信頼と報酬は比例する。担当している方の仕事を一部、取り上げられた。自分に力がなかったから。お客様との本当に深い信頼関係を築けなかったから。それは引いては私に信頼がないということ。信頼がない仕事しか出来ない自分に価値などある訳がない。仕事での価値と報酬は比例する。報も酬も、受けたことに対して、それに見合うものを返すこと。世の益になるものを私は返せていないのだ。
命の価値について−2頭痛が頻繁に起こるようになってきた足の裏がものすごく痛いときがある首の周りが蛭が這いずり回るような痒みが止まらない食事の量が3分の1くらいになった20代から30代にかけて身体が動かなくなってきているというよりは急速にできたことが出来なくなっていっていく変化に驚いている。いつもどこか身体の変調がある。少しずつ、その変調は増えていっている。それでも精神が落ち着いているように感じるのは自分の寿命というものに納得感があるからだろう身体は衰えるもの身体は壊れるもの身体は蝕まれていくものこのままいけばおそらく長くない将来、満足にたてる事すら出来なくなるときが来るかもしれないでもそれはきっとその寿命なんだと受け入れてしまう自分がいると思う。先日、ある外資系の営業所長と話をした仕事の能力やスキルを考えたら、もっと稼げる場所にいるのになぜその場所にいこうとしないんだ奥さんをそんなに働かせていていいのかと言われた。一通りの応えはしたが本当に自分がかんがえていることを応える事が出来なかった。会社は好きだし仲間も好きだしでも、十分な報酬があるとはいえない。それは僕の能力やスキルが追いついていないから。この会社の中において。だから一刻も早く、上らなければならないのに。楽をしたいし、させてあげたいのに。やっぱり僕にはもう、時間がない。身体が動くうちに出来るようになりたい事だけでも出来るようになりたい。
命の価値について命の価値について昨日の事。あなたは自分の命よりも大事な物はありますか?という風に問われた。「はい,沢山有ります」と答えた。質問された方は、そうでしょうね~。と満足げだった。「ただ・・・」と僕は付け加えた。「多分、僕、自分の命の優先順位が結構低いと思うんですが」「?」質問された方は、困惑されていた。人は簡単にこの世とあの世の垣根を飛び越える。20歳になる前に僕は少なくとも10回以上、人の葬式に立ち会ってきた。そのうち、この人は高齢故に亡くなったのは3人だけ。父のおじいちゃんと、おばあちゃんと、母方のおばあちゃん。だけ。後はみんな、「若いのに・・・」と言われる人ばかりだった。40代、50代の人がほとんどだったり、自分と同じ年代の子も突然死したりした。みんな、よく泣いていたけどある時期を境に、妙に人は簡単にあの世とこの世の垣根を越えるなと感じはじめた。つづきはまた。