何かを叶える時、まず目標を持つことを強いられてきた。だから結果、思い描いた通りの画が描けないと寂しくなってしまう。


目標なんていうと大きいものをイメージしてしまうけれど旅行が計画通りに進められなかった時とかそんなちょっとしたことですら寂しさや焦りを感じたりする。


まぁ、この程度でも良いしきっとこれが最善なんだろうなんて思おうとする。大いなる視点で見たら最高最善に違いないなんて言いながらも自分の描いた画の方が大きく感じていて思い通りにならなかった現実を作り出した自分を小さく感じ恨めしくさえ思ったりする。


描いた画通りにしていきたいというコントロール欲が自我を壮大させ大いなる力を飲みこんでしまっている。


コントロール欲=自己愛からくる目標。


目標を持て!なんて言わ当たり前に良いこととして取り入れていたけれど実は自分の世界を狭くするツールでしかない。


目標に自分の世界を狭くコントロールされていたのだ。そんなこともわからず鵜呑みにしていた。


目標に意識を置くのではなく今に視点を置く。これありのままの私で生きることと同じなんだよね。


大いなる自然の現象の中で生き今に視点を当てながら今できることを楽しみながら今輝いて生きる。


目標や計画を達成することに輝きをみつけるということは本当の輝きではなかったということ。


大いなる存在である源とそこから発生した自分が今作り出した現実を楽しむことでこそ今の私が最大限に輝く方法なのだ。



多くの人が天職を求めて彷徨っている。


誰かの役に立っている実感や評価。それをやっている時の内から沸き起こる楽しさや躍動感。おおまかに言うとそういったものを求めて人は天職を探しているのだと思う。


今の時代、仕事の選択肢や娯楽も沢山ある。ボタンを押せば家に居ても買物できるし家に居ても若くても起業できる。自由な分決めにくい時代である。その分エネルギーが分散され熱く生きることが難しい。


昔は武士の子に生まれたら武士、農民の子に生まれたら農民、商人の子に生まれたら商人と将来が決まっていた。あとはそれをどれだけ極め拡大していくかに邁進していくだけだった。だから天職こそ探す自由はなかったけれど1つの仕事にエネルギーを注ぎやすく熱く生きれたと思う。


生きていることからくる臨場感や自分というものを感じたくて人は時として困難さえも引き起こす。
困難は時としてエクスタシーだから。


プラスの面でもマイナスの面でも人は躍動感を与えてくれる変化を求める生き物なのだろう。


1番てっとり早く安全に、生きている実感を得られる方法は身体を動かし身体を感じていくこと。運動すること。


続けていくうちにエネルギーも回り心や生活にも変化が現れていくかもしれない。


難しくお金のかかる自分探しばかりをしなくても身近にある運動をもっと楽しみ活かしていくのも良いと思う。










いつしか望むことすらできなくなっていた。


期待したら上手くいかなかった時にがっかりする。こんな高望みなんだか笑われそうで恥ずかしい。
常識的に考えて上手いきっこない。


コンマ何秒のスピードで頭の中にこんな考えが浮かび自分でも気づかないうちに望むことを阻止していた。


なんか悲しいな。



望むことも許されない世界を自分で自分の中に作り上げていたなんて。


傷つくことから自分を守るためとはいえ自分が自分に許可してあげていないだけなのだから。


よく自己啓発やコーチングで望みを見つけるとそれを叶えるためにはどうすれば良いか?これを考え行動に移していくことを促される。


これけっこうプレッシャーだよね。


子供は望みを見つけた時にただ望むだけだったりする。もちろん買ってもらえるよう親にせがんでみたり、ただをこねたり、兄弟喧嘩してみたりとなんらかの行動をとることもあるけれど、ウルトラマンになりたいとかお姫様、挙げ句の果てには犬になりたいとかただ自分の望みを純粋に望むだけなのが子供だ。


本来の人間の原点はここのはず。そう、これをすれば良かったのだ。


大人なになるとそんなの無理に決まっていると頭でっかちになってしまい望むことすらしなくなる。


そうやって夢の大小に関わらず無意識に○×をつけてきた。これを何十年と続けているんだから望むことそのものができなくなるのも頷ける。


望むことの楽しさを忘れいつしか自分が何を望んでいるのかすら見失ってしまったのだ。


本来、望むと叶えるは別物で望んだからといってそこに向かって何か努力をしなくても良いはず。


だから、望む=行動しなければいけないプレッシャーの中に自分を置く必要はない。


ただ子供のようにシンプルに望めば良い。


叶えるという行為にとらわれる必要はない。


セットではなく別物だから。




叶えるわけではないので叶わなかった時の結果をシュミレーションする必要もないし、高望みしてるのがばれ笑われてしまうイメージングもしなくて良い。


ただ望むことを繰り返ししてみよう。軽くて楽しいし、自分の内側が生き生きしてくるのがわかる。
失った生命力が湧いてきて世界が明るく見える。