恵まれた家庭じゃなし、父の存在は長い時間重荷でしかなかったから、哀しいかな、やっと楽になれるという思いもあるはずで。
それでもそれだけではすまない、とらえようのない虚無感、喪失感はあるから親子とは不思議なものなんだと。今回のことで自分をまた知ることができた気がする
今までの全てがここに向かってたかのように、必然が重なって、いい時に送れたって思ってる。本人だって苦しかったわけだし。
ただ今は日常との接点がわからなくて。したいことが何も浮かばす、どんな気持ちでいたらいいかもわからず、ぼーっと日常がやってくるのを待ってるような感じ。
そばで見守ってほしいと、きっとずっと願ってて。願ってて叶わなかったお父さんが、隣の部屋にひっそりたたずんでる。
少しだけ安心するような、でもとてもきゅうくつなような気分で。
あぁなら自分が見てほしい時だけ見てもらえばいいかな。自分ルール。あとの時間は適当にゆっくり過ごしててねって
それにしてもえらく遠い距離だった。私とお父さん。
逢うことがこんなにも難しくて、なのにこんなにもあっさりしてて。あぁやっぱり意味がわからないね。
今も私を見てると当然のように言い切れる自分も意味がわからない。
とか書きながら泣いてるのね、今。やっぱり意味がわからない。
あぁでもこれで心がやっと自分の近いところに来た。こういう風にしか向き合えない。
なんだかまだ日常を取り戻すことが変なことに思えてしまうのだけど。戸惑いながら、少しずつ普段の行動に戻せばいいのかな