故郷・福島市を〝脱出〟した母親。七畳一間のアパートで守った息子の命~福島原発かながわ訴訟
原発事故による損害の完全賠償を求めて国や東電を訴えている「福島原発かながわ訴訟」の第15回口頭弁論が25日午後、横浜地裁101号法廷で開かれ、福島県福島市から神奈川県川崎市に母子避難中の母親が「私たち被害者の厳しい避難生活や奪われたものの大きさを、裁判所も国も東電も正面からきちんと認めて欲しい」と意見陳述した。原発事故が無ければする必要の無かった避難。弁護団は医療被曝の疫学調査を引用し、低線量被曝の発がんリスクについて主張。避難の合理性を訴えた。次回期日は7月19日。
【「避難は息子の命を守るため」】
静かで落ち着いた言葉が法廷に響いた。正面には3人の裁判官。右からは国や東電の弁護団の視線が刺さるが、用意した文章をゆっくりと読み上げた。涙は無かった。「私が避難しようと決めたのは、小学校5年生の息子の命や健康を守るためです」。わが子を被曝のリスクから守ろうと当然の事をして来たという、母親としての矜持が表れていた。
生まれも育ちも福島市。「私にとっても息子にとっても、福島市は大切な故郷です」。母子2人の平穏な生活を壊したのが原発事故だった。
外出先で遭遇した激しい揺れ。雪の降る中、わが子の身を案じながら自宅へ急いだ。揺れは大きかったが、自宅には大きな被害は無かった。ひと足先に下校した息子が、母親の帰りを待っていた。「ひとまずは安心しました」。停電で電話も通じなかったが、これだけで終わっていれば早晩、再び平穏な生活に戻れるはずだった。翌朝、テレビを観るまでは。
地元テレビ局が、福島第一原発の危険な状況を伝えていた。国は「原子力緊急事態宣言」を出した。そして水素爆発。自宅のある福島市は、原発からの距離は約60km。「在日米軍が原発から80km圏内の避難を検討している」と耳にした。原発事故が起きたら福島市も危ないという話を以前、講演会で聞いたことを思い出した。「恐怖感」。当時の想いを母親はそう表現した。
逃げよう─。しかし、ガソリンが手に入らない。電車も動いていない。高速バスは、一週間先まで予約で満席。なるべく外出をせず、換気扇もテープで目張りして放射性物質の侵入を防いだ。福島市を〝脱出〟出来たのは震災から9日後の2011年3月20日。予約したタクシーで栃木県の那須塩原駅に向かった。新幹線に乗り換え、東京の親類宅に身を寄せた。いわゆる〝自主避難〟の始まりだった。政府は福島市の住民には避難指示を出さなかった。しかし、福島県原子力センター福島支所(福島市方木田)での測定では同年3月27日から28日にかけて、1平方キロメートルあたり2万3000メガベクレル(230億ベクレル)もの放射性ヨウ素が降り注いでいたことが記録されている。避難は必然だった。
「息子なりに、原発や放射線への不安を打ち消そうと必死な様子でした」。マスクに手袋、水泳のゴーグルをして上着のフードで顔を覆った。足元は長靴だった。
法廷で意見陳述を行った原告の女性。「原発事故
による厳しい避難生活や奪われたものの大きさを
正面からきちんと認めて欲しい」と訴えた
【認められなかった転居】
翌月には、神奈川県川崎市内の民間アパートに息子と移り住んだ。仮設住宅とみなされ家賃負担は無かったが、ぜいたくなど出来なかった。節約に節約を重ねた。しかし、小学校6年生の息子と生活するには七畳一間は狭すぎた。食事をするのも宿題をするのも同じこたつ。布団を敷いたら床は見えなくなった。「反抗期の息子とけんかになった時は、仕方ないから私が喫茶店に行きました。息子を外に出すわけにはいきませんものね」。
思春期を迎え、着替えも親の前。息子の気持ちを振り返ると胸が痛む。「卒業アルバムの写真は、遠足も運動会も顔がこわばっていた。不安や緊張で一杯だったのでしょう」。せめてもう少し広い住まいに移りたいと神奈川県に申し入れたが、福島県、国とたらい回しにされた挙げ句、転居は認められなかった。
進学した中学校では、息子は「福島県民は馬鹿だ」、「近づくな」などとクラスメートからなじられ、暴力も振るわれた。「周囲の方々の支えもあり、何とか中学校を卒業することが出来ました」。高校生になった息子はボランティア活動にも取り組んでいる。「少しずつ落ち着いた生活が送れるようになってきています」。しかし、来年3月末で住宅の無償提供が打ち切られる。「自立」の名の下での棄民。福島市の自宅は、維持費の負担が重くのしかかり、処分した。帰る場所は無い。
「懸命に努力しながら高校に通っている息子の生活を壊すことも出来ない。避難生活をどうしたら良いのか不安で一杯です。国はどうして、私たちの生活を守ろうとしてくれないのでしょうか」
原発事故さえ無ければ、避難する必要など無かった。原発事故が大切な故郷や友人、数多くの思い出を奪った。「それらを犠牲にしながら私と息子が避難生活を送っている事に、何の合理性も認められないのでしょうか。私たち被害者の厳しい避難生活や奪われたものの大きさを、裁判所も国も東電も正面からきちんと認めて欲しいです」
傍聴席の支援者から大きな拍手が起きた。法廷では傍聴者の発言や拍手は禁止されているが、裁判長は注意しなかった。
低線量被曝のリスクについて反論した小賀坂徹
弁護士。「避難は過剰反応でも何でもない」
【医療被曝で実証された発がんリスク】
約40分間で閉廷した口頭弁論では、100mSv以下の被曝リスクについて「他の要因による発がんの影響に隠れてしまうほど小さい」と過小評価している国の「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ(WG)報告書」に対し、小賀坂徹弁護士が「もはや科学的価値が無い」と批判した。
WGが論拠としている広島・長崎での被ばく調査(約12万人)について「意味はあるが実測できず、核実験のデータから推計するしかない。そもそも限界がある」とした上で「残留放射線や降下物による被曝はほとんど考慮されていない。『非被ばく者』の中にも、実際には被曝した人が相当数いると思われる」と主張した。
そこで、小賀坂弁護士が引用したのが医療被曝に関する疫学調査。1985年から2002年までの間に、イングランド、ウェールズ、スコットランドの国民保険サービスセンターで初めてCTスキャン検査を受けた22歳未満に対する調査で、それまでにがんの診断歴の無かった約18万人を対象としている。2012年8月に医学雑誌「ランセット」に発表された。
疫学調査結果によると、CTスキャンにより累積線量が約50mSvを超えると白血病のリスクは3倍、同じく60mSvでは脳腫瘍のリスクが3倍になることが確認されたという。「この数字は推計では無く事実そのものであって否定のしようがない。国や東電がこの調査結果を知らないはずが無い」と小賀坂弁護士。カナダで実施された、急性心筋梗塞を発症した成人患者に対する調査でも、放射線照射による画像診断とがん発症には相関関係が認められたという。「この結果でも、放射線量が10mSv増加するごとに、発がんリスクが3%上がったとされている。もはや、WG報告書の結論が維持できない事は明白だ」。
「避難は過剰反応でも何でも無い。低線量被曝のリスクは、福島に住んでいる人にも伝えて行かないといけない」と語る小賀坂弁護士。弁護団は今後も、被害の実態と被曝リスクの両面から国や東電の責任を追及していく。次回口頭弁論は7月19日。
(了)