先ほど散歩から帰ってきて、

ふと思った事がある。

 

これは、精神障害を患ってから何度も思ったことがあるが、

 

やっぱり、しっかり運動する習慣は、精神を安定させる上で必要かもしれない、

ということ。

 

私生活では、散歩くらいはたまにするが、それ以外は動かない。苦手だから。

頭を使う系のことが好きで、体を使う系は嫌いだ。

 

そんな僕でも、中学生までは水泳をしていた。

だから、中学までは心身健康だったのかもしれない。

 

それ以降も年に数回プールへ行っては泳ぐが、数回だ。

泳いでいないに等しい。

だから、精神的に病気になったのかもしれない。

 

病気になってからは、時々、一時的にランニングにハマるも、続かないことが多い。

 

よくよく考えると、僕は昔から陸上での運動が大嫌いだった。

体育のマラソンでは、最下位から数える方が早い。ある意味、5本の指だった。

それに比べて水中では、幼い頃から水泳をしていたからか、

動くのが楽だし、泳ぐのも早い。

水泳の授業の時だけ、上位5本の指だった。

 

端から見ると、笑えるほどの極端さだ。

大概は、水泳が上手いとマラソンも上位なのに。

 

その水泳をしていた時だけ、健康だった。

 

そんなことを考えていると、

やっぱり週に何回かは泳ぐ方がいいのかも、と思えてきた。

 

今、興味を持っている「呼吸」も、水泳で重要なのは身を持って学んでいる。

また、「脱力」することの大切さも、水泳で知っている。

 

ただ、この数十年、水泳から長く離れているから、体が忘れている。

 

「呼吸」も「脱力」も。

 

この二つの能力は、水泳以外でも応用が利く能力だと思う。

特に、メンタルのコントロールには、すごく重要な二つだと思う。

 

また、状況が整い次第、

水泳は再開してみたい。

 

今後は、本格的に。

 

それを通して、心身の安定につながれば、嬉しい。

ここ数日で思ったことの一つに、

「精神障害への理解を得ることの難しさ」がある。

 

僕自身、様々なことを理解することを重視するような人生観を持っているが、

その理解するということ、対物ならまだ楽だが、対人となれば一気に難易度はあがる。

 

対人は、さらに分類すると、「対他者」と「対自分自身」に分けられる。

 

ここで、対自分自身でどこまで理解が出来ているか考えてみると、

理解とはどれだけ難しいかが分かる。

 

僕自身、自分のことをどれだけ理解しているか考えてみると、

精神障害についても、それ以外についても理解しきっているとは言えない。

理解していることがない訳ではない。

ある程度の理解はある。

しかし、僕自身を取り巻く環境の中にはあらゆる要素があって、

それが複雑に絡み合いながら僕自身に関わってくるし、

その時々の僕の反応も置かれている状況によって変わるので、

対自分自身の全てを理解するのは難しい。

 

じゃあ、対他者への理解はどうか。

 

僕自身の結論としては、「想像力が必要」と思っている。

世の中で言われていることと同じでもある。

 

具体的に例を出すと、

自分の好きな人のことを理解したいと思った時、

「対自分自身に比べて、その人の情報が少ない。

自分自身が生まれてからかの自分について知っている事より、

その人について知っている事は遙かに少ない」ので、

自分を理解するよりもハードルが高い。

そこをどうやって穴埋めするかというと、

想像力を使うしかない。

 

その人と知り合ってからのあらゆる事から、その人の人生全体を想像する。

 

やり取りする度に、その想像とその人自身のズレにも気を配りながら、

さらに想像を繰り返す。

 

これが、「対他者への理解の姿勢」だと、僕は思っている。

 

ここで、この文章の一番最初の言葉、

「精神障害への理解を得ることの難しさ」を思い出してみてほしい。

 

精神障害を患ってから僕はいろいろな世界(入院中の病棟内や、作業所など)

を見てきて思うが、

 

社会の人たちにこの世界のこと、そこにいる人たち、さらには病気のことについて理解を得るのは、猛烈に難しい。

 

なぜなら、上記の「対他者への理解の姿勢」を僕たちに対してするように促さなければいけない。

さらに、こちらから情報発信して、その情報から想像するように持って行かなくちゃいけない。

 

自分の行動を変えるのと他者の行動を変えるのと、どっちが大変か。

当然ながら、他者の行動を変える方が大変だ。

 

大変だけれども、やっぱり理解は得たい。何より、一人の人間として。

 

もし、この文章を読んだ人がいるなら考えてほしい。

 

もしあなたが一人の人間として誰かに理解してほしい思いがあるのなら、

それと同じように私たちは社会へ理解を求めていることを知ってほしい。

 

そして、僕は、一方的に理解を求めるだけではいけないとも思う。

社会の人たちへの理解を、僕たちもしないといけない。

 

お互いに相手を理解しようとする姿勢を持つ。

これが最善だと、僕は思う。

 

 

数年前にちょろっとしてはストップ、ちょろっとしてはストップ、

を繰り返していたブログ。

 

今回は、自身の統合失調症のこと、社会とのことで思うこと、

悩みなどをアップしていこうと思います。

 

同じ病、また病は違えど精神障害に悩む人と共感し合いながら

ブログを続けて行けたらいいなと思います。

 

今度は頑張って続きますように・・・