1月8日、早朝におばあちゃんは自宅で亡くなった。

満85歳だった。

胃癌になって一年だった。

早かった。

私が最期を看取った。


おばあちゃんは、私の亡くなった母と同い年だったが、病気をする前はおばあちゃんと呼ぶには失礼なほど、若々しく元気で、パソコンやスマホを使いこなすし、ジェルネイルなんかもしているおしゃれさん。


その亡くなったおばあちゃんのここでは悦子さんと呼ぶことにする。


悦子さんは、私の家から歩いて1分半ほどのところに住んでいて、私は1年半ほど前に、この町内に50年以上住んでいる夫を通じて知り合った。


話が急展開したのは、年末の大雪が降った3日目の朝だった。

私は、雪の影響で仕事のアポイントがキャンセルになり、在宅でパソコンの仕事をやり始める時だった


携帯が鳴り

悦子「今家にいる?お仕事忙しいかしら?」

私「はい、予定がキャンセルになり家にいますよ、どうしました?」

悦子「腹水が溜まって、三日間ほとんど食べられないからかかりつけの病院に連れてってほしいの」


こんな話から、病院に電話したら入院の支度をして行くことになり、そのまま入院した。

雪で道路の状況も悪いので、病院のエントランスにクルマを止めて、歩かなくていいように車椅子を取りに行き車椅子に乗ってもらった。

悦子「慣れてるのね?」

私「歩けない母の介護をしてたし、私も歩けないときありましたからわかるんですよ」と

処置室のベッドで寝ながら入院の部屋が決まるまで、冷たい手を握ってあげてたら、とても喜んでいた。

部屋が決まり、私が帰る時握手をしようと手を出したら、一瞬ビックリした顔をした。

私「握手しましょう!退院待ってます」

悦子さんが照れながら嬉しそうだった。


前から、癌が再発したとは聞いてはいたが、弱り具合が半端なく、大雪で私も仕事帰りが遅くなり、三日間悦子さんの家には行けてなかった。

かなり、その時は後悔した、、、ごはん作って持って行けてなかったから、様子がわからなかった。


きっともうあまり長くないんだろうなと予測できたので、割と近くにいる御親族の方に余命宣告されてるか聞いたら、再発の時に一年と言われたとのこと、、、それにしては弱り方が激しいなと思った。


悦子さんに

「年越しを自宅でしたかったら、外泊できるか聞いてみてください。お家で一緒に年越ししましょう」とLINEをしたら、なんと退院することになり、県外の御親族の方に迎えに行ってもらい、1日元旦から亡くなる8日まで私がほとんどお世話することになり、8日の早朝に息を引き取ったのです。


悦子さんは独身でお子さんがいなかったから、とても病気をしてから不安に思ってて、それまで割と何かと助けてくれてた甥っ子さんのお嫁さんも、就職が決まりあまり通えなくなってしまい、お節介性分の私が一肌ぬぐ形になりました。

「遠くの親戚より近くの他人」という言葉がありますが、まさしくそんな感じです。


あまりにあっけなく亡くなってしまい、まだ気持ちが落ち着きません。


そんなこんなで、そんなことを書いて気持ち整理したくて、このプロを描くことにしました。


後悔しないように出来ることはなんでもしたけど、なんか胸がモヤモヤするんです。