今年、大学受験に挑んでいた生徒が報告に来てくれました。
まだ受験結果は途中ですが、関関同立の第1志望校に無事合格。
いまのところ5校合格を頂いたそうです。

最終的には第1志望校の正解率は8割以上ということ。

頑張りました。

 

今日は、滋賀県私立高校の合格発表でした。

おかげさまをもちまして、全員合格です。

滋賀県私立高校のトップ校の合格や、他の私立高校を受験した生徒が成績優秀で奨学金を頂けることになったりと、全員よく頑張りました。

あわせて、大学受験をした生徒の合格も報告され、とりあえずはホッとしています。

県立高校を受験する生徒、大学受験をする生徒が残っていますので、今年も完全勝利を目指して気を抜かずに頑張りたいと思います。

元日は、1日ゆっくりと初詣をして過ごしました。

去年の元日は、妻がインフルエンザからのARDS(急性呼吸不全)によりICUで生死をさまよっていたので雲泥の差です。

一緒に過ごせるというのはありがたいです。

 

夜明け前に出発して、最初のお社は北野天満宮。

学問の神様である菅原道真公へのご挨拶は外せません。
受験生の全員合格と生徒の学力向上を願います。

「菅公御神忌千百二十五年半萬燈祭」ということで、境内はたくさんの提灯。

個人的には、2枚目の三光門の門の全容を見ることができなくなっていて残念です。

豊臣秀頼公が建築した重要文化財で、京都の桃山期の建築物の中でもお気に入りの1つです。

今年の引き札(3枚目)も豊臣秀頼公ゆかりの「曳馬図絵馬」より。

配布が始まった初年から集めているので、良かったです。

 

ついで、近所の平野神社。

ここは桜の神社で有名なお社です。

受験生たちに桜が咲くように、日頃から参拝しています。

初詣による大混雑とは無縁で、社務所も午前9時からの平常営業。

ゆっくりと参拝することができました。

 

次は、上賀茂神社。
正式な名称は賀茂別雷神社といいます。

御祭神は賀茂別雷命で、こちらも古事記・日本書紀には記載されていません。
雷の神様ですので、電力会社などからも奉納されているのが、日本という国はすごいなぁと思わせてくれます。
馬にゆかりのあるお社ですので、やはり日頃から立ち寄っている神社ですが、久しぶりに元日にも立ち寄ってみました。

のちほどニュースで知ったのですが上賀茂神社周辺は大混雑だったそうで、確かに車で神社に近寄ることは難しく、少し離れたところに車を停めたのは正解だったようです。


二ノ鳥居をくぐると正面にあるのが細殿。
通常の神社の拝殿にあたる建物ですが、こちらも平安京が作られる前からのお社なので通常の神社の形とは違います。

澄んだ水の流れる川を渡ると巨大な楼門。

そこをくぐると本殿ですが、お正月は普段は入れる中門よりも中に入ることができるのが嬉しいです。

お昼近くになってきたので、徐々に混雑してきましたが、最後にご神馬さんにご挨拶をして次に移動しました。

 

最後は、下鴨神社。

正しくは賀茂御祖神社といいます。
御祭神は、賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)のお母さんの玉依姫命、と玉依姫命のお父さんの賀茂建角身命となっています。
やはり古事記・日本書紀には記載されていません。
賀茂建角身命は京都開拓の神とも言われていて、子供たちの人生を切り拓くことを願うにも良いお社ではないかと思っています。

やはり馬にまつわる行事もあり、午後をまわったこともあってかとっても混んでいました。
参拝するにも、御朱印をいただくのも、買い物をするのも時間がかかります。

上賀茂神社には負けないほどの大きな楼門をくぐるとかなり広い敷地があるのですが、ほとんどが人で埋め尽くされていました。

御本殿の前には、多くの神社と異なり干支にまつわる言社(一言社・二言社・三言社)があるので、本殿参拝後にそこに参拝するために導線がごちゃごちゃで混雑に拍車がかかっています。

一瞬諦めたのですが、やはり新年早々から諦めることはしたくないので頑張って言社にも参拝しました。

いただいたお正月限定の絵馬には顕国魂神(うつしくにたまのかみ)と書かれていますが、大国主命(大黒さま)の別名で午年の干支社です。

他も言社には大国魂神、大物主神、大国主神、志固男神、大己貴神、八千矛神が祀られていますが、すべて大国主命です。

なんでこのようなお祀りのしかたをしているのか不思議です。

 

本殿から少し離れた井上社(御手洗社)は混雑しておらず、ゆっくりできました。

みたらし団子の発祥のお社で、お社の下から水が湧き出ています。

夏に行くと、このお社の前の御手洗池に足をつけた大学生が本を読んでいて、そのような学生生活を送るのも楽しいだろうなぁとうらやましく思う気持ちの良いお社です。

これにて参拝は終了。

朝の5時に出発して、帰宅は18時。
いつもの年よりも頑張りました。

ごんぎつねといえば、新美南吉さんが書いた小学校教科書の定番の物語です。

あくまで感覚的な話ですが、20年くらい前の小学生は、「説明文」よりもごんぎつねのような「物語」が好きで点も取れていた。

いつの頃かその状況は逆転してしまい、いまの小学生は「物語」が苦手な子が多いように感じています。

 

ごんぎつねを読むと「びく」や「おはぐろ」など、テレビで時代劇をやらなくなって久しい現在では、なんのことかほとんどの小学生が想像できないでしょう。

やはり20年くらい前の話になりますが、文章中に「障子」「座布団」という言葉が出てきたのですが、1人の生徒がわからないことがありました。

その生徒のお兄さんに聞いてみたところ、「家に「障子」も「座布団」もある」というので、家に帰ったら現物を見せて教えてやってくれとお願いしました。

逆に言えば、それくらい当時の生徒は分かっていたのです。

その頃にも、「びく」や「おはぐろ」な少し分からない生徒は増え続けていましたが、1割くらいだったと記憶しています。

 

最近になって、ごんぎつねには新たな難問が2つ生まれています。

 

1つ目は、兵十に火縄銃で撃たれたごんがどうなったのか問題。

「ごん、お前だったのか。いつもくりをくれたのは。」
 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。
 兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました。青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました。

最近の小学生は、「ごんは死んでいない」「少なくともごんが死んだとは言えない」という解答が増えているのだそうです。

私が教師になって学んだときには「青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました」という表現がごんの命が消えていくさまを表していると教わったのですが、いまの小学生は「死んだと書いてないから死んでいない」と言うのだそうです。

文章の行間を読むということが成り立たなくなっていると言えるのかもしれません。

 

まあ、この件については文学者の一部でも「ごんは死んだのか分からない」と言っている方もいるそうなので、間違いとは言い切れないとも言えるでしょう。

 

2つ目は、兵十のおっかあの葬儀の場面。

よそいきの着物を着て、腰に手ぬぐいを下げたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。大きななべの中では、何かぐずぐずにえています。

近畿の超進学校に通っている生徒に聞いても、超進学校を目指している生徒に聞いても「分からない」と言います。

そして、「そんなことはないと思うのだけれど・・・」と前置きをしながら「兵十のお母さんを煮ている」と答えます。

「煮てどうする?」と聞くと、「骨にするため」とか「骨から肉を外しやすくするため」とか・・・。

葬儀の際の振る舞いを、昔は村人たちで協力して用意することを知らないですし、仮に葬儀に出たことのある生徒は「お弁当をもらった」と答えました。

 

いまの時代の子供たちを非難したいわけではありません。

ごんぎつねは、初出は1932年ですから、多くの日本人にとって牧歌的な思いのある物語なのだろうと思います。

教えている私も、古い時代のことも知って欲しいという気持ちはあります。

しかし、現代の多くの子供たちの持っている情報では理解できない世界になっている難解な物語になっていると言えるでしょう。

少なくとも、小学校では限界ではないかと思います。

強いてごんぎつねが教科書に載ることを続けるのなら、もうごんぎつねの部分は絵本のようにするとか、先生が紙芝居を見せるとかして、物語の世界を見せるしかないのではないかと思います。

 

この時代は情報化社会です。

情報過多になっている世界では、目の前に流れているものを拾うだけでもたいへんです。

それは、大人でもたいへんですから、子供はもっとたいへんです。

しかし、積極的に情報を拾いに行けば、宝の山の世界です。

「まんが日本昔ばなし」も「ごんぎつね」も「もちもちの木(怖いんだよなぁ)」も動画で見ることができます。

物語を得意な子供を育てるためには、「ディズニー」や「ジブリ」を見せるよりも「まんが日本昔ばなし」だと私は思います。

今年こそは12月に入ってすぐに飾ろうと思っていたのですが、結局は日曜日の晩に突貫工事で飾ることになってしまいました。

進歩が見られません。

少しずつ変えているのですが、あまり変化があるようには見えないかもしれません。

クリスマスだけは派手にやると決めているので、今年も派手派手になっています。