現世で生きていて、不条理、不公平など様々な理不尽さを経験したり感じたりすることがあると思います。
悲惨なニュースなど、特に自分と似た境遇や心境だったりすると、思わず憤ったり時には涙したり。
私もアダルトチルドレンで、少なからず親から虐待を受けていたので、残忍な虐待のニュースはとてもつらく見ていられない程です。
誰かに殺されたり、虐められたり、親からの虐待、そんな境遇を見聞きした時疑問に持つこともあるでしょう。
なぜその人がそんな目に遭わなければならないのか?
一方で家族にも友達にも恵まれ、金に困ることもなく普通に安定した一生を送る人もいます。
ずる賢く犯罪を犯しても、捕まらずに逃げ切る人。
感情論で見てしまえば、とても不公平に思えますね。
すべて自分で選んでいます。現世に降りる時、自分の親・国・容姿・生まれる場所も自ら選びます。
その上で、どう生きるかは本人次第です。
そこで学ぶことがあるからです。
殺された人も、前世においては誰かを殺した経験があった可能性があります。その後悔の念から、次現世に来るときには今度は自分が殺されることで、そのつらさを学ぼうとすることもあるでしょう。
私たちは何度も、現世に生まれ変わっています。前世はひとつだけではありません。
自らつらい境遇にいることで、回りの人々に学びを与えることもあります。
すべての見聞きすることは、どれも学びなのです。
それを聞いてどう思うのか、自分ならどうするのか。他人事と流すのか、自分事と捉えそこから学び、律するのか自分次第です。
誰かは自分の鏡であり、自分も誰かの鏡になるのです。
そうやってお互いに影響し合いながら、私たちは学んでいます。
現世にいる時は、自ら選んだことは 忘れていますから、冷静に客観的になるのはとても難しいです。
だからと言って、いつまでも悲観的で被害者意識で いたら、いつまでも苦しいのは自分です。
それを克服するための人生なのです。
私もアダルトチルドレン故に、なかなか抜け出せずにいました。
自分でこの親を選んだことに、いつまでも抵抗がありました。常に自分がされた嫌なことが蘇り、悔しさと悲しさでつらくなるのです。
当の本人はそんなこと知らずに、相変わらず自己中心的に振る舞っているのですから。
それでも、ひとつひとつ受け入れられることを増やして行きました。
私は常に自分でこの人生のすべてを選ぶと、自分に誓っています。
この苦しみさえも、今一度自分で選ぶと自分に宣言するのです。
自分主体の人生にするために。
そうすることで、以前より心は軽くなりました。完全ではないですが、ほぼ親に対する感情を切り離し、俯瞰で見れています。
された嫌なことを受け入れるのではなく、ただその事実を見て冷静に対処する感じです。
ここまで来るのに相当な年月がかかりました。
そう簡単ではないからこそ、私たちは何回でも現世に学びに来るのですね。
様々な出来事も、偶然ではありません。感情的になり涙目では、本質が分からなくなってしまいます。
そういう時こそ、冷静になり色々な角度で考える癖をつけたいものです。
すべては学び。この事を忘れずにいましょう。