Rainbow Club ママと子供の英会話

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「英語は楽しい」の芽を育てたい!
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オリパラが終わって早2ヶ月が経ちました。

 

TOKYO2020で働いたあの数週間の日々は、

私にとって人生感を揺さぶられるような大きく貴重な経験になりました。

 

たとえコロナ禍で無観客になろうとも

人々の心を惹きつける「世界最大の祭典」であることには間違いないと肌で感じることができました。

 


信じてもらえないかもしれませんが、期間中

「オリンピックの神様が、真上に絶対にいる」と感じざる負えなかった日々でした。

説明のつかない試練とミラクルの連続。

その大きな魔力に惹きつけられるからこそ、オリンピックはどんな困難があっても人を魅了し続けるのだと体感することができました。

 

世界中のオリパラリンピックの選手たちが、それぞれに困難を乗り越え

人生を賭けて国を渡って一斉に集まる場所です。

裏方であるメディアセンターで働く人々もまた

命懸けで国を渡り、「オリンピックを支えられる誇りと使命感」に満ち溢れていました。

そうやって夏季冬季とオリンピックは続いている。

力を合わせて真剣に働くことの素晴らしさを教わったような気がします。


 オリンピック選手たちが競技の一流ならば、

それを支える裏方の人たちも負けない力で一流の仕事をすることが望まれる。

メディアセンターの人々のお仕事ぶりからもその心意気が感じとれました。

 

勤務初日から、その大きな波のようなパワーに飲み込まれないように

ただただ必死でした。



 

戦争や紛争が絶えないこの世界で、

世界各国の人々が「このオリンピックの感動を世界に届ける!」という

その1点の目的のために同じ方向を向いて切磋琢磨して、この東京で1つ屋根の下で働いている。

 

自分の目の前で起こっていることが、現実なのか夢なのか本当にわからない。そんな日々。

 

オリンピックは特殊な場所なのか、

期間中、本当にたくさんの国の方々をお話する機会がありましたが、

「人種差別」を感じたことは私自身1度もありませんでした。

むしろ「日本のことが知りたい」「日本に来るのが夢だった」と

常に友好的に接してもらえたことは感動的でもありました。


 今回は、歴史的に見ても

初の延期も含め様々な困難を強いられた特殊なオリンピックになりました。

 

でも、

国を守りつつ、リスクを承知で果敢にベストを尽くし続けた日本の姿勢は

現場で見ていても心に突き刺さるものがありました。人と人との接触を極端まで減らしながら、この大きなイベントを遂行する。極めて難しいミッションであったと思います。

テロ対策、コロナ対策、日本のきめ細やかな対策と準備は世界中の人々を

驚かせるくらいに徹底されたものでした。


「日本だからこそ、大きな問題もなく、クラスターも起こさず開催できた」

世界のアスリートやメディアが、SNSやニュースを通じて、そう総評していました。(国内メディアではなぜかその事が報道されませんが、、)



この国に生まれてよかった。

心からそう思いました。

 

大きな不安と批判の中、最後までこのオリンピックを支え続けた全てのTEAM JAPANのご尽力には

心から賛辞を送りたいと思います。




 

あまりにも感じるたこと、考えたこと、一緒に働いた日本と世界の人々から教わったことが

膨大すぎて、今だこころの整理が追いつきません。

 

ざっくり私のお仕事内容をいうと

ユーロスポーツというヨーロッパ全域のテレビ局、クルー約250人分の食堂全般の運営と接客を行いました。いわゆる「寮母さん」のようなお仕事です。

トラブル続きで辛いと思うこともありましたが、

「今回のオリンピック、

参加したかったけれどできなかった人が何万人といる。

でも私はここに立っている。

この場所でOMOTENASHIができる日本人は私一人。ベストを尽くそう。」

そう思って仕事に取り組んでいたつもりです。


祖国から離れ、パンデミックで東京観光にも行けないクルーです。今までのオリンピックでは経験がないほどの閉塞感も感じていたはずです。

食事の時くらい楽しく食事してコーヒー飲んで休憩して欲しい。

その心は伝わったようで、「君には元気を貰ってるよ、いつもありがとう」と声をかけてもらえることも多かったです。

 

挫けそうなときも、同じ局のクルーが力仕事を手伝ってくれたり、

優しい言葉をかけて励ましてくれました。

「オリンピックは大きなエネルギーの集まる場所。その分、それぞれが大きな光と陰を乗り越えていかなければならない場所でもあるんだ」と教えてくれました。

私にとっては国境を超えた戦友たちでした。


私なりに「命がけで戦った」。

そのことだけは曇り一つなく自分を誇れることだと思っています。

 

怖かった。

でも挑戦した。

 

「挑戦」しなければ見えなかった世界。

出会えなかった人々。

出会えなかった自分。

 

自分の直感を信じて動いて良かった。

送り出してくれた家族には感謝しかありません。

 

感染症、災害、病気、明日がどうなっているかなんて誰にもわからない。

だからこそ後悔しないように日々を生きること。前にコマを進めること。


 大きな教訓をこのオリンピックから学んだように思います。


現在、私は英語講師です。

「英語」を学ぶ先にあるもの。

世界は繋がっているんだ。

それを下の世代に伝えるのも、私の使命なのかなと感じています。