何かを叶える時、まず目標を持つことを強いられてきた。だから結果、思い描いた通りの画が描けないと寂しくなってしまう。
目標なんていうと大きいものをイメージしてしまうけれど旅行が計画通りに進められなかった時とかそんなちょっとしたことですら寂しさや焦りを感じたりする。
まぁ、この程度でも良いしきっとこれが最善なんだろうなんて思おうとする。大いなる視点で見たら最高最善に違いないなんて言いながらも自分の描いた画の方が大きく感じていて思い通りにならなかった現実を作り出した自分を小さく感じ恨めしくさえ思ったりする。
描いた画通りにしていきたいというコントロール欲が自我を壮大させ大いなる力を飲みこんでしまっている。
コントロール欲=自己愛からくる目標。
目標を持て!なんて言わ当たり前に良いこととして取り入れていたけれど実は自分の世界を狭くするツールでしかない。
目標に自分の世界を狭くコントロールされていたのだ。そんなこともわからず鵜呑みにしていた。
目標に意識を置くのではなく今に視点を置く。これありのままの私で生きることと同じなんだよね。
大いなる自然の現象の中で生き今に視点を当てながら今できることを楽しみながら今輝いて生きる。
目標や計画を達成することに輝きをみつけるということは本当の輝きではなかったということ。
大いなる存在である源とそこから発生した自分が今作り出した現実を楽しむことでこそ今の私が最大限に輝く方法なのだ。


