだ。





もう少しだけ続く。

※写真 船の上ではしゃぐインド人