【37カ月目の福島はいま】美しき汚染地・花見山。客足戻り、被曝への危機感は薄らぐ~福島市
長く厳しい冬が過ぎ、福島県は春真っ盛り。〝桃源郷〟と称される福島市の花見山では、桜やレンギョウなどの花々が色鮮やかに咲き乱れる。しかし一方で、原発事故による汚染が解消されていないのも現実。線量計の数値とは裏腹に、訪れる人々から被曝への危機感は感じられない。現在進行形の汚染から目を逸らし、経済復興へ邁進する様子を象徴的に表しているようだった。
【「1時間くらいなら大丈夫」】
JR福島駅の東口。福島交通の臨時バス「花見山号」乗り場では、定刻の午前9時を待ちきれない観光客が、平日にもかかわらず長い列を作っていた。
「お友達がね、東京から応援しに来てくれたの。福島を」。女性の声は弾んでいた。
「福島市は、そんなに気にする放射線量じゃないよ。食べ物による内部被曝にさえ気を付けていれば大丈夫。ヨーロッパだって0.2(μSv/h)くらいはあるんでしょ」
そう話す女性に呼応するように、知人の男性も「俺はもう、還暦過ぎてるから。それに24時間ずっと花見山にいるわけではないからね。1時間くらいなら大丈夫でしょ」と笑顔を見せた。
ほどなくやってきたバスは、あっという間に通勤電車のようになった。「きれいね」「最高ね」。花見山に近づくにつれて、車窓から見える花々に感嘆の声があがる。同じ景色の中に、宅地除染で生じた汚染土を自宅敷地内に仮置きしている様子も飛び込んでくるが、その話題に触れる人はいない。線量計を手にしているのはもちろん、私一人だ。
「線量、線量と言っても、私たちは放射線量が高いことを分かって住んでいるわけでね…」。NPO法人「花見山を守る会」のメンバーである女性は、少し声を抑えながら話した。「汚染しているのは事実だし風評被害ではないと思うけれども、こうして全国から多くの方が〝復興支援〟と称して来てくださるわけで…。除染もして環境を整えているわけですし。それよりもむしろ、福島県民同士のいがみ合いの方が酷いんじゃないかな。浜通りと、同じように汚染している中通りとでは補償に大きな差があるからね。『何で浜通りばかり手厚く補償されるのか』ってね」。
(上)花見山の麓。駐車場近くの菜の花畑で、手元の
線量計は0.5μSv/hを超えた
(下)桜の木の下でランチを楽しむ親子。30代の夫婦は
「晴天の下で思い切り遊んで放射線に負けない身体に
なって欲しい」と口を揃えた
【思いきり遊んで放射線に負けない身体に】
美しい花を咲かせる桜の木の下で、4人の親子が持参した弁当を味わっていた。
郡山市から来たという30代の夫婦。傍らで2歳と1歳の姉弟がおにぎりを頬張っている。妻のお腹には、新しい命が宿っている。
「放射線量を気にしている人は、もはや福島県内にはいないんじゃないかな。県外に避難しているでしょう。このくらいの線量なら気にしてもしょうがないですよ」。夫は笑顔で話した。妻も「部屋に閉じこもっているくらいなら晴天の下で思い切り遊んで、放射線に負けない身体になって欲しいですよね」。
2歳の娘を連れて観光に来たという千葉県内の30代の母親も「放射線を気にしすぎて家の中に閉じこもっても…。知り合いの子どもは、被曝を気にして屋外で遊ばないために体調が悪くなっていると聞きました」と話した。「そもそも、飛行機に何度も乗っちゃってますしね。飛行機に乗るだけで被曝するんでしょ?」。
観光客を誘導するガードマン。40歳になったばかりという男性の顔は早くも真っ赤に日焼けをしている。「私も地元の人間ですから、放射線を全く気にしていないと言ったら嘘になりますけど、気にしてもしょうがないというか…。以前より放射線量も低くなっていますからね」。
初夏を思わせる暑さの中、山頂まで登ってみた。何人かが私の線量計を一瞥し、表情を曇らせた。
放射線量が低いとはとても言えない花見山。しかし、
原発事故から3年以上が経ち、大勢の観光客が連日
、訪れている
【被曝回避より地元経済?】
渡利地区に暮らす男性は「ここの放射線量は依然として高いんだ。もっともっと全国的に騒いで欲しいよ。最初の頃はテレビのニュース番組で取り上げられたりして話題になっていたけど、渡利も花見山もすっかり口にする人はいなくなってしまったもんね。原発事故の直後はマスクを着用する人も多かったけれど、最近じゃそんな人はいない。忘れちゃうんだね」と語気を強めた。
現実問題として、今も続く放射性物質による汚染。しかし「立ち入り禁止にされてしまったら商売があがったりだ」と話す人も。花の季節に合わせて、公園内には数多くの飲食店や土産物店が出店している。市内で収穫されたキノコやキクラゲが安価で販売され、長い列ができる。混み合うバスを避け、タクシーを利用する観光客もいる。観光資源である花見山を、地元経済活性化の起爆剤としたいという想いは理解できなくもない。
しかし、復興と被曝回避は両輪であるべきだ。命が守られずして復興などあり得ない。公園内には放射線量の掲示は皆無。原発事故直後は、1μSv/hを超す数値がきちんと示されていた。手放しで安全だと言うのは、あまりにも早急すぎる。
(了)