よくよく見渡せば、周囲には、
小さな慶びごともあるものの・・・。
絶えず迫りくるような大きな黒い影のようなもの、
世相に感じる。
3・11の震災・人災後の「本当の問題」は先送り・・・。
いかに震災・人災前と同じ層が潤うように、
カネが回るかのシステムの復旧のみ迅速なり。
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少しの時間を見つけては
吉川英治氏の『三国志』を読んでいる。
もう何十年前かに読んだのだが
ふたたびか三度か・・・。
以下は引用ではないため、正確な言葉でもなく、
趣旨のみであるが・・・。
【徳をもって治めるを良しとし
民草、鼓腹撃壌(こふくげきじょう)して
子を育て、楽を愉しみ、笑いの絶えないことを目指すのが
為政者の在り方である】
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戦乱の世の英雄は智勇ともに
長けていなければならない。
敵対する人間をこころから恭順させる方法は、
暴力や誅罰(ちゅうばつ)によるのではなく
ただ、許し認めること、すなわち
相手の「心の奥を汲む」ことである。
実際、スピードや効率を求める社会では
難しいであろうか。
しかし、相手の魂の成長を待つのが
本当に人を育てる、ということであるのは
私自身が教職で身に染みたことでもある。
✤
いま表面の戦乱はなくとも、
世に奸臣(かんしん)はびこり、
袖の下に何やら隠し持って取り入る「えちごや」多く、
権威をかさにきてのやりたい放題・・・。
およそ本来上に立つ人材であれば、
「私を去る」の覚悟は言うに及ばず
慕われること「自ずから径をなす」ほどでなくては。
「道徳」はいまさら「教える」ものではなく
「お上」が身をもって示してこそのものであろう。
愛国心は強要されるものではない。
歌うか歌わないかを見張らせるなどしても
こころは縛れない。
愛は真心によって揺り動かされるもの。
手本となる側に仁徳あれば、
たいていは知らずして薫陶を受けるものだろう。
為政者、上に立つ人物、影響力のある人間・・・が
エゴにとらわれ(それを巧みに覆い隠したとしても)
「一将功成って万骨枯る」を
平気で良しとするような者であれば、
その国、その組織に幸はあるまい。
しかしながら、必ず
大きなうねりはやってくる。
暗愚によって衆愚にされた人間の中に
気付くものが出、その数が増えて、
止めようもない潮流となっていくのは
歴史を見れば必定であるから。
だから【希望】は暗雲の中、泥水の中からこそ、
生まれるともいえるのかもしれない。
(いささか詭弁を弄するに聞こえるか・・・?!)
それを自分の瞳の黒いうちに見られるかどうかは
また別として・・・(苦笑)