アラスカのオーロラ
(フェアバンクスにて撮影 2010~2011冬)
極冠に見られることの多い幻想的な光の舞。
ノーザンライツNorthern Lightsなんて呼ばれる。
もちろん、「南極」にも出るんだけれどね。
正式には「オーロラ・ボレアリスAurora Borealis」
古い読者さんは覚えておいでの方も
いるかもしれない。
前職を辞す年、思い切って訪れたアラスカ。
星野道夫さんの観た風景を
わずかでも追体験したく
こどもたちも連れて、フェアバンクスへ。
写真集やカレンダーになるような
派手なものにはめったにお目にかかれない。
あれは、一年に数回見られるかどうかの
オーロラ・ブレイクアップ(オーロラ大爆発)のもの。
夜から朝方までマイナス20度とか
それ以上に凍り付いてる世界の中で
ひたすら その光を待つのだ。
たとえば、
一枚の写真の裏に
「ただ何日も待つ」
という「平坦で退屈極まりない時間」があるように
さまざまな現象を目にする裏には
その何百倍もの事柄がある。
まぁ、そんなことは当たり前なので
それくらいわかってるつもりになるものだ。
世の中、
って言ったって
わたしなんぞが気づくのは
ま、狭い範囲なんだけどもさ。
昨夜ある方のブログ記事でね、
渋谷区のある公園のホームレスのひとたちが
年末のこの冬空のなか
荷物を持つ間もなく追い出された、と知った。
(某有名スポーツメーカーがスケートリンク作るとかで
カネも動いてる・・・)
「お上」と「権威者」はクリーンにしたつもりなんだろう。
「公園がきれい」なのは利用者(?)にとって
いいことなんだ、と。
クレーム処理したと。
「『ホームレス』はなんだかコワい」
そういう感情を引き起こさせるのは
「刷り込み」によるところも大きいのでは?!
自分もそうだけど
そりゃなかなか親しく会話なんてできやしないんだから
いろんな事情なんて分かりっこないしね。
だけどさ、
そうではあっても、
あの人たちは生きてて
泣いたり笑ったり
悲しんだり喜んだり
電化製品もってる人もいるだろうし
酒も飲んでるかもしれない。
(家がなかったら、
なんでも「清貧」にしなきゃいけない???
ってのもどうなんだろ?と私は思う。)
でも、生活の場所をいきなり追い出されたら
誰だって困るに違いないよ。
税金払ってないとか
それはそうでもさ、
じゃ、一部の企業はどうなの?
儲かってて
社長はいい家住んで
メルセデス何台も乗ってて、
でも、「節税」って、
うまく税金の一部なり全部なり
合法的にスマートに
払わないんじゃないの。
そんなの昔からで
よーく知ってるよ。
「まちがってはない」んだもんねぇ。
そのために税理士さんとか雇ってるでしょ。
間違いはない。
「正しい」よ。
でもね、
寒空にね、
毛布も取り上げて
追い立てて
そのあとは知らない!って??
想像力ないんだろうか?
「お役所」や「権威」は責任の所在、
曖昧にするの得意ね。
そこに勤める「個人」は
とくに日本の場合、マニュアル通り、
もちろん自分の責任にだけはすまいと行動するよね。
「お上」は何かあると知らぬ存ぜぬ、
個人責任で・・・、と来るの
身に染みて知ってるからね。
公園はきれいで誰でも使える場所でなきゃ
って、クレーム入れる人いたら
「仰せのとおりでございます」って
それは「正しい対応」してつもりなわけだね・・・。
なんか・・・いいようがないけど・・・
わたしは胸がというか
のど元がきゅぅーと痛くなる。
なんでこうも、
弱いとこには杓子定規なんだよ。
美しいオーロラの写真は
極寒のなか、
カメラのバッテリーをカイロで温めながら
雪と氷の上で
ひたすら待つ。
顔は痛いし
お腹もすくし
トイレにも行きたくなる。
それはかなり想像しやすいこと。
でも、オーロラは
人のそんな行動も感情も関係ないんだけどね。
公園のホームレスさんたちの件は
「そこがきれいになればいい」
とだけ考える人には
どれだけ人が哀しい想いしようと
身体がつらかろうと
想像力は及ばないんだ!
平面移動させて、どこかで何とかなるだろ、
って論理は
「原発問題」や「基地問題」と
一ミリも違わない同じ考え方だな。
「おもてなし」が
1パーセントから1パーセントへ、じゃ
なーんも変わらないじゃん。
誰の中にもある「いいことをしたい」という
心の方向性・・・
「想像してみる」というトレーニング
日ごろからすることで
見えてくる世界も変わる。
フォーカスする世界が変われば
考えも行動も変わる。
ひと同士は(実は動物・植物・鉱物も)
深い深いふかーいところでは
一体のはずなんだよ。
お互い同士かけがえのないピース。
ありがとう!おたがいさま!
それはね、
みんな、すべてのものは
この地球(ほし)を構成する一部だから。