久しぶりにブログに戻ってきました^^;
前回は、「白髪のまま伸ばしちゃうよ」的な内容でしたが、公約通りに「わたしの白髪さん」はすくすくと育っていますよ。
近日中に証拠画像をアップしましょうかね?
(え?見たくないか。そっかw)
ええと。
途中、不正ログインにあって「パスワードリセット」なんてアクシデントもありましたが。
「書けない、書くことが浮かばない」なんて言いながら、わたしの無意識(潜在意識)は見事に「書かなくて済む状況を引き寄せた」のですね。
ああ、恐ろしや無意識の力。
まあ、3ヶ月以上空けてしまった言い訳はこのくらいにしてw
今日、12月9日は亡き父の命日でした。2009年でしたから、かれこれ7年。
長いような、短いような不思議な感覚です。
確固たる「死生観」を持たぬまま、父の死を迎えたために、直後は非常に混乱してしまったんですよ。
喪失感と虚無感がまとわりついて離れなくて。
どうしたら「死」を受け入れられるのか知りたくて、死後の世界や、哲学、宗教などの本を読み漁りました。
それがきっかけで、いろいろなブログも読むようになり、そこで知り得たセミナーや勉強会に参加するようになり、結果、今のわたしの環境(人間関係)は形作られていったのですから、父の死が「わたしの人生の舵」を思いっきり方向転換させてくれた、とも言えますね。
もちろん、悲しみは一朝一夕に癒せるものではなかったのですが。
でも結局は、父が残してくれた言葉が一番効果のある「お守り」だったのかもしれません。
それがこの「孟子の言葉」
今から約25年前、アパレルメーカー入社2年目だったわたしに、父が書いてくれたのがこの「孟子の言葉の一節」でした。
当時、百貨店の営業だったのですが、もうね、仕事がキツくてねえ。
父に泣き言を言ったのでしょうね。
今思えば、その10年後に再就職した某TV通販の会社の方が、よっぽどハードでしたw
まだまだひよっこ社会人だったので、ピーピー言っていたのでしょう。
そんな時に父がこの言葉を教えてくれたのでした。
現代語訳すると、「天が重大な任務を与える時、まずその人の心や志を苦しませ、筋骨を疲れさせ、飢え苦しませ(ひどい!)、生活を窮乏させ、すべて意図とは反対の苦境に立たせる。
これはその人を発憤させて、辛抱強さを鍛えて、できなかったことをできるようにするためである。」
と、こんな感じの内容。
父が言いたかったのは、結局は「天は、乗り越えられない試練は与えないよ。大丈夫だよ。やれるよ。」ということだったのだと思います。
以降、
わたしはしんどいなあと思う時、手帳からこのカードを取り出しては、あの日の父のエールを思い出しています。
そして、父の死を受け止められなくて苦しかった時でさえも、この「時空を超えた父のエール」に助けられたのでした。
苦しくても、辛くても。
「それは乗り越えられる」と父は信じてくれていた。
そして、この孟子の言葉の中で言う「天」とは、おそらくは「自分自身の無意識」のことだと思うのです。
自分は、自分の思い及ばぬところで、ちゃんと自分を信じて「大丈夫、越えられるよ」と、試練を引き寄せる。
なんて「どM」なんでしょうw
でも、いつかまた気づくのですよ。
「ああ(いつの間にか)乗り越えてる」ということに。
人生というテーマパークの中ですから、アトラクションを体験しなきゃ。
楽しいも、辛いも、苦しいも、色々「乗ってみなきゃ!」って。
どんな体験も「自分がやりたくてやってるんだなあ」と、最近は、父のカードを見るたびに思います。
そういえば、少し前までは無意識に生きていたので「こんな辛いのはヤダヤダー!」ってだだこねるだけでしたが
アイアイ講座を知ってからは、「あー。この辛いのも味わいたくて自分でやってるんだなーw」と、観察するようになり、
「じゃあ、ここからどうする?何やる?」って、行動へ意識をシフトするようになってきました。
これが現実が変化する第一歩なんですね。
自分で引き寄せて、自分で乗り越える。
無意識を意識化してみる。
そういう「仕組みになっている」と納得できると、今の「辛さ」も少し「違ったもの」に感じるかもしれませんね。