学校長が替わって初めての入試になる京都先端です。
数日前まで学園祭だったそうで、校内にはまだそのときの熱が残っているような雰囲気です。
先に結論を書いてしまうと、京都先端は現在円熟期をむかえているのではないかと感じました。
矛盾しますが、教育というのは、いろいろな意味で終わりのないもので完成はしないと考えています。
むしろ、私は「完成した」と思った瞬間から組織は腐敗しているというのがポリシーです。
だから「完成」という言葉は避けますが、学校の運営者側、先生たちにしてみると、実際には多少の齟齬はあるのでしょうが、多方面に手応えを感じているのだろうと思ったのです。
話は説明会に戻ります。
今回、力を注いでいたのは中学校です。
確かに中学校はいろいろな私立中学校をまわりましたが、京都先端は魅力的です。
地球学として、大学と連携し、企業と連携し、学校独自でも外に出て行ける中学校生活は、想像しただけでワクワクします。
自分に子供がいたら、上記の写真にあげたようなことはすべてやらせたい。
「成る」人間は、まわりの環境が整えば放っておいても自分の道を見つけて「成る」と思っています。
過去に、あるスポーツで小学校から日本代表として飛びまわっていた生徒がいます。
中学に入ってクラブチームに入ったのですが、監督との折り合いが悪くすぐに辞めてしまい、そのままそのスポーツさえ辞めてしまいました。
高校に送り出したあとの数年間、何をどう思ってなのか分かりませんが「スーパーレスキューの試験を受けるので勉強を教えてください」とやってきました。
本人としては、試行錯誤や苦難の日々があったのでしょうが、端から見ていると「成る」人間は簡単に手に入れたように見えてしまいます。
私の思う「成る」人間とはそのような人間です。
運命に引き寄せされるようにその道のエキスパートになっていきます。
しかし、「成る」可能性があったのに「成り損なう」人間もいるのも事実。
運に恵まれなかった、まわりに恵まれなかった…、なにかのピースが1つ足りなかっただけでもったいないことになる。
学校が、例えば中学校で9教科を教えるのも、そのカリキュラムの中で足りないピースを埋めてあげることが出来るからという側面もあると思っています。
それでも足りないのも事実。
保護者は、教育者は、9教科で埋まらなかったピースを、生徒のために探してあげたいと思う。
少なくとも、私はそう思っています。
そのピースを探す1つが、京都先端で行っている「地球学」ではないかと思います。
私は、地震学や火山学は好きですので、能登半島に行って4m隆起した防波堤など見てみたいと思っていますが、物見遊山で行くものでもないと思い遠慮しています。
正直にうらやましいと思う。
それが中学生で見ることができるなんて、なんて刺激的なのだろうとも思います。
学校長をはじめ、説明をする先生たちは「生徒を見守る」という言葉を使っています。
円熟を感じる1つの理由がこれで、山本五十六の言葉のように「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。…」のような状況ではなく、学校全体の雰囲気が先生たちが「見守る」だけで成り立っている(だけじゃないんでしょうけど)余裕さえ感じます。
学校内に踏み込んで、説明会を受けていて「この学校は入学してから卒業させ、卒業させたそのあとも、この学校が心に残るように努力しているのだな」と思わせてくれます。
私も、卒業後も生徒の心に残ってもらいたいと思っているので、学校の方針にとても共有しています。
その一連の流れができているのに、最後に驚かされたのがこれです。
ある程度の構想は聞かせていただいたのですが、学校が正式発表をしていないものをいろいろと書くわけにも行きませんので詳細は省きますが、完成した組織は腐敗が始まっているので、改変をするというのはよい手段だと思います。
潔いですし、冷静な判断ではないかと思います。
最後に、学校内を案内していただきました。
文化祭の展示だったそうですが、奥には龍が描かれています。
龍が呼んだ雲をこんな感じに表現するのかと感心しました。
学校自慢の自習室は100席以上。
上級生の進路の時期になると、下級生が入るのを躊躇うくらいにピリピリするそうで、そのような姿を見ながら過ごすことも大切なことだろうと思います。
飲食も禁止されているストイックな空間です。
定食は530円。
教職員も利用するそうです。
食堂は、ほんとうにオシャレなカフェのようで、天気がよいと外の人工芝で食事をする生徒もいるそうで、高校というよりも大学のようだと感じます。
いろいろ写真を撮りましたが、紹介しきれないほど面白さが詰まっている学校です。
今後も楽しみです。





































